012:男子高校生の恋バナについて

夕方にバスに乗りこみ数時間。宿泊地のコテージに着いたのは、辺りがとっぷり暮れた頃だった。

その日は特にすることもない。晩ご飯を食べ、各々決められた時間に入浴を済ませ、適当に時間を過ごして眠るだけだ。


凛が少し遠くの自販機でペットボトルの水を買い、戻ってきた時。部屋からちょうど出てきた女子とぶつかりそうになり、凛は驚いた。そのコテージは丸々一棟、男子部屋しかないはずだ。なぜ女子が自分の泊まる部屋にいたのだろう。


「すみま…あ!ラッキー、芹宮くんだぁ」


「…どうも」


顔も名前も知らない女子。文化祭実行委員の人だ。普段の学校では上履きが学年ごと色違いの靴紐だったり、校章の下にバッジがついているため、知らない人でも何年生なのか判別できる。


しかし今の彼女は上履きも履いていないし私服。同級生なのか先輩なのか分からない。


「今暇でしょ?あっちの食堂棟で遊ばない?これから王様ゲームやるんだけど」


「あー、すみません。俺、あと少しで生徒会の集まりがあるんですよ」


「えー!じゃあそれっていつ終わる?」


凛の服の裾を掴み、しつこく食い下がる彼女。凛は困ったように笑って首を傾げる。


「それが俺もちょっと分からなくて…」


「ちょっとミユリ先輩、僕と会った直後に浮気ですかー?」


ミユリ先輩と呼ばれた彼女の背後のドアが開いて、蓮音が顔を覗かせる。


「とにかく今日は凛くんダメなんですよ。ごめんね先輩、万が一暇ができたらまた呼んでください」


「ちぇ。おやすみ、蓮音に芹宮くん」


「おやすみなさーい!暗いから気をつけてね」


蓮音は手をひらひら振り、凛を部屋に引き込む。


「…どういうことだよ」


「そんな怖い顔しないでってば、何もしてないよ。食堂に忘れちゃったピアス持ってきてくれて、ついでにちょっと喋っただけ」


蓮音が掌に銀色のピアスの輪っかを転がして見せる。


「…にしても凛くん、すげーナチュラルに嘘ついたからびっくりしたわ」


「……」


「え?…ないよね、集まりなんて」


やや不安げにそう尋ねる蓮音。


「ないよ」


「だよねー!びっくりした」


蓮音は自分の布団に大の字になって寝転がる。凛も隣の自分の布団に座ったが、まだ明かりを消して眠る気にはなれない。


「なーなー、恋バナしよーぜ。お泊まりなんだからさ」


「やだよ。…会長は?」


「柊先輩なら、実行委員の三年生のところに人狼で駆り出されてたよ。しばらくは僕と二人っきり〜」


蓮音はそう言うと凛の布団に転がって来て、身体を密着させ腕を絡ませた。


「…うざいし暑い」


「凛くんのケチー。ちなみにそれ、女の子に向かって言ったら即アウトだからね。どんなに暑くたって」


「お前男だろ」


凛はうんざりと蓮音を引っ剥がす。こんな時こそ柊一郎に蓮音の手綱を握っていて欲しいと思った凛だったが、しばらくは帰ってこないだろう。買ったばかりのペットボトルを開けて口をつける。


「ねぇねぇ、凛くんって童貞?」


凛は思い切りむせた。気道や鼻に水が入る。シャツにも少しこぼれたけれど、水なので気にしない。

恋バナって何だっけ、と凛は思った。


「…それが何だよ。平均だろ、まだ高一だぞ」


「へぇー、やっぱそうなんだ。こんなにイケメンなのに勿体ない」


「勿体ないのはお前じゃないの」


「え?」


蓮音が素で聞き返す。


「誰彼構わず遊び回ってたら、本当に好きになる人に相手にされないだろ。…まぁ余計な世話か」


「へー、心配してくれてんの」


蓮音はにやにやして凛の肩をつつく。


「でもいいの、今は色んな子と遊べる方が楽しいし。こう見えて意外ときちんとしてるんだよ?僕。一途に好きになってくれる子とか、その気がない子には一切手出ししないし。僕とおんなじように、遊び目的の子としか遊ばないの」


