第二章 目は逸らさない

031:あの子のことが、好きですか

自分の心に嘘をつくことをやめた。

たったそれだけのことがつむぎをほんの少しずつ、変えていった。


今日は文化祭準備日である。

二日間にわたって行われる一年で一番の大行事の幕開けを明日に控え、朝から学校中がいつもと違う活気に満ち溢れている。


校門に朝一で設置したカラフルでポップな巨大アーチには、『The 72nd Meisui Festival』の文字。生徒会が夏休みの間に作ったものだ。


校門を抜けたところの広場には野外ステージの設置が進められ、校舎の二階から各団体の宣伝の垂れ幕が順番に吊られ始めている。


「なんかいつもと違う場所みたい」


「だよね」


そわそわとしきりに辺りを見回しているつむぎに、一緒に歩いている蓮音も同意した。

つむぎは端の方の垂れ幕を見上げる。


「あ、あれ私たちのクラスのだ」


「へー、どれどれ…」


蓮音はつむぎの指差す方を目を細めて見つめる。


「何番目?」


「左から三番目。黒い台紙にオレンジの文字の…」


「あ〜、何となく分かった。僕、やっぱり相当視力落ちたみたい。あんまり見えないや」


蓮音は目を擦ったり、ぱちっと見開いたかと思うとまた細めたりしている。


校舎に入ると、装飾や出し物のポスターの貼り付けがあちこちで行われている。一面の大きなガラス窓の装飾は、入ってくる太陽光を遮らないよう色セロハンを主に用いたものになっている。小さなステンドグラスのような飾りはとても綺麗で見ていて楽しい。


「あ、凛くん!」


向こうのほうからクリップボードとカメラを携えた凛が歩いてくるのをいち早く見つけ、蓮音が手を振った。


「よ。二人、一階の見回りだっけ」


「そうだよ」


脇に挟んでいた、凛のものと同じクリップボードを見せながらつむぎは答える。


文化祭準備日の午前中の生徒会の仕事は、主に校舎の見回りである。

いつもと違う環境だからといってはしゃぎ、危険な行動をしている生徒がいないかをチェックしたり、また装飾が規定に沿っているかを確認する。例えば人気キャラクターを装飾やポスターに使うのは著作権の問題で禁止となっているのだ。

