030:好きの気持ちを自覚した日
「あ!凛と美雨先輩じゃないですか〜」
周りを寄せ付けない雰囲気を纏う二人の間に、少しの遠慮も無く一人割り込んでいくつむぎ。
そんな様子を遠巻きに眺めながら柊一郎は呟いた。
「何だあれは」
「いやはや、うちのつむぎも成長したんですよ」
ほのぼのとそう返す緋凪。
文化祭が目前に迫り、生徒会と実行委員の共同の仕事や情報共有も頻繁になってきた九月下旬。
委員長は凛をわざわざ選んで仕事を頼んだり伝言をつけたりとあからさまなアタックを繰り出しているが、つむぎはそれを見つけ次第阻止するように突撃しているのが最近のよく見る光景だ。
口数がやや少なく、クラスではいつも控えめなつむぎ。空気を読めないふりをして全力で邪魔しにいくつむぎは全くの別人のようで、必死なところ申し訳ないが緋凪にとってはものすごく面白い。
先輩の名前を名字でしか呼ばないつむぎが美雨先輩、と呼ぶのも対抗心だろう。
「…悪いけど今、凛に仕事振ってたんだよねぇ」
「凛にばっかり任せても可哀想なので、私にも振ってくださいよ美雨先輩」
「そぉ?」
美雨も子供ではないので、わざと邪魔しているようにしか思えないつむぎのことも無下にできない。
外野からは一見すると人懐こい後輩と優しい先輩の構図だが、ニコニコとしている二人の目は笑っていないのである。
「何か…ピリピリしてるようだが、芹宮は楽しそうだな。俺の見間違いか?」
「いえ、その通りだと」
緋凪はすかさず答える。
凛だけは心なしかこの状況を楽しんでいるように見えて、緋凪に言わせればサイコパスそのもの。一体誰が大天使やら神様やら言い始めたのだろう。今も微笑を浮かべてつむぎを見守っている。怖い。
♦︎
「…さっさと告って振られしまえばいいのに」
「…芹宮が腹黒いのは分かってたけど、あんたも大概だよつむぎ」
告白まで行ってしまえば自分の勝ちは当然のことだと、つむぎは無意識のうちに思っているのだろう。まぁ間違いはないだろうけれど。
その時、コンコンと生徒会室のドアがノックされた。役員はノックなどせずに入ってくるので、他の生徒のようである。
「はい、どうぞ」
つむぎがドアの方に向かってそう言うと、入ってきたのはなんと美雨だった。
「あれー、ここにもいないや」
「…今は凛、不在なので何かあったら私にどうぞ」
「大丈夫、心当たりのある場所を探すから」
「そんな暇じゃないでしょうし、私に任せる方が早いんじゃないですかね?」
つむぎが意地を張って言い返すと、それまで作り笑いを崩さなかった美雨の表情が急激に冷たくなっていった。美人が怒ると怖いのは本当らしい。
「瀬名さん…?私たちをそんなに邪魔したいの?」
「と、当然ですよ」
「あなたは凛の何?」
「幼馴染みです」
つむぎは食い気味に答える。
「…そう。幼馴染みの分際で」
つかつかとつむぎに歩み寄る美雨。黙って行く末を見守っていた緋凪は慌てて二人の間に立ち塞がる。
「まぁまぁ、二人とも落ち着きましょう!ね!」
「瀬名さん。あなた、凛が好きなんでしょ?」
緋凪には目もくれず、美雨はつむぎを睨む。つむぎは狼狽えて、間を置いて答えた。
「……いいえ」
「どうせ好きなのに一向に意識してもらえなくて、私に八つ当たりしてるんでしょ」
その見解は完全に美雨の勘違いだったが、つむぎを挑発するのには十分だった。
「適当なこと言わないでください!なんで私が先輩なんかに八つ当たりを…」
「なら私の告白に協力してくれる?」
「え」
つむぎは一瞬固まった後に、その提案を断った。
「嫌です」
告白の手伝いを頼まれるのは、初めてではなかった。
小学生の頃から凛の好みや趣味やらばかりをしつこく聞かれて、間を取り持つように頼まれ、いい噂を凛に吹き込むように言われて。
つむぎは友達の頼みを全部受け入れていた。
けれど、断ったのは今が初めてだった。
