025:いがみあう二人

晩ご飯のメニューは二人して散々悩んだ結果、餃子に決定した。

二人で自宅の最寄駅から程近いスーパーにて買い物を済ませ、家路につく二人。


「餃子パーティーかぁ」


うきうきとしながら声を弾ませるつむぎに凛が聞き返す。


「パーティー?」


「そうだよ、晩ご飯が餃子の日は餃子パーティーって言うの」


「へぇ」


その凛の短い返事は、いつもの気怠げで無関心な感じのものではなかった。つむぎがちらりと見上げると口角をほんの少しあげて微笑んでいて、その綺麗な横顔をいつまででも眺めていたくなった。


マンションに着き、部屋の前でばったり会ったのはちょうど隣の部屋から出てきた翔真だった。


「つむぎ先輩!…と、芹宮さん、こんばんは」


いつもは誰にでも分け隔てなく礼儀正しい翔真。しかし今、つむぎと凛の名前を呼ぶ声音に心なしか温度差を感じて、つむぎは不穏な気持ちになった。…いや、ただの気のせいかもしれない。


「こんばんは、翔真くん」


「先輩のところ、お母さんがお帰りになるのは明日でしたっけ」


「うん、明日の…」


「鮎村くんが何で知ってるの?」


つむぎの言葉を遮って凛が尋ねる。普段ポーカーフェイスの凛なのに、今回ばかりは不機嫌を隠そうとしない。


「あぁそれ今朝、凛に一階で待っててもらって忘れ物取りに戻ったでしょ。その時にたまたま会って…」


悪いことをしたつもりはないのに、何故か弁解がましく説明しているつむぎ。翔真も付け加える。


「毎週、俺とつむぎ先輩のお母さんのゴミ出しの時間が被るんですよ。今朝はいらっしゃらなかったので。…あ、それより先輩、俺たちも今夜両親不在なんです。良かったらご飯一緒にどうですか」


「私はいいけど…」


凛の方を見ると彼は、はっきりと不快感を顔に出して言い切る。


「無理です」


緊迫した状況だというのに、つむぎは思わず吹き出しそうになって堪えた。冷静で穏やかな凛が柄にもなく喧嘩腰なのが見ていて面白かった。


「悪いけど材料だって二人分しか買ってないんだよね」


「へー、ちなみにメニューは何ですか?」


翔真は完全に凛を無視し、つむぎの方を向いて尋ねる。


「餃子…」


「わー、奇遇!俺のところも昨日餃子だったんです、材料なら余ってます」


「へー、それ二日連続餃子になるけど?」


凛がすかさず茶々を入れる。


「望む所です、俺餃子大好きなので」


「…すずも好き」


三人は声のした方へぱっと目を向ける。いつの間にかドアの隙間からこちらを眺めていたすずらんはさらに続ける。


「つむぎちゃんと、りんくんと、いっしょに食べたいな」



♦︎



二人の終わりそうになかった戦いをたった一声で収めたすずらんは今、つむぎの膝の上で一生懸命餃子を包んでいた。


「どう?」


「上手!中身は何?」


「チーズとー、チョコ!あとお肉」


「…そっかぁ!」


食卓には餃子の皮、そして餡だけでなく変わり種のチーズやら枝豆、かぼちゃ、チョコレートにマシュマロが並んでいる。無難な組み合わせを選ぶつむぎたち三人の傍、すずらんは危なそうな組み合わせにトライしている。とにかく好きな物を詰め込んでいるらしい。


「ごめんなさい、俺が全部食べるので…」


「え、何で!すずが食べるの」


「はいはい」


皮が三分の二ほど無くなったところで凛が立ち上がってキッチンへと向かい、作った餃子を焼き始めた。フライパンに水を入れる時のジューッという音が聞こえてきて、しばらくすると見事に焼き上がった餃子が大皿に乗った。つむぎたちも全ての餃子を包み終わり、食卓を綺麗に拭いて食器を並べ始めた頃だった。


「うわー!焼くの上手いね、凛」


「ありがと」


丸く配置されてこんがりと焼けた餃子からは香ばしい匂いが漂い、何とも美味しそうだ。


揃って席につき、晩ご飯が始まった。

早速自分の包んだ餃子を凛に教えてもらい、一口食べたすずらんは首を傾げた。


「…何か、変」


「だろうね。ほら、お兄ちゃんにちょうだい」


「でもおいしい気がしてきた!」


「え?」


そのまま一つ完食するすずらん。凛は彼女に尋ねる。


「俺にもくれる?」


「いいよ!」


凛はすずらんの作った餃子を口に入れる。


「…どう?どう?」


「美味しいよ、すずらんちゃん」


「でしょ!」


微笑んで頷いて見せる凛。本当に美味しそうに食べたけれど、凛は思ったことと逆の表情を作ることが可能なのであまり信用はできない。

つむぎもすずらんに許可を得て一つ貰ってみた。

…なるほど、食べられなくはなかった。



♦︎



入浴が済み、上がろうと思ったつむぎは風呂場のドアに手を掛ける。


「待ってつむぎ」


ドアの向こうの洗面所から凛の声がして、同時に数センチ開けた所だったドアをぴしゃりと閉められた。


「…あ……」


凛がドアを挟んだ先にいることに気がついていなかったつむぎはびっくりしてドアノブから手を離し、一歩後ずさった。凛は言う。


「ごめん、ついでにキッチンのタオルの替えってどこか分かる?」


「えっと…上の扉の、左の棚」


「おっけ、どうも」


凛が洗面所から出て行って、さらに十数秒が経ってからつむぎは恐る恐るドアを開けた。


(あっっぶな……)


