027:幼馴染みにしか見せない表情
「つむぎ、キスしたでしょ。何で」
「何で、って…仕返しだよ。凛だってしたもん」
「それはどういう感情で?」
凛は探るようにつむぎの目を真っ直ぐ見つめる。あまりにも真剣な眼差しに、つむぎも逸らすことができない。
窓から差す夕焼けの直射日光のせいで、神秘的なブルーの瞳がいつもよりも一層鮮やかに見える。まるで雲一つない青空を見上げている時のように、吸い込まれそうだった。
「俺に気づかれないように、寝てる時に。…どんな気持ちで?」
「……仕返し」
「へぇ。そんな顔して、まだ言うんだ」
「そんな顔、って」
「耳まで真っ赤で、涙目になって」
…自分でも分かっている。恥ずかしくて、見られたくなくて、つむぎは凛の視線を振り払うように俯いた。その拍子に耳にかけていた髪が、はらりと頬に掛かる。
「手を繋ぐのは誰が相手でもドキドキするって言ってたよね。それから昔よく手を繋いでいた延長だ、とも」
「……うん」
「それ聞いたとき、素直に純粋な奴だなって思ったよ。…けど、違うよね。嘘でしょ」
心臓の音が信じられないくらいにうるさい。凛にも聞こえているのではないかと不安になるくらい。
「嘘なんかじゃない…!凛は幼馴染みで、お兄ちゃんみたいな存在で、大事な家族で……だから、別に」
「それ、自分に言い聞かせてるように聞こえる」
「……!」
絶対に見られてはならなかった心の内側が、いきなり全て晒されたような気がした。築いてきた高い壁が崩れ去るような――そして折角溜めていた大量の何かが、全て外へ流れ出てしまうような――そんな感覚。
「つむぎのそんな顔、俺にしか見せないの、自分でも本当は知ってるでしょ」
「知らない」
そう言う自分の声が、やけに遠くから聞こえたように感じた。
知らない、と思いたいのかもしれない。そしてそう思われていたい。
自分の何を隠そうとしているのだろう。
一体何を信じていたいのだろう。
「もう一回聞くよ。…俺は他の人と同じ?」
「…違う。みんな好きだけど、凛が一番好き」
つむぎの言葉を聞くと、凛は少し考えて再び尋ねる。
「それは…番号のある“好き”なんだ?二番目も、三番目もあるタイプの」
「……それしか分からない…っ」
「分かった」
凛はつむぎの手をパッと離した。
どこか怖く感じた問い詰めるような鋭い視線は、いつの間にか柔らかく優しく変わっていた。
太陽もいつの間にか遠くのビル群の辺りに沈み、部屋の中は暗い。
「今はそれで十分。…さ、俺は帰るね」
凛は立ち上がり、座り込んだままのつむぎに手を差し出した。
つむぎは躊躇わずその手を取り、立ち上がる。
「お世話になりました。…もうすぐおじさんもおばさんも帰ってくるよね」
「うん。…あの、今日週末だけど」
つむぎが言わんとしていることを、凛は汲んで頷く。
「すぐまた帰ってくる。夜ご飯の時」
「分かった。じゃあ後で」
「はいはい」
凛はひらりと手を振って、カバン一つで帰っていった。
つむぎは玄関で一人、未だに収まらない鼓動を鎮めるように胸にそっと手を当て、しばらくそうしていた。
♦︎
「もういっそ、ここに住んじゃえばいいのに!」
その日の晩ご飯の席で、つむぎの母は言う。
「つむぎったら何もしてくれないけど、凛くんは料理も洗い物も手伝ってくれるし、何よりお弁当を毎朝作ってくれたのは本ッ当に助かったわ〜」
「お母さん、それ凛をこき使ってるだけじゃん」
つむぎの指摘に母はハッと口元に手を当て、凛に言う。
「分かってるだろうけど、何もしなくてもいてくれるだけで嬉しいのよ」
「そうさ、凛くんは家族だと思っているからね」
凛の父も大きく頷いて母の言葉に追随する。凛は心から嬉しそうに微笑んで言った。
「嬉しいです、俺も家族だと思ってます。…でも、一人でしっかり暮らす術を与えて貰ったので」
凛は一人で家事を身につけたのではない。
当然つむぎの両親が教えたのでもなく、亡くなった凛の母が教え込んだものだった。
若くして凛を一人で出産し、育て上げた凛の母は控えめで礼儀正しく、何より義理堅い女性だった。働き詰めの自分の代わりに、毎日のように幼い凛を預かって世話を焼いたつむぎの両親にいつも感謝を欠かさなかった。そして少しでも早く人に頼らず自力で生きられるよう、まだ凛が小学校に上がる前のうちから家事を教え始めたのである。
よって今の超しっかり者の凛がいるという訳だ。
「…まぁよくサボっちゃうんですけどね」
笑ってそう白状した凛に、父が言う。
「しっかりやってるよ、凛くんは本当に。ここ三日はつむぎの面倒まで見てくれたんだろう?」
「その件はごめんねぇ、急に。助かったわ。凛くんがいなかった頃は、今回みたいな場合食事はカップ麺とかコンビニで凌いで他の家事は一切してなかったから、この子」
「…私も覚えよう」
遠回しに呆れられ非難されているように感じたつむぎはぼそっと呟く。
「じゃあ俺が教えてあげるよ」
「そうさせて貰いなよ、つむぎ。さすがにお米は炊けるようにするべきだぞ」
「お父さん!?」
焦ってその話を制止するつむぎ。凛は構わず尋ねた。
「何があったんです?」
「あはは、この子に任せたら芯の残ったご飯になったのよ。この前」
けらけらと屈託なくつむぎの失敗を暴露する母。つむぎは諦めてハンバーグを口に放り込んだ。
「わ、水の分量間違えたの?浸し足りなかった?」
「…米の方。あと全く浸さなかった」
「じゃあ失敗作をさらに普段より多く炊いちゃったんだ。災難だね」
ちっとも災難だと思っていなさそうな明るい表情の凛は、心底可笑しそうに笑った。一瞬腹立たしくは思ったものの、あまりにも楽しそうなのでつむぎも結局つられて笑ってしまった。
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