014:欲しいものは欲しい
二泊三日のサマーキャンプを無事に終え、凛は誰もいない無機質な一人暮らしの部屋へ戻ってきた。
荷物を置いた瞬間、高速連打のインターホンが部屋中にけたたましく鳴り響く。こんな酷い鳴らし方をする人など、ほんの数分前に別れたばかりのつむぎ以外に知らない。いつか壊れるんじゃないかと思う。
早足で玄関へ行き、鍵を開ける。凛がドアノブに手をかけるより先にドアが勢いよく開き、バランスを崩した凛はつむぎの上に倒れ込みそうになる。
すんでのところでドア枠を掴んでこらえると、何やら興奮気味のつむぎがキラキラとした目をして言った。
「今すぐ来て!」
腕を掴まれ、ぐいぐいと引っ張り出される。
「待って、ちゃんと靴履かせて。鍵も閉めなきゃ」
「早くー!」
つむぎに急かされるようにして、二人は彼女の自宅マンションの前までやってきた。
…見覚えのある青年が立っている。
「…ハル」
「おー!凛!でっかくなったなぁ。やたらイケメンやし。どっかのモデルやと思ったわ」
そう言って笑った青年は、凛やつむぎのもう一人の幼馴染み、
「モニカさんのお葬式以来かな」
「そうだね」
モニカは凛の母の名前だ。つむぎは凛の母のことをおばさんと呼んでいるし、その名前を彼が耳にするのは久々だった。
ちょうどそのタイミングで、マンションから翔真とすずらんが出てきた。すずらんは自分の小さな自転車を押している。翔真はこちらを二度見して言う。
「わ!つむぎ先輩に芹宮さん、それにケーキ屋さんまで!勢揃いじゃないですか」
「んー、僕はケーキ屋さんやないけどね」
春雪はそう笑う。けれど実家に帰るといつも店の手伝いをさせられているので、そう呼ばれるのも仕方ない。
「今からすずと二人で河原に行くところだったんですけど、一緒にどうです?」
「いいよ、行こう」
つむぎが真っ先に乗り、春雪も頷く。暇をしていた凛もついて行くことにした。
♦︎
真夏の河川敷。眩しい太陽の下、遠くの方でしゃがみ込み何か地面をいじっている様子の三人を、凛と春雪は木陰から保護者のごとく見守る。隣にはすずらんが速攻で飽きて放置した自転車が置いてある。
「いいのか凛、お前もこんなとこにおって」
「いいんだよ。暑いし」
土手の向こう側の青々とした桜並木から、蝉時雨が聞こえる。凛のあまり好まないその音は、聞いているだけで気温が二度ほど高くなるように思える。
「ははは、お前昔から暑さに弱いけど酷くなってない?」
「ハルだって」
「僕はいいのー。大人は疲れやすいんやよ」
「…おじさん」
「誰がおじさん、僕はれっきとした大学生!」
そう頬を膨らませる春雪の横顔を見る。昔とさほど変わっていない中性的な顔つき。華奢な体つきに癖のある猫っ毛。長い睫毛がくるんと上を向いている。
凛は唐突に呟く。
「…ハルってさ、女より男にモテそう」
「はぁ!?」
警戒するように、大袈裟に凛から距離を取る春雪。凛は笑った。
「そんなびびるなよ」
「凛のエッチ!」
「はいはいごめんね」
凛は投げつけられた空のペットボトルを片手で器用にキャッチしながら言った。とても六つ上で来年社会人の大人とは思えない振る舞いだ、と凛は心の中で毒づく。
春雪はいそいそと凛の隣に戻ってくると言った。
「…それこの前も友達に言われたわ。僕は男と付き合うなんてまっぴらなのに」
「何その一回は付き合ったみたいな言い方」
「お前って奴は…!」
春雪は凛の首に腕をかけてギギギと肘を曲げる。つむぎほどではないけれど、春雪も色々と分かりやすい。
「いてーよハル」
「もうお前と喋りたくない!怖いっ」
「へぇ〜。でも何で付き合ったわけ?」
「しつこい奴がいたんやよ。二日に一回のペースで迫ってくる奴が!次の日には別れたけどな!…お前もそんなキラッキラした顔ぶら下げてたら経験あるやろっ」
「あるけど。さすがに付き合わん」
「…まぁそうね。お前は」
春雪は凛をやっと開放する。
「つむぎしか見えてへんよね」
「…そういうのじゃないんだけどなぁ」
分かってないなとばかりにため息をつく。蓮音といい春雪といい、すぐつむぎとくっつけたがるのは何なんだ。
「相変わらず往生際が悪いね。まっお前は知らないか、つむぎを見ている時の自分の表情なんて」
