024:目を合わせて貰いたい幼馴染み

「つむぎ、おいで」


「?」


大人しく凛の言うことを聞いて、そばに寄るつむぎ。凛が頭の上に腕を伸ばした時、つむぎは思わず硬直した。

凛はくすりと笑い、「そんなにビビらなくても」とつむぎの髪に触れる。

今日は下ろしっぱなしにしている、胸の辺りまであるつむぎの髪を凛はゆっくりと指で梳いた。その骨張った細い指にぞくりとする。


(…ぞくり?)


変な感覚だ。不快ではないけれど、そわそわと落ち着かない感じ。

凛に髪を触られるだけで妙に緊張するのは初めてだった。原因の心当たりといえば、二回だけキスをされたこと。あれからというもの、頭に触れられると変に意識してしまう。

……いや待て、なぜ今髪を触られているのか。ここは学校の廊下。オレンジ色をした黄昏時の光が差し込む、午後六時前。


「り、凛…?」


「取れた。これ、スズランテープ」


「へ?」


間の抜けた返事をして、つむぎは凛の手の中に視線を移す。透明な青のスズランテープの切れ端だった。今日の作業で使った物で、細い切れ端は静電気であちこちにまとわりつく厄介者だ。


「気づかなかった。ありがとう」


なんだ、と安堵すると同時に、一人でドキドキしていた自分が恥ずかしくなった。


「つむぎ?こっち見て」


「え」


反射的にパッと凛と目を合わせたが、すぐに逸らしてしまうつむぎ。


「つむぎ…?」


「な、何」


もう一度視線を戻しても何故だか、やっぱり直視できずに逸らす。つむぎは両手で顔を覆った。


「やめて、何か恥ずかしいから」


「…ねぇ」


「ひぁっ」


突然の耳元の囁きに、つむぎは意図せず変な声を出す。自分で視界を遮ったせいで、顔を寄せられたことに気づかなかったのだ。つむぎは顔を覆ったまま、身体を縮こまらせて後ずさる。


「ここのところ、あんまり目を合わせて貰えないんだけど。無意識?それとも気づいてた?」


つむぎはふるふると首を横に振って否定する。言われてみれば確かに、思い返すと凛の横顔ばかりが脳裏に浮かぶ。言われるまで、自分でも知らなかった。


「…まぁいっか。ほら行くよ」


凛が先頭を切って歩き出し、つむぎはやっと手を下ろして後に続く。するといきなり凛が立ち止まって振り返り、つむぎは咄嗟にそっぽを向く。


「あははっ、それ…っ」


「!」


滅多に聞くことのない凛の笑い声。

あまりの珍しさにつむぎはそれまでのことを忘れ、可笑しそうに笑いだした凛をまじまじと見つめてしまった。大笑いしているその表情はいつもより若干幼く見えて、昔の面影が残っている気がする。


「悪戯の見つかった猫みたい…」


「…変な例え」


何がおかしいのか、笑いが収まらない様子の凛につられてつむぎまで笑いがこみ上げてくる。


「え、ちょっと!?」


向こう側から走って来たのは緋凪。「廊下は走るなよ」と後ろから注意する柊一郎を無視してつむぎたちの所まで来ると、凛をまじまじと見つめた。


「今、芹宮の笑い声が聞こえた…!」


「気のせい気のせい」


そう適当にあしらう凛は笑い終わって普段の無表情に戻っていたけれど、つむぎは自分にだけ見せたその笑顔が脳裏から離れなかった。



♦︎



「ねぇつむつむ〜」


つむぎはぎょっとして蓮音の方を見る。


「…え、それやっぱり私?」


「やだ?」


「嫌だよ、人をスマホのゲームみたいな呼び方しないで」


「分かったって、ごめんごめん」


久々に校門の閉まるまで居残ったその日の帰り道。

先頭では柊一郎と凛が真面目に話し込んでいて、その後ろでは先輩二人と緋凪が談笑し、そして最後尾にはつむぎと蓮音が並び少し遅れて歩いていた。


「凛くんのコンプレックス、ってつむぎちゃん知ってる?」


つむぎは首を傾げる。


「午前中に校舎を見て回った時にさ、例の如く騒がれるじゃん。人気者の凛くん」

「うんうん」


午前中にクラスの活動に参加していた緋凪が、凛たち二人が教室に訪れた際、いかに盛り上がったのかを事細かに教えてくれた。凛に会うのは終業式以来だったクラスメイトもいたようで、それはまさしくお祭り騒ぎだったらしい。