嫌だった。二人が恋人になるのはもちろん、それよりも二人きりでいるところを見るだけで心がざわつくのだ。お似合いの美男美女カップルだ、と噂が耳に入るのが一番嫌だ。つむぎの目から見ても、凛と美雨があまりにも絵になる二人だったから。
「…そう」
美雨はあっさりとそう答えると、それ以上は何も言わずにドアを開けて出て行った。
「…つむぎー?」
緋凪は心なしが怒っているようだった。つむぎはしゅんとして素直に叱られる。
「一応相手は先輩なんだし、言い方に気をつけなさい。…ムカつくのはよく分かるけど、言い合いになったのはつむぎも半分は悪いんだからね」
「分かってる、ごめん」
「しかもそんなに躍起にならなくたって、芹宮はあんたが思うよりもあんたのことしか見えてないよ」
「…私ってこんな人間だったっけ。こんな心狭かったっけ。…言われた通り、ただの幼馴染みでしかないのに何で余裕なくなるんだろ」
“幼馴染み”という立ち位置は、“恋人”などとは違って決して誰にも侵されない。一生変わらないし、終わらない。家族と同じだ。
それだけで満足なはずなのに。…たとえ凛の隣に誰か違う子がいても、凛の幼馴染みは自分だ。
「ただの幼馴染み、ね。何でそんな頑固なのよつむぎ。恋愛感情を押し殺す方がよっぽど苦しいよ。…先輩とも対等な土俵に立てないんだよ」
その言葉を聞いて、はっと気づく。
ぐちゃぐちゃだった感情が突然、すっきり片付いていくような感覚。
凛を好きな他の子と同じ土俵に立つのが嫌だった。
凛がたくさんの人から想いを寄せられて、断っては泣かれ責められ、苦しく辛い思いをしているのをつむぎは近くで見ていた。
つむぎは特別だった。好きだ、と言わない女の子。自分だけが凛の心の拠り所になれる気がしていた。幼くて傲慢だった小学生の頃からの信条のようなものを、つむぎはまだ引きずっているのだ。
「…対等な土俵に、立っていいのかな」
ぽつりとつむぎが呟いたその時だった。
ガチャリという音と共に凛が入ってきた。凛は二人を見るなり、眉を潜める。
「え、何この空気。どうしたの」
「えーっと…あ、そうだ委員長には会った?」
緋凪がフォローして尋ねると、凛は首を横に振って否定する。
「いや。探してた?」
凛は踵を返し、彼女を追いかけに出ようとした。
「待って!」
つむぎは呼び止める。凛は振り返った。
「どうしたの」
「…行かないで欲しい。今は、…先輩の所には」
震える声で、精一杯のわがままを言ったつむぎ。凛はつむぎのいつもと違う様子に目敏く気づくとそばに寄る。
「…本当、どうした?」
心配そうに凛が顔を覗き込んだ。澄んだ青い目が真っ直ぐ自分だけを見ていて、それだけで不安が消えて満たされるような気持ちだった。
ずっと自分だけを見ていて欲しい。
いつの間にか欲深くなってしまったことに気づく。
三年と半年前、凛がこの街を去ってから何度も願った。
戻ってきて欲しい、会いたい。会えたらそれだけでいい、他に何も望まない、と。
神様が願いを叶えてくれたかのように運命的な再会を果たしたこの春からずっと、自分の切実な思いは変わっていないと信じていた。
隣に凛がいるだけで満足しなければならないと、信じなくてはならなかった。
これ以上のことを望んで、…もっと好きになって、バチが当たらないだろうか。
つむぎは凛の方に手を伸ばし、自らその骨張った大きな手を握った。
「…ここにいて」
「分かった」
凛はその手を強く握り返す。
「あのー…いい雰囲気の中非常に申し訳ないんだけど、あたしいるからね…」
緋凪の恐る恐るの申告に、つむぎが我に返って慌てて手を離そうとした。…が、お察しの通り凛は離さない。
「ちょっと今感激して手が離せない呪いにかかったんだよ。悪い、水浦」
「はいよ、お幸せに」
つむぎは恥ずかしさで頬を赤くしたけれど、無理やり手を引き抜こうとすることはもうしなかった。
つむぎも多分、凛と同じ呪いに掛かっているのだと思う。
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