013:今までにない、この感情

「あーもう!朝から会議尽くしだなんて聞いてない!」


蓮音はそう叫ぶなり、机の上に突っ伏す。

キャンプ二日目の今日は朝食後すぐに、生徒会と文化祭実行委員の合同会議が続いた。全てのクラスと有志団体の出し物の企画書を印刷して全員に回し、問題点や改善点を洗い出していく…という地味で時間のかかる作業だ。今は休憩時間だが、半分以上の企画書が残っている。


「それより、あんたのクラスの企画。ズッタズタにされてたじゃん、コスプレカフェ」


コスプレカフェという、蓮音のクラスの企画。コンセプト自体に問題はなかったものの、メニューがオムライスやビーフシチュー、ステーキ、グラタンパイなどどう考えても高校生が出せるようなクオリティでない非現実的なものばかりで、ばっさり却下された。

店名も未定、予算も大雑把な企画書に、蓮音のクラスの大人しそうな実行委員がとばっちりを受けていた。


「知らないよ、クラスのふざけた連中が出した案なんて。そっちのクラスのは大層まともだったじゃん。ワッフルとパンケーキ、だっけ。女の子いっぱい来そうだな、いいなぁ」


つむぎたちのクラスの出し物。

店名はHallosweetsハロスイーツ、ワッフルとパンケーキと言えば可愛いお菓子が思い浮かぶが、紫や黒の生地に少し不気味なデコレーションをして個性を出す。調理や接客をする生徒は西洋のハロウィンをイメージした仮装をする。…という企画。


店名やコンセプトは大雑把にホームルームの時間を使って決めていた記憶があるが、細かいところは委員に任せっきりだったため、自分のクラスだというのに今日知ったことばかりだった。


「ハロウィンの仮装ねぇ。つむぎちゃんは黒猫とかどう?可愛いよきっと」


「黒猫ね…。とりあえず黒い服着て耳つければそう見えそうだし。楽でいいかも」


そんな話を繰り広げている一年生のもとに、三年生も割り込んできた。


「懐かしいな、俺も一年の頃は猫耳つけたぞ」


「え、橘川先輩が!?」


緋凪は食い気味に尋ねる。


「おう、猫カフェのコンセプトで全員猫になったんだ」


「懐かしいわね。私とかおるで、会長のシフトが入っている時間帯に冷やかしに行ったのよ。…確か写真が…」


「…お、おい。桃井、そんなのわざわざ…」


「ほら」


由芽がスマホの画面を一年生に見せる。そこに写っていたのは、猫耳をつけて猫のポーズしている柊一郎。…と、その首輪から伸びる鎖を握り、満面の笑みを浮かべるかおる。


一年生は思わず爆笑した。


「…当日に予定が狂って、シフトの代打を梅木に頼んだんだよな。それで借りを返せと撮られたんだ」


柊一郎は頭を抱える。かおるは写真の中と同じように笑みを浮かべ、慰めるように彼の肩をぽんぽんと叩いた。


「一年生は飲食関係、二年生は舞台発表、三年生はアトラクション系…でしたよね。今年の先輩方の出し物って何ですか?」


つむぎが尋ねると、柊一郎と由芽が答える。


「カジノだ」


「私たちはお化け屋敷よ。この後企画書が出てくると思うけれど、ネタバレはしないように最新の注意を払って書かれているから、まぁ当日を楽しみにしていてちょうだいね」


つむぎは唾を飲む。正直お化け屋敷は苦手だ。

緋凪だけは「絶対に行きます!四人で!」と目を輝かせた。



♦︎



川縁の木陰に、一人涼んでいる凛が見えた。暑いのが苦手な彼は、午後の自由時間中ずっと死んだような表情で日の当たらない場所に座っている。一人コテージに戻ってサボろうとしていたところを先生に注意され、仕方なくそこにいるらしい。ほとんどの生徒は川遊びをしていた。


「りーんー!見て見て!」


つむぎは凛のいる方へ、川の浅瀬をバシャバシャと走る。水しぶきが飛んで、下半身はずぶ濡れだ。

凛は遠くから走ってくるつむぎを見て、慌てて立ち上がった。


「何やってんだ、転ぶぞ!」


言い終わるか終わらないかのうちに、つむぎは苔むした川底の岩の上を滑って派手に尻餅をついた。周りで遊んでいた生徒たちは大きな水しぶきとつむぎの短い悲鳴に、一斉に振り向く。


「言わんこっちゃない…」


いつの間にか川の中まで入ってきて目の前にいた凛が、川の真ん中で茫然と座っているつむぎに手を差し出す。つむぎはえへへと笑って手を取り、立ち上がるのを手伝ってもらった。


「ああっ!」


「…どうした」


「魚、捕まえたのに逃げちゃった」


凛は吹き出す。


「何、手掴みしてたの?ここってそういうスポットだっけ」


「違うと思うけど、これくらいの魚を捕まえたの。見せようと思ったのに」


つむぎは両手で、捕まえた魚の大きさを示しながら残念がる。


「…それより怪我は?」


「何ともないよ」


「じゃあ帰るぞ」


「何でよ!もう一回捕まえるから」


「だめだ」


凛は周りの視線から庇うように後ろからつむぎの背中を押して川から出る。そのまま彼が座っていた場所に寄ってパーカーを取った。


「これ着て」


「でも…濡れちゃうじゃん。それにこんなに暑いんだから」


「そうじゃない。いいから着ろ、それからすぐ戻って着替えてこい」


サイズの合わない黒のパーカーを無理やり着せられて、チャックもしっかりと閉められる。つむぎは不満だったが、凛に見張られて素直に部屋に戻った。


(着替える前に…昨日干したバスタオル…)