「だから嫌味抜きで、自分の外見で気に入らない所なんてないでしょ、って聞いたの。そうしたらさ、あるけど絶対に見せないって…見せない、ってことは普段見えない所?気になってさぁ」


「あ〜」


「え、知ってるの?」


「私はむしろ好きだけどなぁ」


つむぎは笑って言った。

幼馴染みだから、知っているに決まってる。


「こっそり教えて?」


「やだ」


「えー!何でよ!」


ちなみに、そのコンプレックスとやらをつむぎはついさっき見たばかりだ。自分だけが秘密を知っているようで、少し嬉しかったりする。


「そういえばさ」


蓮音は思いついたように言った。


「突然だけど、もし何か嫌なことあったら凛くんとか、僕とか緋凪ちゃんとかに言うんだよ。先輩でも先生でも…」


「どうしたの、急に」


突然だけど、の前置きすら突然すぎてつむぎは訳が分からず目をぱちくりさせた。


「別に、何となく」


「うん…?分かった」


つむぎは蓮音の横顔を見上げるが、特に変わった様子は見られない。何か嫌なこと…?


「…もしかして、私が陰口言われてるの聞いた、とか?」


明からさまに言い当てられたように言葉を失う蓮音。


「言っておくけど、それ昔からよくあることだし、完全に慣れきってるの。安心して」


「え?」


「どうせ凛のことが好きな子たちの焼きもちでしょ?凛はモテるから仕方ないし、だからといって面と向かって何も言われてない私は、凛と仲悪いふりなんてする気はない」


つむぎはきっぱりと言い切った。

たまに偶然陰口を聞いてしまうと多少しょげたりはするけれど、何より凛がいつも言ってくれたのだ。つむぎに非は一つもないし、どこか直す必要もない、と。

蓮音は驚いたように間を置いて呟いた。


「…凛くんも同じこと言ってた」


「えへへ、本当?…あ、でももし私に直すべきところがあったら言って欲しい…」


自信なさげにそう言ったつむぎの頭を、蓮音はぽんぽんと撫でる。


「ないない。つむぎちゃんはつむぎちゃんのままでいいよ」


「それならいいけど…」




「つむぎ」


「はい」


突然呼ばれたつむぎは、声の方にくるっと顔を向ける。声の主は、最前列の方で柊一郎と歩いていたはずの凛だった。


ふと前の方を見ると先輩三人が固まっていて、遅れてついて行ってたはずの二人の横では凛と緋凪が歩いていた。


「冷蔵庫に何もないから、買い物して帰ろう」


「!?」


今なぜその話を…と内心で抗議すると、緋凪と蓮音は「なになに?」と面白がるようにして耳をそばだてている。


「…そうだね」


「何が食べたい?」


「ちょっと、凛」


つむぎは小声でそう言って凛の制服の裾を引っ張り、目で訴える。何で今、この二人の前でそんな話をふっかける?


しかし凛にそんなつむぎの必死の訴えが届かないのか、それとも分かっているくせに面白がって知らん振りをしているのか(おそらく後者だ)、「どうしたの」とにっこり微笑み、あろうことか服を掴んでいたつむぎの手に凛の手を重ねた。


「り……っ!?」


つむぎは飛び上がって凛と距離を取り、緋凪の後ろに回る。


「つむぎ、あたしを盾にしないの。全くあんたたちは」


笑いながらつむぎを宥める緋凪。


「二人で買い物ね〜。君ら新婚夫婦なの?」


蓮音まで無邪気にそんなことを言ってからかう。


「もう、本当にやめてってば……!」


つむぎは赤くなっているであろう顔を隠すように緋凪の腕にしがみつき、その肩に顔をうずめていた。


「つむぎちゃん、ちゃんと前見て歩かないと転んじゃうよー?」


「〜〜っ!」


どんなに顔を隠そうともその真っ赤な耳だけは隠せていないのを、周りの三人は微笑ましく思ったのだった。

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