「!?」
凛はびっくりして春雪を見る。春雪はさっきとは打って変わって、余裕そうな表情で頬杖をついている。
「愛おしそうな顔してるよ。すごく」
「…妹っぽいからだろ。…いや、娘か?」
「違うよ、分かってないなぁ」
「分かってないのはハルだよ」
「言っとくけど僕はお前のこと、胎児の頃から知ってるからね。だから凛より僕の方が凛のこと分かってる」
訳の分からない暴論を叩きつける春雪。
…本当に分かっていないのは春雪だ。
「…つむぎは春雪が大好きじゃん」
小学生の頃。きっとつむぎは、春雪のことが好きだった。それが恋愛感情のそれでなく友達としてだったかもしれないけど、多分異性の中で一番。
小学校の四、五年生あたりになるといつの間にか男子は男子どうし、女子は女子どうしで遊ぶのが普通になる。
つむぎと凛も例外ではなかった。つむぎは家の中では凛にべったりだけど、学校ではそれまでのように四六時中ついて来ることがなくなった。男女二人でいるだけで、冷やかされたり噂されたり。そんな環境だったからだ。
家では同じ布団で寝るし、あろうことか風呂も一緒に入ろうとするつむぎも外では一応、周りの目を気にしていた。
しかしつむぎの対応は、春雪一人だけは違った。たまに帰り道で春雪の後ろ姿を見かけると、周りの同級生を気にせず飛びつきに行くし。二人のところに凛が来ると、つむぎは話をやめて春雪の口を塞ぐ。
「…明らかにハルと他の男とじゃ対応が違うんだよ。つむぎは」
ハルはきょとんとして、それからくつくつと笑い始めた。
「…何でそうなんやろね、凛は。他の事には有り得んほど鋭いのに、自分のことになると鈍いというか…何というか」
「どういうことだよ」
凛は顔をしかめる。こういう風に人に笑われることなど滅多にない凛にとって、春雪の態度は軽い侮辱なのである。
「道端で飛びつくのはつむぎが僕を近所の兄ちゃんとしか思ってないし、周りもそうとしか思わないから。話をピタリと止めるのも、その話題がぜーんぶ凛のことやからね」
「…俺の?」
「ほんとやよ。ってか仮につむぎが僕のこと好きとしても、はいそうですかってそんな簡単に手放せる人やないでしょ、最初から」
「勝手に言うなよ。…つむぎが幸せに笑ってれば、俺はそれでいいの。それ以外望まないよ」
凛はあくまでも冷静に、淡々とそう言った。その気持ちに嘘は微塵もない。
「やからねぇ、凛」
春雪は凛の肩に手を置く。
「もっと欲を出していいの。凛は」
よく言われる。何度も言われたことがある。
欲がないのね、欲しいものないの、したいことないの、と。今まで沢山の大人に言われてきた。
「凛はいい子なんやよね。こーんなちっこい頃から、気を遣って気を遣って生きてきた。お母さんが頑張って働いてるから我慢して、つむぎの家で預かってもらっているから遠慮して。それが凛にとって、いつの間にか当たり前になったんやね」
春雪はそう言うと、凛の頭を撫でた。凛は今までそれを自分がされることはあまりなかったので、そわそわと落ち着かなかった。
「欲しいものは欲しいって、自分に素直になっていいの。悪いことじゃないよ。…分かった?」
凛は真面目に頷き、それから神妙な面持ちのまま言う。
「…初めてハルが年上に見えたよ」
「凛…お前な…」
その時、つむぎとすずらんが遠くから駆けてくるのが見えた。後から翔真も続く。
「りーん!ハルちゃーーん!!」
つむぎは満面の笑みで声を張り上げ、手を大きく振っている。
木陰の二人の元まで来ると、すずらんが春雪に小さな掌を差し出した。四葉のクローバーがちょこんと乗っている。
「ケーキ屋さんに、どうぞ」
「わー!いいの?ありがとうね」
つむぎもすずらんと同様、凛に四葉のクローバーを差し出した。
「凛には私から」
「ありがとう。よく見つけたね」
凛はクローバーを受け取ると、帽子越しにつむぎの頭を撫でた。つむぎは恥ずかしさと嬉しさを戦わせているような、複雑な表情で凛の手を受け入れている。
そんな彼女を可愛い、と思うのはいつものことだけど、泣いていないつむぎを意味もなく抱きしめたくなるのは初めてだった。
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