043:バイトを早退した後は
「それにしても、綺麗な部屋だよな…」
すっきりと片付けられ、物寂しさすら感じる部屋をぐるりと見回し蓮音は独り言を呟いた。
凛は少し前にバイトに行ったばかり。蓮音は凛の家で留守番だ。
迂闊に家の物に触るなと釘を刺されたけれど、そもそも触るほどの物がないことに気づく。
家具はベッドとソファ、ローテーブルに小さな本棚。その本棚にも、見覚えのある学校指定の教科書やノートばかりだ。テレビは直置きだし。
――ただ、面白いものを見つけてしまった。
キッチンの流しの所にある水切りラックに、二セットずつの食器が置いてあったのだ。
二枚のプレート、二膳の箸。
マグカップも二つ、しかもペアで揃えてある。一つは白地に黒の犬の柄、もう一つは桃色に白いうさぎの柄だ。
「…ただいま」
真後ろから声がして、蓮音は言葉通り飛び上がった。
「うぉっ!は、早くない!?」
まだ凛が出かけてから一時間くらいしか経っていない。バイトは十時までだと聞いていたけど…
「お前が来てること、うっかり話したら帰らされたんだよ」
凛はそう言うと、紙袋を蓮音に渡した。
蓮音は中身を覗き込む。何やら豪華な箱があって、甘い香りがする。お菓子の詰め合わせだろうか。
「何これ、絶対高いやつ」
「夜ご飯前だけど食う?お客さんがくれたんだよ」
「お客さん気前良すぎか」
「ちなみにそのソファと本棚とテレビもその人から貰った奴な」
「うっそ貢がれてんじゃん」
「可愛がられちまってね。お下がりだから気にすんなって言われたけどどうだか。ってかお前、さっき何見てた」
「食器だよ。二人分あるのが気になって」
「あー、それ。朝ごはん、つむぎとここで食べてんの」
「へ…?」
蓮音が辛うじて知っているのは、朝に弱い凛をつむぎが起こしに行っているくらい。
実際それを唆したのは蓮音だし、合鍵を渡すところにも居合わせた。まだ夏休み前の話である。
まさかこの場所で二人きり朝ごはん食べてるだなんて思わなかった。この密室で何も起こらないのだろうか。幼馴染みといえど、好きあっている二人だ。
「…それ以上のことにはならないわけ?」
完全に興味本位の下世話をふっかける蓮音。
「それどころか休日の晩ご飯も、学校がある日の弁当も瀬名家の世話になってる」
「え、そうなんだ!…いや、そうじゃなくって…」
その的を外れた返答に、ピュアか!?と思いきや凛は思い切り氷点下の視線を蓮音に注いでいる。殺すぞとでも言わんばかりの睨み。“それ以上のこと”があるのかないのか、どちらにせよ触れることは許されないらしい。
「…殺すぞ」
「わお、本当に言ったー…ごめんて…」
聞いてみれば凛は夏に熱中症で倒れて以降、つむぎの母親に不摂生を叱られたという。
ヒョロヒョロに痩せていた春先の頃よりかは、確かに体格はマシになった気がする。…とはいえまだかなり細いけど。
「いいね、そういう家族ぐるみ、っていうの?」
「まぁ俺の方は家族いねーけどね」
「……」
「…そんな顔すんなって。悪い」
「いや、僕こそごめん」
自分の生活費をバイトで賄っている凛。蓮音はそれを知った時、家族と仲が悪いのかな、というくらいにしか思わなかった。
けれど今日この部屋に上がって、すぐに目に入った。出窓のところに小さな花と、若い外国人の女性の写真が飾ってある。澄んだ青色の瞳の色が、凛とそっくりだと思った。
蓮音の視線の先に気づいたのか、凛は言う。
「母親だよ。少し前に、つむぎがアルバムから写真を探して飾ってくれたの」
「さすがは凛くんのお母さん、綺麗だね。どこの国の方なの?」
「フィリピンの人」
「なるほどね、だからピアス開いてるんだ」
「ん?」
「ん?…確かフィリピンでは、幼い時に耳にピアスを開ける文化がある…と聞いたことが…」
「違うけど。…いや違くないけど。これは中学ん時に、俺の意思で開けたやつで。…お前よく知ってんな」
やっぱ目立つ?と凛は耳たぶをつまんだ。
「や、髪の陰だから目立たないだろうけど…もしや隠してた?」
蓮音は自分がピアスをしているからか、人の耳を見る癖がある。凛はほんの微かな跡が見えるのみで、蓮音のようにピアスを身につけている訳でもない。このことを知っている人はそういないとは思う。
「まぁ一応な。俺優等生だし…」
「あは、自分で言ったよ。間違いないけど。…つむぎちゃんは知ってんの?」
「知らないんじゃん?あいつ鈍感だし、俺が前髪切っても気づかないくらいだし」
「ウケる、乙女かよ凛くん。じゃあ僕はつむぎちゃんも知らない凛くんの秘密を知ってしまった訳だ」
ふっふっふ、と得意げな蓮音。
「…うぜー、弱みでも握ったつもり?」
「まぁね。悪い?」
「いいけど誰にも言うなよな。…つむぎには特に」
ピアス跡を隠しているのは多分、教師から目をつけられるからでも次期生徒会長だからでもない。中学生でピアスだなんて、大抵誰もが良くない印象を持つ。凛は特につむぎにそう思われたくないのだろう、と蓮音は思った。なぜ開けたのかまでは話してくれなかったけれど、軽いノリでやったのか、荒れてたのか。
「…あ、電話」
ポケットからスマホを取り出すと、“緋凪ちゃん”の表示。電話に出ると『もしもしー?』と弾んだ声が聞こえた。
「やっほ、楽しんでる?」
『トランプしてた。そっちは?芹宮バイトっしょ、寂しくない?』
「なんと僕のために早退してきてくれて…痛っ」
調子に乗った発言をしたせいか、凛の投げた消しゴムが額にヒットした。
『え、まじ?合流できんじゃん。つむぎー、芹宮の家行こ』
「どれくらいの距離なの」
『ほんとすぐ。芹宮のアパートのとこから一、二分で着いたよ。そんじゃ今から行くからよろしく』
「はぁい」
蓮音はちらりと凛の方を見る。色々と察したようで、彼は目を細めて恨めしそうに蓮音をぎろりと睨みつけた。
その電話の後、ものの数分。部屋にインターホンが鳴り渡った。
「おー、ほんと近いんだ。凛くん、開けて開けて」
蓮音は無邪気にそう急かす。
「…開けてじゃねぇ。人の家に勝手に人呼ぶな」
ドアの開く音が聞こえた。
わざわざ鍵を開けに行かなくとも、つむぎは合鍵を持っている。
「お邪魔しまーす!」
嬉々として玄関に上がる緋凪の後ろから、苦笑いのつむぎがこっそり凛に向かって両手を合わせるのが見えた。
かくして急遽、生徒会の一年生メンバーによる文化祭の打ち上げが幕を開けたのである。
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