明里編 『三日目の夜。四日目の朝』(2)
突然怒鳴り込んできたのは、鬼の形相をした、三男の
私より二つ歳下の十五歳。まだ若年なのに非常に英俊なこともあり、すでに宮中で国政に関わる仕事をしている。
目元やお顔にまだ幼さを残していて、黙っていると美しい姫君のよう。でも、それを本人に言ったら確実にクビになるから絶対に口にしない。
「夜中に騒ぐなよ! 眠れないんだけど! 本当に煩い!」
「た、大変申し訳ありません。失礼しました!」
勢いよく頭を下げる。すると私の傍に立っていた足が踏み出すのが見えた。
「付き合いきれん。とにかく俺は仕事に行く。邪魔をするな」
「あ、あの、衣、直してくださいね! いってらっしゃいませ!」
ああ、結局衣を直すことができなかった。
さっさと門へ向かっていく哲成様の背に声を掛けると、幸成様が私をぎろりと睨みつける。
「だから煩いって言ってるの! 大声出すなよ! 哲成の見送りなんかするな!」
「ええっ、それはさすがに……。哲成様はこの家の主でありますし……」
「はあ? あのさ、オレもあんたの主なんだけど。オレの言うこと、聞けないわけ?」
じりじりと幸成様に詰め寄られて、柱に背が付く。至近距離で睨みつけられて、恥ずかしいというよりも、恐ろしい。
「も、もちろん、幸成様も私の主でございます。でも、哲成様も同様に私の主であって――」
「哲成の言うことなんて、何にも聞くな! 哲成を主だなんて思わなくていいから!」
あああ、もう。幸成様の我儘といじわるに毎回どうしたらいいかわからなくなる。
ここに来た初日からずっと目の敵にされ、私のやることなすこと全てにケチをつけてくるし、何か失敗すればすぐに実家に帰れ、と責められる。
しかも――。
「わ、わかりました。善処いたしますね。ではまだ起きるのには早いですからおやすみください。また改めて起こします。私はこれで失礼いたします」
恭しく微笑みながら頭を下げて、幸成様から離れようとする。すると、突然体がその場に縫い留められたように動かなくなり、前に踏み出そうとした勢いを止められずに一気に前方に倒れ込む。
やられた――。
この三日間、何度も幸成様に衣や袴の裾を踏まれてそのまま転んだ。
また引っかかるなんて――。
「――わあ。僕の腕に君から飛びこんでくるなんて、今日はなんて幸運なんだろう」
倒れ込んだ私を間一髪抱きとめたのは、強い腕と広い胸。
聞き覚えのあるこの声は――。
「熱烈なお出迎え、心の底から嬉しいよ。明里ちゃん」
顔を上げると、にっこりと微笑まれる。
春日家の三兄弟の長男、
すらりと通った鼻筋に、薄い唇の口角が柔らかく上がっている。少し垂れた胡桃色の瞳はまっすぐ私に向かっていた。
相変わらず容姿は完璧なのに、着ている色目がいただけない。
傍に置いてある高燈台の灯りが映し出すのは、黄色の装束。
今は秋なのに、春の色目である、表は山吹色で裏は黄色の、
うーん、と考え込んでいると、幸成様が怒鳴った。
「何でここに高成がいるんだよ! 邪魔なんだけど!」
「幸成。明里ちゃんをいじめたら駄目だって言ったでしょ。明里ちゃん怖かったね。あー、そうだよね、怖いと眠れないよね。よかったらこのまま僕が添い寝してあげようか?」
添い寝。その言葉を聞いた途端、血の気が引く。まるで冗談に聞こえず、黙っていたらこのまま部屋に連れ込まれそうだった。
「待て待て待て! 何言ってるの? 女房に手を出すなっていつも言ってるだろ! それより、さっさとそいつを離せよ!」
「まだ手を出してないよ。出しているのは幸成のほうじゃないの? 《オレもあんたの主》だなんて、僕としては聞き捨てならないけどね。明里ちゃんの主は、僕も、なんだけどなあ」
強く肩を抱き寄せられて、抗う間もなくもう一度高成様の胸に沈む。
私の主は三人。
高成様、哲成様、幸成様――、春日家の三兄弟が、女房である私がお仕えしている主。
幸成様はものすごい剣幕で何かを怒鳴りながら私の衣を思い切り掴んで引く。その力で高成様の腕からようやく解放された。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます