041:つむぎの涙と凛の体温と
「うわぁ、ちゃんと進展してたんだなぁ」
「……」
「今度は髪じゃないよね?口なんでしょ?」
「…何も言ってないじゃん!」
決して口を割らないつむぎだが、緋凪は勝手に話を進める。つむぎの表情は口よりも素直で正直だ。言わなくてもおおよそ検討はつくし、鎌を掛ければあっさり引っかかる。凛よりも断然扱いやすく分かりやすい。
緋凪はにやにやとつむぎに迫る。
「で、終わりなの?普通その流れのまま告白するでしょうに」
「え、そうなの?」
「めんどくさいなぁ、君たちは。だって芹宮、委員長とのこともちゃんと蹴りをつけたんでしょ?押し切ると思ったんだけどな」
「あぁ…そっか」
今朝顔を合わせた瞬間、凛に振られたとあっさり言った美雨。別段落ち込む様子は見えず、さっきも校内で柊一郎と一緒にいる楽しげな姿を何度か見た。
「…好き、なのかな?凛、私のこと」
「好きじゃなきゃあんな美人振らないし、あんたにキスなんてしないでしょうよ。もう今探しに行って
「そうじゃないけど。何か引っかかる」
つむぎは呟く。
…あの時もし告白されたら、自分は素直に喜んだのだろうか。凛から好きと言われたい、特別になりたい筈なのに。
告白なんてされなくて、むしろほっとしていた自分に気づく。
「…あれ…何でだろ、私…凛のこと好き、だよね」
「どうした?」
「私は好き。…けど、凛が違うんだ。多分」
優しい凛の声や表情。つむぎはその裏に何か別の感情を垣間見ることがある。
昔の凛なら、人前では猫を被ってもつむぎの前では色々とあけすけだった。
口が悪く考えが腹黒くて、だけど根がすごく優しい。つむぎのよく知る凛の姿はそんな感じ。
「凛に何か、隠されてる気がする」
「わお、重い彼女みたいな発言」
「違くて!」
つむぎは恥ずかしくなって慌てて否定する。
「昨日、クッキング部のチョコブラウニー買って凛にあげたんだ。…美味しい、って言ってた。表情はそんなこと思ってなさそうだったのに」
「あ、それあたしも今朝買って食べた。ちょーっと甘過ぎたわ、あれ」
「凛ってさ、言葉に表情が伴ってないと思わない?」
緋凪は首を捻り、しばらく考えて答える。
「あたしには分かんないや。でもあいつ、確かにポーカーフェイスだよね。この前なんてしつこく絡んでくる先輩にも嫌な顔一つせず接しててさ、一人になった瞬間に舌打ちしてるの聞いて震えたわ」
「あぁ、昔からそう」
まぁ学校中の殆どの人は知らないだろうし知りたくもないだろう。凛の性格の悪さは、今に始まったことじゃない。けれどそんな自分の性格を何より凛自身が嫌悪しているのもつむぎは知っている。
「だから、もし…万が一、好きなんて言われたら…言われたことをそのまま受け取れないかも」
疑り深すぎるだろうか。好きな人の言葉も信じられるか分からないだなんて、そもそも本当に好きだといえるのか。
「…だめだ、混乱してきた」
閉場間近を知らせる、蛍の光の曲が流れ始める。
どんよりとした空気に輪を重ねる物悲しいBGMに閉口する二人。
沈黙を破ったのは緋凪だった。切り替えるようにパンと手を叩くと立ち上がる。
「よし、もう早めに講堂向かうか。あたしたち、まだ大仕事が残ってるよ」
「うん、行こう」
二日間にわたる文化祭の締めくくりとなる後夜祭が、一時間後に始まる。
♦︎
自由参加の後夜祭だが、およそ全校生徒の八割が講堂に集まって文化祭のフィナーレを楽しんだ。
舞台では軽音楽部から始まり、ダンス部や他の有志団体がダンスや歌を披露したり、校内で行われた様々なコンテストの結果発表も行われた。
「企画賞と装飾賞のダブル受賞って、もしや由芽先輩とかおる先輩のクラスですか?人気すごかったですもんね」
「よく分かってるじゃないの、紫藤くん。あなた来なかったくせに」
「やだなぁ由芽先輩、僕もお化け屋敷行きたかったんですけどあそこ、ずっと混んでたし…」
「この後来ればいいじゃない。この学校の伝統でね、後夜祭後から閉門時間までは文化祭が続くの。一年生だと、売れ残りを半額にしてこの時間に売り切ったり、私たちも在校生に向けてこの後営業を再開するのよ」
「え…聞いてないですそんなこと!遠慮します」
「いいな、俺も行ってないんだ。行こう」
話に割り込んできたのは、壇上で生徒会長としてのスピーチを終えて舞台袖に戻ってきた柊一郎だ。
「柊先輩!?いいですって、何が楽しくて男二人でお化け屋敷なんて…っ」
「芹宮に瀬名、水浦は入らされたらしいぞ。あとは俺とお前だけだ」
「もうやだぁぁぁ」
一方、その頃のつむぎと凛の二人は、ピンルームという照明を操作する講堂の座席後方に位置する部屋にいた。前面がガラス張りになっていて、広い講堂の全体が見渡せる。中は機材のランプが光るのみで暗く、窓の外の眩しいほどに明るい舞台がほのかに光を部屋に投げかけているのみ。
「…なんか、終わっちゃったって感じ」
つむぎはぽつりと呟いた。夏休み前から約三ヶ月かけて準備をした文化祭。文化祭委員はもっと長い時間の準備をしていた。特に二、三年生は去年の秋から丸一年間だ。
積もる思いも多いのだろう、今壇上でスピーチをしている文化祭実行委員長の美雨も、時折言葉を詰まらせている。観客席からの「頑張れ」や「ありがとう」の声でさらに感極まっている美雨の様子に、つむぎもうるっときた。
「生徒会の三年生も、もう引退だもんな」
凛もしみじみとそう言ったので、つむぎは涙を堪えるようにそっと唇を噛んだ。
すっかり忘れていた。来月には生徒会選挙が行われて、次の大きなイベントは今の一年生が主体。急に終わりを実感して、寂しさが胸に押し寄せる。
「つむぎ、またもらい泣き?」
からかい口調の凛に、つむぎはむっとして言い返す。
「泣いてないけど?」
「…でも本当、楽しかったよな」
その言葉を聞いた途端、耐えられなくなって涙がこぼれた。嗚咽が漏れないように手で口を押さえる。
…気づけば、つむぎは凛に抱きしめられていた。つむぎが泣くといつもやってくれる、頭を片手で抱きしめ撫でてくれるあれ――ではなく。
完全に、つむぎは凛の腕の中にいた。背中に回された凛の手。頭の後ろの辺りをぽんぽんと撫でられている。凛の匂いと体温にすっぽり包まれる。
「いいよ。泣け泣け」
泣くな、ではなく泣け、と言われたのは初めてだった。泣き止もうとしても、全然止まらなかった。
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