046:猫被り、思いやり

結局、単純なことだったんだ。


(俺は知らず知らずのうちに見栄を張ってて、つむぎはそれに気づいてた)


つむぎが欲しい。

そう思ったあの日から、つむぎの喜んだり、真っ赤になって照れたりする表情を引き出すことばかり夢中になって。自分の言動は、その目的のために逐一計算された手段に過ぎなかった。


(まぁ口にキスしたのは自分でも想定外だったけど)


自分の感情を伝えようなんて、微塵も考えなかったのだ。

揶揄われてるなんて言われた時は少し腹が立ったけれど、冷静に考えてみれば無理もない話である。


ポケットの中のスマホが振動した。凛が取り出した画面には“紫藤”の表示、あざとくウィンクしてポーズを決めている本人の写真のアイコン。


通話を繋いでスマホを耳に当てる。


『あーもしもし凛くん!』


「何だよお前、こんな時間に」


バイト終わりの夜の十時過ぎ。


『昨日の今頃は楽しかったな〜とか思ってたら、声聞きたくなっちゃってさ。凛くんも寂しくなーい?』


「全く。一ヶ月分は喋ったから、むしろ再来月くらいまで声聞きたくないんだけど」


『あはははっ』


画面の向こうから大笑いする声が聞こえてくる。


『あー腹いてえ、なんか凛くん当たり強くない?』


「悪い」


『え?僕は別に嫌じゃないよ、それ』


「…そう」


思ったことを考えもせず、そのまま口に出すような年齢でもない。ただ言って良いことと悪いことをわきまえているだけのつもりだった。自分の性格の悪さは自覚しているし、そんな腹の中を見せて話すとなると相手を傷つけていないか不安になる。


「なぁ紫藤、“猫被り”と“思いやり”の違いってなんだ」


『えーどうしたの凛くん』


「昨日つむぎに言われたんだよ。何考えてんのか分かんねえって。猫被んなって」


『まーね、凛くん外面いいよね』


あはは、と容赦なく笑っている蓮音も大概だ。


『クールだけど人当たりいいし、分け隔てないし。でも今みたいな素のキツい言い方、僕は心開かれてんなーってちょっと嬉しい』


「え、そうなの?」


『だって凛くんの猫被りって、いわば心の壁でしょ。あんまり仲深めたくない人と距離を置くための』


意識したことはなかったけれど、その蓮音の言葉は驚くほどすとんと腑に落ちた。

思えばその通りだ。深く踏み込まれないよう、それでいて関係に波風を立てないように、無難にやり過ごすための壁。


『それに素を見せるって、相手を信頼してるからできるんだよ。嫌われないって自信があるからさ』


「嫌われない自信…ね」


つむぎが自分を信用してないのではない。

むしろ自分の信頼が、つむぎには伝わっていなかった。


「…まともなこと言うじゃん」


『でしょー』


蓮音はケラケラと笑った。


『そいえばさ、凛くん今どこいるの?騒がしくない?』


「バイトの最寄り」


凛は今、駅の改札付近で通話をしていた。電車が到着する度、通行人の波が行ったり来たりする。複数の路線の通る大きな駅でもあり、乗り換えの人でごった返す。


『えーもしかして、僕の電話のために立ち止まってくれてんの?』


「な訳ないだろ。でもちょっと助かった」


しばらくの間、少し離れた所に立つ二人連れの女性から視線を感じていた。しかし凛がずっと通話をしているので、諦めて去ったらしい。


「今日制服じゃないからか、ぼーっとしてると知らない人に絡まれるんだよ」


『うわぁ逆ナン避け?腹立つなぁ』


「あー来た。切るな」


『うん?うん』


蓮音は状況を飲み込めていなさそうだったが、凛はさっさと電話を切ってスマホをポケットに戻した。


「凛?」


改札を出てきて、驚いた様子で駆け寄ってくるつむぎ。手にはカラフルなハロウィーン仕様のビニール袋を提げている。


「よ」


「何で?何でいるの?」


「こんな時間だろ。俺もちょうどバイトだったし」


「そっか!」


パーッと笑顔を輝かせるつむぎ。喜んでくれているらしい。分かりやすくて可愛い、と凛は率直に思った。


「でも凛ったら過保護」


「お前なぁ。俺いなかったら一人で帰るつもりだったの?」


「そりゃまぁね、閉園までいるってお母さんに連絡はしたし」


「ったく、おばさんもおばさんだよ。門限なしとか」


「もう高校生だよ」


「まだ高校生だ」


凛の言葉につむぎはむっと口を尖らせた。凛は思わずその口を指でつまむ。


「ん〜〜!んんんんん(何すんの)!?」


凛は吹き出して手を離す。



昨晩、つむぎと緋凪は晩ごはんを食べ終えると、長居せず帰っていった。しかし案の定夜更かしをしたらしい。ろくに眠らず丸一日遊べば、それは夜眠たくなるに決まっている。


「つむぎ、着いた」


凛に体を預けて寝こけたつむぎを起こし、二人はホームに降り立つ。

くあ、とあくびをする寝ぼけ眼のつむぎ。足元がおぼついていない。


「足元見ろよ、階段」


忠告も虚しく、つむぎは危うく転び落ちかけた。凛は間一髪でそのリュックを掴む。


「ったく、たまに二歳児になるよなお前」


「ありがとー」


「は?大丈夫?」


「違っ…助けてくれてありがとう、って!凛の軽口は嬉しくないです!」

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