023:凛くんの方がべったり
今日も朝から、あちこちの教室で文化祭の準備が進められている。垂れ幕やポスターの作成、特に二年生、三年生のエリアでは衣装や小道具を作るため、集まっている人数が多い。
部活を中抜けしてクラスの活動に参加しに来ている人も少なからずいるようで、ユニフォームや道着を着た人が教室にいる光景は新鮮だ。
凛と蓮音はカメラを持って、学校中の文化祭準備や、部活動の様子などを撮影して回っていた。
TwitterやInstagramなどのソーシャルメディアを活用して文化祭を広報するのは、今の時代ではどの学校も当たり前。生徒会が学校の公式アカウントを運営しており、それに掲載したり、または学校のホームページに載せたりするための写真を撮っている。
「凛くんさ、最近つむぎちゃんの所で暮らし始めてから顔色良くなったね」
構内を回る最中、唐突に蓮音が言った。
「あー…そう?朝も昼もまともに食べてるからかな。夜更かしもしてないし」
蓮音に言われるまで特にそんな自覚はなかった凛は、思い当たる節をいくつか挙げる。
「まーそれもあるだろうけどさ。最近、ちょっと楽しそう」
「…何だそれ」
凛はふっと口元を緩めて笑う。蓮音はすかさず嬉しそうに言った。
「そうだよそれそれ!凛くん、最近笑ってくれるの!」
「え」
そんな指摘に、凛は思わず笑顔を収めてしまう。いつもの無表情モードに戻った凛は問う。
「そんな笑わないっけ、俺」
「僕には全然。絡んでくる女の子にさえ、ニコってしてあげるくせにさぁ」
「それは最低限の愛想だよ。険のある態度取って煙たがられるのも良くないし」
とはいえ昔なら、仲の良くない人にはかなり冷たい態度を取っていた凛。ある日度が過ぎてクラスメイトを泣かせた際、つむぎにこっぴどく怒られてからは愛想笑いを覚えた。
「それに…」
突然足を止めた凛と蓮音。
廊下の曲がり角の向こう側から聞こえてきた会話の中で、「瀬名さん」の名前が出てきたのだ。
二人は顔を見合わせて、立ち止まったまま耳を澄ませた。
「…だよねぇ、分かる」
「うちらの前では大人しいし、ちょっと人見知りみたいな感じなのに。芹宮くんにだけは妙に懐いてまとわりつく感じ」
「んね、だって瀬名さん、蓮音とも割と仲良くない?あんな清純ぶって男好き?」
くすくすと、憚るような嫌な笑い声。
「まぁ緋凪はさ、みんな平等にフレンドリーだしあのノリだからいいとして。瀬名さんはちょっと無理、空気読めよーって思う」
我慢の限界に達した凛は、焦った蓮音の制止も振り切ってつかつかと歩いていく。
「あの」
曲がり角から突然姿を現した凛に、集まって談笑していた女子数人が息を飲んだ。
「ちょっと、凛くんってば…」
その後ろからさらに現れた蓮音は困ったように凛の肩に手を置いたが、凛は至って穏やかに微笑んで彼女たちに尋ねる。
「ごめんね、何かつむぎが迷惑かけたかな」
「い、いや!そんなことないよ。ね」
「うん、全然」
へらへらと笑ってシラを切る彼女たち。
「そう。ならいいけど」
「じゃあ」と彼女たちの横を通り過ぎてその場を後にする凛。蓮音も「またね」と笑って手を振り、凛を追う。
しばらく歩いてから、蓮音は言った。
「良かった、凛くんキレるのかと思った」
「そうしたい所だけど逆効果でしょ、火に油注ぐだけ」
「うん、あれがベストな対応だったと思うよ。どうせまともに注意したって、陰口はこの世から消えないし。…昔からああいうの、多いみたいだね?その慣れてる感じ」
「昔からだよ。さすがにつむぎ本人も、気づかないはずないだろうけど」
目立つ外見のせいで今まで、多くの人から好意を寄せられてきた。けれどいい事なんて一つもない。比例するようにつむぎが傷つけられるのだ。
凛のいる手前、陰口のみで露骨な嫌がらせはない。それなら離れ離れだった中学時代、つむぎは一体どんな仕打ちを受けたのだろう。少し前の夏祭りの日を思い出した。かつての同級生と対峙する、傷ついた表情のつむぎ。
「あ、ちょっと凛くん。つむぎちゃんと親しくしない方がいいんじゃないか、なーんて考えたでしょ」
「考えないよ、例えつむぎがそれで良くても俺は絶対に嫌。そんな出来た人間じゃないんだよ」