先程は、看板にアンパンマンのキャラクターを使用していた一年生のあるクラス団体を摘発したところ。


「凛くんは二階で由芽先輩と見回りだったっけ。ここにいていいの?」


「そう、桃井先輩がクラスの方で急用作って、一旦解散。暇だからお前らの顔を見にきた」


「どうせつむぎちゃんだけでしょうが」


「まぁね」


凛はさらっと肯定するので、つむぎの心臓はいちいちダメージを受ける。努めて普段通りを装うつむぎ。

すると何を思い付いたか、凛はすっとカメラを構えた。きょとんとしたつむぎが状況を理解するよりも先にシャッターを切る。


「へ?ちょ、ちょっと凛!そのカメラ、生徒会の備品なんだから消してよ、今の…!」


一気に頬を上気させ、慌ててカメラを奪おうと凛の腕を掴むつむぎ。しかし身長の高い凛が頭の上に持ち上げただけで、小柄なつむぎの手は届かなくなる。


「凛!ねーえ!」


凛の肩を掴んで爪先立ちになり、躍起になって手を伸ばすつむぎ。凛は余裕のある表情で揚げ足を取った。


「備品のカメラじゃないならいいような口ぶり」


「それは違っ…!」


凛は空いた片方の手でポケットからスマホを取り出して、つむぎを撮影する。


「えっ」


「はいどうぞ」


凛は今しがた撮った写真を確認し、すんなりとカメラをつむぎに引き渡した。満足げな表情である。


「…そっちも消して!」


「やだね。諦めろ」


「ほんっとに…性格悪い…っ」


つむぎは取り敢えず、カメラを操作して自分の写真を見つけるとすかさず消去した。蓮音は可笑しそうにくつくつと笑った。


「仲良いね、君ら」


「そうじゃない、私は怒ってるの!」


そう抗議したつむぎだが、内心では蓮音の言葉はほんの少し嬉しかった。


「あーっ!やっと見つけた!」


聞き覚えのあるその声につむぎが振り返ると、そこには美雨がいた。


彼女は制服ではなく、深緑色のシックなワンピースを見に纏っていた。

膝上くらいの丈の、ぴっちりとした身体のラインが露わになるようなデザイン。

普段はストレートの腰まである長い髪が、今は綺麗に巻いてセットしてある。

普段はナチュラルな化粧も今は濃い色のリップをさっと引いてあり、アイメイクもしっかりと施されていた。


際立って美しく着飾った彼女は、周りの視線が集まる中凛の腕に抱きついた。


「一生の頼みがあるんだけど、うちのクラスに来てくれる?あと…」


彼女はつむぎと蓮音に目を遣ると、言葉を付け足す。


「君たちも見に来てくれて構わないよ」


「すみません、俺たち仕事中で」


凛がそう言って断ろうとしたが、彼女は「一瞬で終わるから!」と凛をぐいぐい引っ張っていく。

つむぎと蓮音も顔を見合わせ、早足で彼女たちに続いた。



♦︎



辿り着いたのは、『Meisui Collection』の看板の掲げられた広い特別教室。

足を踏み入れると、カーテンを閉めたうす暗い教室の中央に立派なランウェイが設置されていた。

ランウェイは周りに配備されたスタンドライトに照らされ、白く光っている。


「私のクラス、ファッションショーやるんだ。今設置完了したところで、せっかくだから宣伝用の写真を撮りたくて」


美雨は凛を連れてランウェイに上がった。


「モデルになってくれない?一緒に」


「俺は本番出ないんだから、良くないんじゃないですか。こういうの」


「本番も出てくれたら嬉しいけど?」


「無理です」


「じゃあ今だけ。制服のままでいいからさ。お願いだよ、うちのクラスには宣伝に使えるようないい素材の男子がいないんだもん」


ランウェイの下でクラスメイトの三年生がカメラを構えると、乗り気でない凛の腕を美雨はぐっと掴んで身体を擦り寄せた。


つむぎはそっと唇を噛んだ。胸の中に、もやもやとした嫌な感じが広がる。


「いいよー!芹宮くん、ちょっと左向いて。で、美雨が抱きつくみたいな感じ。恋人っぽく」


カメラマンが指示を出す。美雨は憚らずに凛の背中に抱きついた。


つむぎのいる場所からは、背中を向けている凛の表情が見えない。どんな顔をしているのだろうか。

つむぎの感情とは裏腹に、周りからは冷やかすような歓声が上がる。


「うわぁ、理想のカップル」


「正直美雨さんのこと狙ってたんだけど、相手があれならむしろ応援するわ」


口々に上がる称賛の声。盛り上がる会場の騒がしさを聞きつけて、通りかかった生徒が次から次へと教室へ押し寄せる。

ライトに照らされた主役の二人を、多くの人が自分のスマホを構えて撮影している。歓声とシャッター音で騒がしい。


釣り合いの取れた、似合いの二人。

つむぎもそう思った。ただ素直に羨ましく、ほんの少し嫉ましい。


美雨が凛の肩に両手を添える。そして少し背伸びをした。

つむぎの視線のその先で、美雨の唇が凛の頬に触れた。


一瞬静まった会場。直後、割れんばかりの歓声と拍手。


「…大丈夫?」


隣に立っていた蓮音が不安げにつむぎの背中に手を当て、顔を覗き込む。

つむぎは青ざめた顔で、こくりとうなずいた。


「これにて終了ね、ありがとう凛」


「…いえ」


「それとついでにこの場を借りて、凛に聞きたいことがあります」


再び静まった会場に、美雨の声が響く。

今や五十人近くの人たちが、ランウェイの周りに集まって二人に注目していた。


「あの子」


美雨が掌を上にしてつむぎのいる場所を真っ直ぐに指し示し、会場中の生徒たちが一斉につむぎの方を見る。

つむぎは面食らって思わず後ずさった。


「…凛は、あの子のことが好きですか?」


つむぎは息を飲んだ。

鼓動が早くなり、なぜか吐きそうだった。


凛はつむぎと目を合わせることなく、淡々と聞き返す。


「なぜそれをここで?」


「ここではっきりさせようと思って」


美雨の射るような視線。会場中の何十人もの観客の視線。凛に逃げ場はなかった。


「…家族のように、大事な人です」


凛がそう答えた直後、つむぎは逃げるように教室を後にした。すぐさま蓮音もそれを追いかける。


凛はランウェイの上からつむぎたちの出て行った扉を見つめ、そしてため息をついた。

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