034:世界は狭い

九月の終わりとはいえ、まだまだ残暑は厳しい。


緩い登り坂をゆっくり歩いている間も、肌にじんわりと汗が滲む。桜並木はまだ紅葉する気配がなく、青々としていた。


赤茶けた高い塀に沿ってしばらく歩いていくと、白を基調とした明翠めいすい高校の校舎が見えてきた。

十年弱前に建て替えられたという校舎はとても大きく、思ったより綺麗だ。


「あ!風船!」


翔真の右手を握っていた小さな手がパッと離れ、隣を歩いていたすずらんは校門に向かって駆け出した。

巨大アーチの横で揺れている風船が気になったらしい。


「こら、転ばないでよー!」


すずらんの後ろ姿を追って翔真も早足で歩いた。

胸ポケットから、昨晩つむぎから貰った一枚のチケットを取り出す。すずらんは未就学児なので、チケットは要らないと聞いている。


翔真はすずらんに追いつくと、再び手を繋いだ。校門の脇で受付をしている高校生にチケットを渡し、高校の敷地に入った。


「うわー!遊園地みたい!」


「そうだねぇ」


すずらんはどうやら一人で走り回りたいらしく、翔真と繋いでいる手を離そうと指をごにょごにょ動かしている。…が、結構混んでいるこの場所で幼稚園児を好き勝手走らせることはできない。


翔真はすずらんに引っ張られるようにしながら、スマホを取り出して電話をかける。


「もしもしー、先輩?…はい、着きました!…えぇ、そうです……あ、ちょっとすず!ストップ!」


翔真はすずらんにそう声をかけると、キョロキョロと辺りを見回した。

向こうの方に、スマホを耳に当てて歩いているつむぎを見つける。


「つむぎせーんぱーい!」


翔真がスマホを持った手を高く挙げて振ると、二人に気づいたつむぎはパッと顔を明るくして駆け寄ってきた。


「二人とも!早かったね。来てくれてありがとう」


「つむぎちゃん!」


甘え上手のすずらんは早速つむぎに抱きつきに行き、つむぎに頭を撫でてもらった。


「まだ開場から一時間と経ってないのに、大盛況ですね」


「でしょ、屋台もたくさん出るし遊べる場所が多いから、この辺の地区の子供たちが結構遊びにくるんだって」


ちょうどそのタイミングで、入校証を首から下げた小学生くらいのグループが翔真たちを追い越していった。


翔真たちはチケットを貰っていたのでスムーズに入れたが、校門前では持っていない来場者が長い行列をなしていた。一人一人が氏名を書いて、入校証を借りなければならないらしい。


「それに、SNSで宣伝もしてたし」


「俺、TwitterもInstagramも見てましたよ!準備の段階ですごく楽しそうで…食べ物の試作品の写真とかも」


「ほんと?嬉しいなぁ。生徒会で写真撮ってアップしてたんだよ」


つむぎは両手を胸の前でパチンと打ち合わせ、嬉しそうに言った。


「つむぎ先輩、今から一緒に回れたりします?」


翔真が尋ねると、つむぎは笑顔で頷いた。


「もちろんだよ、昼からちょっとクラスと生徒会の仕事が連続で入っちゃうから、それまでなら」


「やった」


翔真はガッツポーズをして見せる。

何より翔真は、待ち合わせの時に敵が――凛が一緒にいることを危惧していたのだが、つむぎが一人でいたのは嬉しかった。


翔真はプログラムをめくりながらすずらんに尋ねる。


「すずらん、何か食べたい?それとも遊びたい?」


「んー、遊びたい!」


するとつむぎは翔真の代わりに言った。


「それなら三年生で縁日やってるクラスがあったよ。ヨーヨー釣りとか射的、わなげとか…それから先輩のクラスでカジノをやってるけど、子供も楽しめるトランプゲームがあるって」


「すず、わなげとトランプしたい」


「よし、先輩。案内お願いします」


すずらんを真ん中にして手を繋いだ三人は、外よりもさらに活気で満ち溢れた校舎へ入っていった。



♦︎



「もう一回やりたいなぁ」


景品のお菓子と花火セットを抱えたすずらんは、名残惜しそうにわなげの方をちらちらと見た。


「すず、三回連続はだめだよ。景品もなくなっちゃうし…」


「全然いいよ〜!こんなに楽しんでくれてるんだもん、ほらもう一回やる?」


わなげの受付をしている高校三年生の女子生徒はすっかりすずらんにメロメロになって、輪っかを五つすずらんに手渡す。


「やったぁ!ありがと、お姉さん」


「…すみません、ほんと…」


翔真は申し訳なさそうに頭を下げて、すずらんに「これで最後!」と念を押した。

つむぎはその様子を横で眺めながら可笑しそうに笑っている。


いつもは下ろすかハーフアップにしているつむぎの髪型。今日はイベントだからと、友達に凝ったヘアアレンジをされたらしい。頭のてっぺんから編み込まれた髪を耳の横でサイドテールにしている。


