018:それ以上望まない

いつの間にか、夏休みは折り返し地点へ。

とは言え、今年ほど夏休みの感覚がないのは初めてだ。文化祭前の繁忙期である生徒会は、お盆と土日を除いて毎日活動がある。夏休み前半は早く帰れた日もあったものの、最近は夕方までみっちり仕事がある日も増えた。


今日も今日とて、朝からつむぎは凛の暮らすアパートへ向かう。

一段と暑い日だ。天気予報では予想最高気温が37度と、冗談みたいなことを言っていたけれど間違いなさそうに感じる。現在朝七時の段階で、蒸し暑さと熱射が半端じゃない。


なるべく日陰を通りながら凛の部屋の前に着き、鍵を回した。インターホンは鳴らしてもどうせ起きないことを学習したので、最近はもっぱら遠慮もなく家に入る。


ドアを開けた時、その異変に気付いた。いつもは暑苦しい屋外から部屋に入ると、心地よく涼しくて生き返るような心地がする。けれど今、蒸されたような熱気が身体にまとわりついた。


「あっつー…凛?何で冷房…」


凛はいつものベッドの上にいなかった。

さっと血の気が引いて、辺りを見回す。凛はキッチンの端でぐったりとうずくまっていた。


「凛!ねぇ、凛!?」


つむぎは慌てて駆け寄る。凛は目を閉じぐったりとしている。両手で彼の首と頬を触る。熱かった。


「……つむぎ…?」


「凛、しっかりして。どうしたの」


「水欲しい…」


つむぎは立ち上がり、冷蔵庫からペットボトルの水を出した。キャップを開けて凛に飲ませる。


「…ありがと」


「立てる?」


つむぎは凛に肩を貸し、とりあえずベッドへ連れて行った。


「凛、とりあえずエアコンつけるよ?」


「壊れた…昨日の夕方から」


まずいな、とつむぎは思った。限りなく熱中症っぽい。


「症状は?」


「……気持ち悪い。あと、頭痛い…」


どうしよう。熱中症は命に関わる。死ぬの…?病院?救急車?意識はあるし自力で水も飲める。

目を閉じたまま苦しそうな呼吸を繰り返す凛の前髪をそっとかきあげる。不自然に汗をかいていない。


「…明け方頭痛で起きて……何か飲もうとしたところまでは覚えてるんだけど…」


「いいよ、喋らなくて」


つむぎは洗面所からタオルを持ち出して濡らすと、冷凍庫から取り出した保冷剤に巻きつける。凛の首元に当てて、もう一度水を飲ませる。


泣きそうになりながら家に電話をかけると、すぐに母がやってきた。


「凛くん、少し頑張って外に出れる?とりあえず冷房の効いた家に連れてくわよ」


ほどなくして凛を自宅へと連れ帰ると、一番涼しくしてあるつむぎの部屋のベッドに寝かせる。たまたま冷やしてあったスポーツドリンクを飲ませ、しばらくすると寝入ってしまった。

