026:仕返しのキスは内緒のはずだった

「あれ…」


薄明るい早朝の部屋。アラームの前に起きたはいいもの、自分が普通にベッドの上で目覚めたことに違和感があった。


徐々に昨晩の記憶が戻ってくる。

二人で映画を観たのだ。強がって観始めた苦手なホラー映画だったが、中盤以降の恐怖シーンでは、それまで意識して避けていたはずの凛の腕にがっしりしがみつく始末。…でもって、終盤の記憶が曖昧である。ベッドに自分で入った記憶もない。


(途中で寝ちゃって…凛に運んでもらったんだ)


突然けたたましく鳴り出したスマホのアラーム音にベッドから転げ落ちそうになり、慌てて止める。

心臓が早鐘を打っているが、これは大音量のアラームに驚いただけで決して凛のことではない。どうやって運んでもらったのか――お姫様抱っこだったのかな、とか想像しても別に…、


(いや、何を想像してんだ)


つむぎは両手でパタパタと自分の顔を扇いだ。

コンコン、とノックの音がした。


「つむぎー。起きて」


ドアの向こうから凛の声がする。

今日は土曜日で、学校もない。先週末は起こされずに放って置かれたのに、なぜ起こしに来たのだろうか。


ドアノブを押すカチャ、という音と同時につむぎはベッドに潜り込む。咄嗟に寝ているふりをしようと思ったことに重大な理由はない。夜中に騒いでいた修学旅行生が先生の足音を聞きつけて寝たふりをするような、そんな反射的なものだった。


「つむぎ。起きて」


足音と共に近づく凛の声。


「…ねぇ、何かされるの待ってる?」


(は?)


「起きてるんでしょ。何で狸寝入りー?」


何故分かったのだろう。しかし見破られて起きるのも決まりが悪いので、寝たふりを続行するつむぎ。

その直後だった。耳元で最大音量のアラームが鳴る。


「ぅわぁぁぁぁっ!」


思わず飛び起きたつむぎ。バッと横を見ると、凛は満足げに手にしていた自分のスマホを操作して音を止め、それからつむぎに微笑みかける。


「おはよ」


「おはよじゃないわ!何なの…」


突然だった。

凛がベッドに手をついて屈み、――それからつむぎの思考が追いつくより早く、頬に熱く柔らかい感覚が触れる。

ちゅ、と控えめな音を立てて凛は唇を離す。


(……え?)


つむぎは茫然と凛を見上げる。頭が働かない。


「これは見返り。寝こけたお前をここまで運んだ分の、ね」


「…みかえり」


「そ」


凛は親切にも部屋のカーテンを開けながら頷いた。


「……ありがとう」


「え?」


戸惑ったように振り返った凛につむぎは慌てて言う。


「は、運んでくれたことに対して、だから!!」


凛はくすりと笑う。


「…なぁんだ」


「なんだとはなんだっ!まさか、寝てる時にキ…こんなことしてないよね…!?」


つむぎに投げつけられた枕を平然とキャッチして、凛は答えた。


「まさか。その反応が面白いんだから」


完敗である。

つむぎは何も言い返せずに頭を抱えた。



♦︎



起き抜けにあった一連の出来事と大混乱の反動なのか、つむぎはその後、ここ数日稀に見る程の落ち着きを取り戻していた。


凛がつむぎを早い時間に起こしに来たのは、午前のうちに凛が出かけるためだった。出かける、とは言ってもマンションから徒歩数分の、凛がしばらく留守にしているアパートに戻るだけだが。

今日は新しいエアコンの取り付け工事。凛との短い同居もとうとう幕を下ろす。


「ただいま」


用事を終えて戻ってきた凛。


「おかえり、エアコンどうだった?」


「前のより音も静かだし、効きも早くて最高」


「そっか」


「…何て顔してんだよ」


「へ?」


急にわしゃわしゃとやや乱暴に頭を撫でられる。昨日まであんなに警戒していたつむぎだが、今は素直に凛の手を受け入れていた。

いくら表情に出やすいつむぎとはいえ、ほんの少しの寂しさを汲み取れるのは幼馴染みの凛だからこそだ。


「毎日会うし、週末はここ来るのに」


「分かってるよ」


凛は何ともなさそうな顔で、全くいつも通りに見える。…見えるだけで、少しは寂しいと思ってくれているのだろうか。つむぎにはよく分からない。




凛は荷物をまとめ部屋を掃除し、そしてつむぎも自室にしばらく篭り残っていた夏休みの課題を片付けているうちに、いつの間にか部屋は薄暗くなっていた。レースカーテンの向こうから夕方の赤い光が差している。


電気をつけたついでに何か飲もうと部屋を出たが、オレンジ色に染まったリビングには誰もおらずしんと静まり返っている。冷蔵庫の麦茶をコップに注いで飲み干すと、つむぎは廊下に出て凛の部屋のドアをノックした。


「凛?入るよ」


ドアを開けると、部屋は整然と片付いている。…と言っても凛はそもそもほとんど荷物を持ってきていないし綺麗に使っていたため、特段景色は変わらない。

凛はというと、部屋の隅に畳まれた寝具に寄り掛かるようにして、膝を抱えて眠っていた。


つむぎは音を立てないよう、そろそろと近づいていって凛の隣にしゃがみ、寝顔を覗き込む。目を閉じている凛のその睫毛は、いつもより余計に長く見える。つくづく綺麗な顔立ちをした幼馴染みだ。

見慣れたはずの目鼻立ち整った顔に、つむぎは少しの間見惚れていた。


凛はこの家にいる二週間もの間、居候の身でだらしなくできないからと自力で早起きをしていた。だからこの寝顔を見るのは久々だ。


だんだん、何かが変わっていくのを自覚している。


凛が笑うと、見つめると、触れると、それだけで鼓動が速度を増す。

今だってそうだ。こうして至近距離にいると、朝のことを思い出したりなんかして顔が火照ってしまう。


凛はいつか、男として意識しているかと言った。あんな態度を取られたら…誰でもするに決まってる。

だけど、それだけ。それだけで留まる感情。


(これはただの仕返し)


つむぎはゆっくりその顔を凛に寄せ、…髪に口づけをした。


その直後。

つむぎは強い力で羽交い締めにされた。

何が起こったのか分からなかったつむぎは、遅れて状況を理解する。てっきり寝ていると思っていたはずの凛に、抱きしめられていた。


「り…ん…?」


あまりにも驚いたつむぎは掠れた声で呟く。脱出しようともがき暴れることも忘れていた。

頭を凛の胸の辺りに押し付けられるような形で抱きしめられて、心なしか速い凛の心音が微かに聞こえる。…いや、自分の心音だろうか。


「つむぎ。何もしないから…これ以上は何もしないから、逃げないで答えて」


凛はつむぎを解放したかと思うと、今度はつむぎの両手を握る。

恥ずかしくて逃げ出したくて、つむぎは顔を背けた。


「逃げないで。顔こっち向けて」


いつになく落ち着いた真剣なトーンに、つむぎは恐る恐る凛の方を向いた。

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