確か洗面所にあるはず、とパーカーを脱ぎながら、ふと鏡に映った自分を見る。


「〜〜っ」


一気に頭のてっぺんまで上気する。びしょ濡れの白いTシャツが透けて、下着がうっすらと分かる。

そういうことか、すぐにパーカーを着せられたのも、目を合わせなかったのも。


シャツも短パンも下着も全部着替えたが、つむぎはもはや外に出る気にはなれず、夕方の会議まで大人しく部屋にいた。



♦︎



「ねぇねぇつむぎ、あんた芹宮と何かあったの?」


緋凪からのストレートな問いに、つむぎはぎくりとする。


夕食のバーベキュー中。キャンプ中の数少ない楽しみを生徒たちが思い思いに満喫している中、つむぎは一人喧騒から離れて建物横の階段に腰掛けている。


「分かるの…?」


「芹宮はいつも通りに見えるけど、つむぎの態度がぎこちないというか」


緋凪はそう言うと肉を頬張る。つむぎは少し考えて、昼下がりの事の顛末を話した。


「それから何か気まずくて、顔合わせてない…」


「いや待て芹宮、紳士すぎない…?さすがに惚れそうなんだけど」


「お好きにどうぞ」


浮かない顔で言ったつむぎを不思議そうに眺めて、緋凪は尋ねる。


「で、何が問題なの?」


「問題はないよ。自分の行いを恥じて反省してるだけ」


「つむぎ」


前触れもなく背後から凛に名前を呼ばれ、つむぎは言葉通り飛び上がる。思わず放ってしまった紙皿と割り箸が、宙を舞って地面に落ちた。上に料理が乗ってなかっただけ幸運だ。


「い…いつからそこに」


「今だけど。…あ、水浦さんもここにいたんだ。何してんの」


「別に…ただの女子トークだよ!」


「そう、邪魔して悪かったね」


凛はそう言うと、つむぎに肉や野菜の乗った皿と割り箸を渡した。それから足元に散らばった皿と箸を拾い上げて、人が集まっている方へ戻っていく。


「待って、これ!」


「あげるよ。…あ、俺が使った箸が嫌なら持ってくるけど」


凛は周りで飛んでいる虫を追い払いながら言った。


「嫌じゃないけど…」


「あたし新しい肉取りにいこーっと」


緋凪は凛を追い越して駆け足で行ってしまった。

そこに二人が取り残される。


「凛、あの…昼はごめん」


「え?…お前何かしたっけ」


凛は考えを巡らせて、「あ」と言った。


「それ、逆に俺が謝るべきなんじゃ…。さっきからテンション低かったの、そのせいか。ごめんな」


「ありがとう!」


つむぎは凛の言葉に被せるように、食い気味に言った。


「色々と気遣ってくれて」


凛は少し驚き(というのも、つむぎは当時の自分の状況について自覚がなく、単に川遊びを中断させられた事にショックを受けていると思っていたのだ)、それから躊躇いつつ言った。


「…気をつけなよ」


「うん!」


つむぎは凛のよそってくれた皿を傾けないように慎重に立ち上がると、駆け寄って凛の隣に並ぶ。何気なく見た皿を見て呟く。


「…うぁ、とうもろこしと人参」


「そもそも自分で食べるためによそったんだよ」


凛は投げやりにそう言うと、つむぎの方を向いて口を開く。その仕草に、つむぎは目を見開く。


それは小学生の頃、つむぎと凛が並んで食事をする時のいつもの光景だった。好き嫌いの激しいつむぎが、苦手な食べ物――例えばカレーの人参など――を凛の口へとせっせと運ぶ。『凛くん、つむぎをあんまり甘やかしちゃ駄目よ』と母が笑いながら言うのはいつものことだった。


つむぎが人参を箸でつまみ、背の高い凛は少しかがむ。その口の中に、苦手な人参を運ぶ。


昔と同じだ。同じことをしているのに…なぜこうも緊張しているのだろう。


「人参ととうもろこし、まだ食べられないんだな。ガキ」


つむぎは憎まれ口を叩く凛の口にとうもろこしを突っ込み、それからふいっと顔を背ける。


「…うるさい」


凛はとうもろこしを咀嚼して飲み込む。


「何でそっぽ向くの」


「別に…」


「耳まで赤いから分かるよ。照れてんでしょ」


つむぎは何も言い返せず、決まりも悪いので凛に向き直れない。


「何でだろうね。昔と同じことをしただけなのに」


凛はそう言いながらつむぎの頬に手を添え、自分の方を向かせる。


「…同じ感情じゃない。変な感じ」


凛はにこりと微笑んだ。普段つむぎに見せるような意地悪な微笑みとも違い、また教室でやっているような愛想笑いとも違うその笑顔に、今までにない何とも表せない気持ちで胸がいっぱいになった。

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