呼吸も通常通りに戻りどうにか落ち着いたみたいで、つむぎは胸を撫で下ろした。それからすぐ母は仕事へと出かけ、つむぎも遅刻にはなるけれど学校へ出かけた。



♦︎



幸運にも――というより、一刻も早く帰りたいつむぎを気遣って、久々に早めに終わった生徒会活動。ほとんど駆け足で帰ってくると、凛の眠る自室へ直行した。


凛は朝と同じ格好で眠っていて、…だけど脇に置いてある水とスポーツドリンクはちゃんと減っていた。


「…つむぎ」


凛が目を開け、それから上半身を起こした。朝よりもかなり顔色が良くなっている。


「ごめん、色々と。…つむぎのベッドも借りちゃったし」


「気にしないで。まだちゃんと寝てて」


つむぎは無理やり凛を布団に押し戻すと、凛は笑って言った。


「飽きるほど寝たよ」


「それでもだめ。…飲み物しか飲んでない?一応書き置きしたんだけど」


ペットボトルの下に挟み込んだメモ。『冷蔵庫に色々入っているから、何でも食べて』と朝家を出る前に走り書きした。


「あぁ、うん…立ち上がるのが億劫で」


「そりゃそうだよね。何か食べれそう?お粥作ってくる」


お米と水を鍋に入れ、火にかける。ぐつぐつしたら塩とだし醤油を加える。最後に溶き卵を加え、器に入れたらネギを散らす。


昔、たまに風邪をひいて寝込んだ凛につむぎの母親が作っていたたまご粥。弱った凛に何かしたかったつむぎも、一緒に手伝って作った。一人で作るのは初めてだったけれど、なんとか美味しくできた。


「…凛」


お盆に乗せたお粥を持ってくると、凛は身体を起こした。レンゲで掬って一口食べる。


「…どう?」


「美味しい。…懐かしい味」


「良かった。まだおかわりあるから言って」


「ありがとう」


凛はおかわりも完食して、バイト先に欠席の連絡を入れ、しばらくするとまた眠ってしまった。

本当によく眠る。体力を回復するには寝るのが一番だ。


凛の安らかな寝顔を見ていると、ピロンとスマホが鳴った。母からのLINEだ。

『エアコン、取り付け二週間後だって。それまで凛くんには家にいてもらおう』

つむぎは『了解』の二文字を送った。泊まるなら、隣の物置きみたいな部屋を少し片付けて布団を出すのだろう。



♦︎



『つむぎ。…今までありがとうね』


その声と同時に私の頭に手が触れ、彼の胸に抱き寄せられる。涙がこみ上げる。

嗚咽しながら、思わず口にした言葉。


『行かないで…』


彼は困ったような表情で、私の頭を撫でながら言った。


『…それはできないよ。けど手紙書くから』


『約束』


『うん。約束。…じゃあね、つむぎ』


『…待って!凛!』


遠ざかる凛の姿。


…むぎ、つむぎ。


どこからか聞こえる声。


「つむぎ!」


目を開ける。いつの間にか自分のベッドに丸まって、眠っていたようだった。ふと視線を上げるとベッド脇に座った凛と目が合う。


「…何で泣いてるの、つむぎ」


「…え」


触った自分の頬は濡れていた。


「…凛と別れた日の夢見た。久しぶりに」


凛がつむぎを抱きしめる。一瞬身体を固くしたつむぎはすぐに力を抜いて、その肩に頭を乗せる。わずかに湿った凛の艶やかな黒髪。つむぎのと同じシャンプーの匂いがした。


「…いるよ。ここに」


「行かないで。…死んじゃ嫌だ」


「死なないし、どこにも行かない。…不安にしてごめん」


「ずっとそばにいて」


つむぎの柔らかい髪に凛が触れる。

凛はちゅ、とわずかに音を立ててその髪にキスをした。寝起きでぼーっとしているつむぎには、それが夢なのか現実なのかはっきりしなかった。気のせいのような気もした。

凛の腕の中は暖かくて、また眠くなってくる。心地良くて、ずっと抱きしめていて欲しい。離さないで欲しい。


…もう離れたくない。そこにいるだけでいい。それ以上は望まない。大事な幼馴染み。


「…つむぎ、まだ眠いの?でも夜ご飯だって」


「うーん…」


つむぎはあくびをした。


「凛…もう大丈夫なの?ってか、なんで私がここで寝て…」


「俺が起きたら枕元で突っ伏して寝てたから、ベッドに移した」


「そっか。…あのね、凛しばらくここで泊まるって」


「聞いたよ、さっき帰ってきたおばさんから。…あ、先にお風呂入らせてもらっちゃった」


「そっか…」


「ほら起きて」


凛は肩に顔を埋めたままのつむぎの頬を軽くつねった。つむぎは飛び退く。


「起きたー?ほらリビング行こう」


「…うん」


急に目が覚めて頭がスッキリしてくる。

…さっき凛、髪にキスした……?

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