翔真の視線に気づいたつむぎは尋ねる。


「どうしたの?」


「髪型、やっぱりいいなって思って」


「やだなぁ翔真くん、それ何回言うの」


照れ隠しのように軽い口調でそう返したつむぎに、翔真は言った。


「何回でも言いますよ。だって可愛いんですもん」


「全く…翔真くんって精神が随分大人だよね、そんな恥ずかしいこと中学生の男子は普通言えないって」


言動が大人っぽい、とは友達からもよく言われる。女子から告白される時も、大人っぽいところが好きなのだと言ってもらうことが多い。


けれど、可愛いとか綺麗とかは好きな人にしか言わない。そのことはまだ本人には内緒だ。


今年に入って強敵が現れた。恋人ではないらしいが、誰がどう見ても間に入る隙のない、ただならぬ雰囲気の二人。

翔真の敗北にかなり近い状況だが、可能性はゼロではない。…と、翔真は信じている。


まだ満足していなさそうなすずらんを宥めながら、教室を後にした三人。

廊下の先に人だかりが見えて、翔真は思わずそちらの方へ目を向けた。


(…うわ、芹宮さん)


会った時からやたらとイケメンだと思っていたけれど、学校ではあんな感じなのか。何人もの女子に囲まれて少し困っていそうだった。


つむぎと一緒にいるこの状況で、凛と遭遇したくない。翔真は二人が彼の存在に気づかないことを願い、黙って反対の方向へ向かおうとした。


「あ!見て、凛くん」


残念ながら気づいてしまったすずらんは、彼を指差して言った。


「…と、バイオリンのお兄ちゃん?」


「え?」


翔真は驚いて振り向く。


凛の隣でにこやかに対応している、明るい茶髪の高校生。凛に腕を絡めて何か言い、彼に軽く小突かれて笑っている。

凛と随分と親しそうにしている彼を、翔真とすずらんはよく知っている。


「本当だね。ここの高校生だったんだ」


「え…!二人、紫藤くんと知り合いなの?」


つむぎは驚いた様子でそう尋ねた。


「紫藤くん、って言うんですか?茶髪の彼」


「うん、同じ生徒会の一年生で…。二人はどこで知り合ったの?」


「病院です。母さんのお見舞いに行く時、たまに合うんですよ」


五年ほど前に翔真の母が今の病院へ転院した時から、たまに見る人だった。当時はまだ染めていない天然の焦げ茶色の髪で、いつも背負っているキャメルのバイオリンのケースがトレードマーク。

月に二、三度は会うので、最初はお互いに存在は認識している程度で接点はなかった。


初めて話したのは、一年と少し前。

その日たまたま病院に連れてきたすずらんが、少し目を離した隙にいなくなってしまった。

慌てて探し回って、やっと見つけたのはプレイルームで彼に遊んでもらっているすずらんだった。


その頃には髪をかなり明るい茶髪に染め、銀色のピアスまでしていた彼。不良っぽい見た目の彼がすずらんと一緒にいるのを見て、冷や汗をかいたのを覚えている。


『あ、来たよ。お兄ちゃん』


翔真を見て彼がすずらんにそう言った声音がとても優しくて、拍子抜けしてしまった。


『すみません、ご迷惑をおかけしました』


『平気だよ。妹さん?』


『はい』


『僕も妹がね、入院してるんだ』


彼はそう言っていた。


それからというもの、すっかり懐いたすずらんは病院で彼に会うと必ず遊んでもらっている。

しかし、いつも私服だった彼がこの高校に通っていることは、今この瞬間まで知らなかった。


翔真の言葉を聞いて、つむぎは怪訝そうな表情を浮かべた。


「病院…?何でだろう」


翔真はしまったと口を抑えた。蓮音は周りに妹のことを言っていないのかもしれない。


「凛くーん!バイオリンのお兄ちゃーん!」


そう手を振るすずらんの叫び声に凛と蓮音は振り返り、それから驚いたようにお互いに顔を見合わせた。


「凛くん、すずちゃんと知り合いなの?」


「…お前もか?…何で?」


二人はすずらんとつむぎ、翔真の元へ歩いていく。蓮音はその三人の組み合わせに目を見張った。


「あれぇ、すずらんとお兄ちゃん!つむぎちゃんと友達?」


「えぇ、お隣に住んでるんです。芹宮さんともつむぎ先輩を通して知り合って…」


「へぇ、世界って狭いんだね…!病院での友達と学校の友達が繋がってるだなんて。あー…僕ね」


蓮音はつむぎと凛の方を見て言った。


「僕ね、入院してる双子の妹がいるんだ。別に隠してたわけじゃないけど」

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