それに今更そんなこと始めたら、つむぎはかえって怒るに決まっている。外野のせいで大事な幼馴染みとの仲を壊されるのは許せない。
だからせめて凛ができることと言えば、つむぎ以外の人にも愛想良くして、たまに今のように牽制するだけ。我ながら自分勝手だと思うけれど、つむぎとよそよそしくなるのは考えられなかった。
「案外、凛くんの方がべったりなんだよなぁ」
ぼそっと呟いた蓮音のその言葉が聞き取れず、凛は聞き返した。
「何か言った?」
「ううん、何でもない。まぁ嫉妬しちゃう側の気持ちも分かるよね。例えばつむぎちゃんが僕に独占されたら、凛くんも許せないでしょ?」
笑顔で凛を見上げた蓮音は、殺気立った凛の表情に一瞬で青ざめる。
「例えばだってば…そんな怖い顔しないでよ凛くん…」
「嫉妬…よりかは憎悪、いや唾棄?」
凛はカメラを掌の上で弄びながら呟く。蓮音は冷や汗を浮かべてすっと凛から離れると、脇の騒がしい教室を覗いた。
「ここの教室人いっぱいいるよ。あ、ノノカちゃん」
教室に足を踏み入れるなり、蓮音は近くにいる女子に手を振った。学年関係なく、どのクラスに行っても大抵一人か二人は知り合いの女子がいる蓮音。 いくら同じ中学出身の生徒が多いとはいえ、その女子限定の人脈の広さには感心すらする。
入学してすぐの頃、やけに女友達が多く見るたび別の女子を連れている蓮音には不信感を抱いていた凛だが、第一印象ほどは悪い奴ではない彼に心を許し始めていた。
今もそう、半分呆れてはいるもののどのクラスにも顔が利く蓮音に撮影の交渉などは任せっきりで、凛はすこぶる楽な思いをしている。
「おー、蓮音じゃん。何の用…って、えぇ!?芹宮くん!?」
彼女の悲鳴に、教室中に散って作業をしていた人達が一斉に凛たちの方を見る。あちこちから歓声が沸き、名前を呼ばれ手を振られ、どうしていいのか困った凛はとりあえず曖昧に笑う。
代わりに蓮音が教室に向けて声を張った。
「みんな、中断させちゃってごめんね。広報のための写真を取りたいから、作業を再開して欲しいんだ。あ、写真NGだよーって子いたら、顔映らないように後ろ向いたり、一瞬避難してくれる?」
「芹宮くんも一緒に写ろうよ!」
「ごめん、俺はカメラ係だから」
凛はこの小一時間で何度繰り返したか分からないその文句で断ると、作業風景を数枚の写真に撮る。
「ありがとねー!」
「ありがとうございました」
教室を出て、歩きながら撮った写真を確認する凛。蓮音が横から覗き込んだ。
「いい写真。今のクラス、人数もそこそこいたし何やら彩り華やかな装飾作ってたし、インスタにはいいかもね」
「だな」
次にやってきた隣の教室は、凛のクラスである。
「おー、紫藤に芹宮!生徒会ご苦労」
「緋凪ちゃん!」
真っ先に出迎えた緋凪は頬のあたりに絵の具をつけていた。午前は生徒会の活動を少し抜けてクラスの活動に参加する、と昨日のうちから断りを入れていた緋凪。凛も数日前にクラスの方に参加したばかりだ。
先のクラスと同様に凛がカメラを構え、その風景を写真に収めた。
「お疲れさん、昼休みからそっち戻るって先輩にも言っといて」
「おっけー、頑張ってね」
緋凪から伝言を預かり教室を出たところで、不意に蓮音がぼやいた。
「どこのクラスも進んでるよなー…僕のところ以外」
全クラスを見て回った所、蓮音のクラスだけ一段と準備の進みが遅いのは凛も気がついていた。
「企画書も苦労してそうだったよね」
「そうそう。昨日かな、やーっと実行部から承認ハンコ貰えたらしいけど」
「昨日か…ギリギリだな」
一年生は一律、模擬店で食品を取り扱うことになっており、したがって保健所への届け出を九月の頭にする予定だと聞いている。クラスによっては綿菓子の機械やら鉄板やらを外部の事業からレンタルしなければならないため、準備の遅れは許されない。
週末を挟んでもう一週間過ぎれば、八月最後の週に突入する。
とうとう夏休みも終わりが近づいて来たというのに、窓の外の鮮やかな青と真っ白な入道雲を見る限り、永遠に夏が続く気がした。
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