凛が気づいてくれなかったら、絶対に事故が起こっていた。


パジャマを着て、髪はまだ少し濡れたままリビングへ向かう。凛はテーブルを拭いていた。


「凛、結局後片付け全部やらせちゃってごめんね」


「いいよ、全然。俺もお風呂入ってくるね」


「うん」


つむぎは凛の後ろ姿を見送ると、ソファに座った。テレビをつけたはいいものの、特に気になる番組は見つからない。


(凛、怒っては…なかったよね)


翔真と散々言い合ってあんなにも一緒に食事をするのを拒否していたけれど、結局はすずらんの鶴の一声で凛が譲る形になった。

とはいえ料理や食事の間も、そして今も不機嫌そうな様子は見られなかった。


しかしそれより気になるのは、なぜ会うのが三度目かそこらの彼らがあんなにいがみ合っていたのか、である。


確かに凛は、昨夜からの約束だった今日の晩ご飯を楽しみにしている様子ではあった。とはいえまさか、あの他人に興味がまるでない、普段は言い合いすら面倒臭がって放棄し譲ってしまう凛があそこまでこだわるとは思わなかった。翔真も同様、自分の意見を押し通そうとするところなどかつて見たことがない。

馬が合わない、というのは彼らのようなことを言うのかもしれない。


しばらくすると、凛が風呂から上がってリビングに戻ってきた。手にはドライヤーを持っている。


「つむぎ」


「…はい」


嫌な予感がして、つむぎは凛の顔と手に持ったドライヤーを交互に見る。


「ここ座って」


凛は食事の時につむぎが座っていた椅子を指して、すぐ真横の壁のコンセントにプラグを差した。


「大丈夫、自分でやるから…っ」


「どうせ暑いし面倒だからって放置する気でしょ」

「違う、やるから!自分で!」


「なら何故俺が上がっても髪濡れたままなの」


凛の目が一気に冷たくなる。怒っていないと思っていたのは間違いだったかもしれない。


「…やっぱり翔真くんたちと一緒に食べることになったの、嫌だった…?」


恐る恐る尋ねると、凛は答える。


「そんなことないよ。普通に楽しかったし。…つまらなさそうにしてた?俺」


「いや、そうじゃないけど…」


つむぎは凛の射抜くような視線に逆らえず、結局は凛の引いた椅子に腰掛ける。

ここのところ、駄目なのだ。凛の手が髪に触れるのが。

凛はつむぎの髪を指で掬うように撫でながら、ドライヤーの風を当て始めた。


「熱くない?」


「平気」


背筋がぞわぞわする。微動だにせず、されるがままつむぎは座っていた。


「…嫌そうだね、つむぎ」


ドライヤーの音に紛れ、凛の呟く声。


「…嫌だよ」


「昔は喜んでたのに」


「そうなんだけど」


凛が手を動かした拍子に指がつむぎの首を擦り、肩が跳ねる。いちいち過敏になっている自分が嫌になる。

小慣れたような器用な手つきでつむぎの髪を完璧に乾かした凛はカチリと電源を落とす。リビングには静寂が訪れた。

ふわふわのサラサラになったつむぎの髪を凛は手櫛で梳かした。その手から逃げるように頭を動かすつむぎ。


「つむぎ?」


突然横にしゃがんだ凛は、覗くようにつむぎの俯いた顔を見上げた。


「こっち見て」


「近いから」


つむぎが立ち上がろうとすると、凛がすかさずつむぎの額を抑えた。


「え、…ん…?立てない!」


…大して強い力で抑えつけられているわけでもないのに、驚いたことにたったそれだけで本当に立ち上がれなくなった。どんなに足を踏ん張っても凛の腕はびくともしない。


「凛、手が邪魔!」


「顔赤くしてるから熱でもあるのかと」


「ちが…これは凛が髪を」


「髪を?」


墓穴を掘ったつむぎは口を閉ざす。

何も言わないつむぎに凛は言った。


「紫藤には頭触らせて鮎村くんとは目を合わせるくせに、俺は駄目?」


「…緊張するの」


つむぎは消え入りそうな声で正直に白状する。


「凛が髪に触ると、なぜか」


「へぇ」


凛は目を細めて笑う。

不意をつかれた様子もなく、まるで知っていたかのように――わざと言わせたようにすら見える。

凛はつむぎの額からやっと手を離した。


「そうだ、俺観たい番組あったんだった」


つむぎは無言でテレビの電源を入れて、映画のやっている局に変えた。昨年公開された邦画で、地上波初放映らしい。


「あれ、よく分かったね」


「分かるよ。主演、氷室ひむろしずくくんでしょ」


氷室雫は若手の実力派俳優。幼い頃から芸能活動をしており、彼が四歳の頃に出演したあるテレビドラマをきっかけに天才子役としてその名前を馳せた、今では日本で名前を知らない人はいないであろう有名な役者だ。

凛は幼い頃からこの俳優の大ファンなのである。


「もうすぐ雫くんの主演でまた映画やるんだっけ。その公開記念だよね、これも」


「そうそう、番組終盤に予告映像流れるらしい」


「へー」


流れで何となく隣り合ってソファに座ったが、今更移動するのもあからさまに避けているようで感じが悪い。諦めたつむぎは縮こまって膝を抱えた。

始まって数秒、凛は「あ、そうだ」と呟く。


「因みに今からやるのホラーだけど」


「え」

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