明里編 『三日目の夜。四日目の朝』(3)
はあ、よかった。
「幸成様、助かりました。ありがとうございます」
助け出してくれた幸成様にお礼を言う。ほっとして口元が緩んだ私を見て、幸成様が纏っていた怒気がなぜか突然消えた。
「べ、別に、そのまま放っておいてもよかったんだけど……」
俯いてぼそぼそと声音を顰める幸成様を、高成様が不思議そうに眺めている。そう言えば、高成様は今おかえりになったのかしら。日が落ちた頃からご不在だったはず。
「あの。おかえりなさいませ、高成様」
「ただいま、明里ちゃん。いやあ、やっぱり女性が家にいるのはすごくいいよねえ。おかえり、だなんて一気に疲れも吹き飛ぶよ」
高成様は、大の女性好き。それはここに出仕する前から噂で聞いていた。
そういうものだとわかっていれば、今の行動も、甘い言葉も、一線を引いて勘違いせずにいられる。
「高成がこの時間に帰ってくるなんて明日は嵐だね。いつもどこぞの女のところから内裏に出仕しているくせに」
幸成様がおっしゃるとおり、高成様は、夜になると姫君のもとへお出かけになり、朝そのまま内裏に向かう。そして仕事が終わったら家に戻って仮眠を取り、また夜を迎えるとお出かけになっている。
この時間に高成様が屋敷にいるなんて不思議な気分。
「明里ちゃんのいる前でそんな話しないでよ。それに、今日は
「そうでしたか。では今からお休みになられますか?」
「うん。また起こしてくれる? それか一緒に寝ようよ、明里ちゃん」
高成様の大きな手がそっと背に回る。
触れられたのを感じて、体を返すようにして、その手からさっと逃れた。
「私の仕事はもう始まっておりますのでご遠慮します。お時間になりましたらお二人とも起こしますから安心してもうひと眠りしてください」
有無を言わさないように、にっこり微笑む。
二人とも何か言いたげな顔をしていたけれど、さらに深く微笑むと、諦めたように大きなため息を吐いた。
そして高成様はあからさまに肩を落として、トボトボと歩き出す。
幸成様は私を一度強く睨みつけた後、ドスドスと足音を立てて闇の中に紛れていく。
二人が闇の中に消えるのを見送って、ようやく笑みを消す。
私の主である春日家の三兄弟は三人とも曲者だ。
長男の高成様は大の女性好きで、毎夜遊び歩いている。
次男の哲成様は仕事人間で、仕事ができない人間には容赦ない。
三男の幸成様は性格がひねくれていて、常に私を追い出そうと画策されている。
――三日と経たずに辞めていく。
その言葉の意味、今ならよくわかる。
三人とも花も翳るほどの美男子なのに、それぞれ性格に難がある。
しかも、『雅』なことに疎く、高成様と幸成様は頓珍漢な装束を纏っているし、哲成様は家でも常に宮中に出仕する時に着る黒の束帯姿だ。
顔がよくても、雅に精通していないのは、この花の都ではかなり致命的なのに。それでも何とかなっているのは、奇跡に近い。
「できれば、装束のご用意もさせてもらえないかしら……」
ぼそりと暗闇に向かって呟く。私はまだ、装束をご用意する仕事を許されていない。
あんなに素敵な方々なのだから、様々な美しい色に染められた衣を、季節に合わせて着てもらいたい。
都の片隅で暮らしていた私は雅なこととは縁遠かったけれど、それでも姫君や公卿たちが着る衣の色目を考えるのが趣味だった。空いた時間があれば、小さな端切れを何枚もかさね合わせて遊んでいた。
だからなのか、ものすごくうずうずする。
自分の考えた色目がこの都で通用するのかどうかわからない。でも、彼らをもっと美しく、格好よくしたいと思うのは出すぎたことかしら。
紫、
様々な色が頭の中に浮かんでは消えていく。
もう少しここでのお勤めを頑張って、皆様と信頼関係を結べたら、もしかしたら装束を選べる日が訪れるかもしれない。
今はそれが、小さな目標だ。
「朝を迎えたら四日目。――もう少し頑張ろう」
今はまだ、彼らと過ごすのは、楽しいことばかりではなく、辛いことのほうが多い。
だから小さな目標を積み重ねて、毎日を過ごしていくしかない。
それに私は実家の屋根を直すという、最終的な目標があるのだから、ここで逃げ出すことはできないわ。
うん、と自分に言い聞かせるように大きく頷いて、足を前に踏み出す。
主たちのために一通り仕度をし、朝を迎える準備をする。
一息吐く頃には山の端が仄明るくなっていて、曙色が徐々に藍を飲み込んでいる最中だった。
三日目の夜が終わり、四日目の朝を迎えたのを、私はじっと眺めていた。
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明日7月19日は、【高成編 『三日目の昼』】を更新予定!
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