「へぇ」


凛は枕元に置いてあった自分のボストンバッグに手を突っ込み、コアラのマーチの箱を取り出すと袋を開けて蓮音に向ける。


「ん」


「やった、さんきゅ」


蓮音は一つ頂戴して口に放り込み、凛にはお返しにとプリッツを差し出した。凛は二本まとめて取り出して咥える。


「一応はね、中二の時に一人だけ付き合った女の子いたんだよ。すぐ目移りしちゃって別れたから、期間は短いけど。それが最初で最後」


「へー」


凛は興味がなさそうに相槌を打つ。実際に関心がないので仕方がない。


「凛くんは?付き合ったことくらいはあるの?」


「んー…」


凛は取り出したばかりのコアラのマーチを眺めながら首を傾げる。ちなみにリボンをつけてウィンクしている女の子のコアラだ。名前はワルツちゃんというらしい。バスの中でつむぎから教えてもらったのだが、そんな知識どこで手に入れるのだろう。


「お、そのビミョーな反応。あるんでしょ」


「しつこいな。ちゃんと付き合ったことはないよ」


凛は距離を詰めてくる蓮音の身体を押し返した。


どんな基準が“付き合う”ということなのだろう。

『嫌いじゃないなら付き合って欲しい』

そう言われて、受け入れることなら何度もあった。好きでも嫌いでもなく、ただ泣かれたら面倒だし、流されるように首を縦に振っていた。それが楽だった。


「…小学生の頃なら、告られれば片っ端から受け入れてた時期はあったけど。でもそういうのって“付き合う”うちに入らないでしょ、大仰な名称だけで友達と大して変わらないし」


「確かにキスやデートはしなくとも、二人きりで登下校くらいするんじゃない」 


「あー…」


そういう類の記憶はあまり印象が無く、長いこと忘れ去っていたけれど、蓮音の言葉に引き起こされるようにして朧げに思い出した。


「確かに言われたかも」


そんな気がしてきた。

――嫌いじゃないなら付き合って。

――いいよ。

――じゃあ、今日二人で一緒に帰ろう。

そこまでが告白の一連の流れで、誰もが同じようなことを言っていた。


「…でも断ってた。一緒に帰るのは無理、って」


「冷たっ!何で?」


「…つむぎと帰る約束は破れないし」


「うわーーっ」


突然蓮音は枕を抱きしめて転げ回る。敷いてある布団の上を縦横無尽に暴走する蓮音から身を守るようにして、凛も自分の枕を構えた。


「ちょっ…何だよ」


「幼馴染みを優先するのかー!可愛いな!?てかそれってつむぎちゃんのこと好きだよね?」


「…すぐそうやって幼馴染みと恋愛を結びつける」


凛は不機嫌そうな低い声で呟き、思い切り嫌そうに顔をしかめる。しかし蓮音はお構いなしだ。


「いいじゃん!そこから発展していく恋…いいなぁ、僕もそういうの憧れる」


「そんなんじゃない。家が隣だったし、あいつはすぐ蝶々追っかけて通学路から逸れて迷子になるようなアホだったからだよ。今だって大して変わってないだろ、あのガキ。たまに幼稚園児にすら見える」


「だからさぁ、そういうところに惹かれちゃうんじゃないの。凛くんは」


蓮音は起き上がると、にっこりと言う。何を言い返しても逆に追い詰められそうなので、凛はだんまりを決め込む。


その時扉の開く音がして、柊一郎が帰ってきた。凛はこれほどまでに、彼の存在に感謝したことはかつてない。


「トランプ借りてきたぞ。…お前たち、何を話していたんだ?俺の悪口?」


「そんなわけないじゃないですかー、柊先輩。恋バナですよ、凛くんが昔…」


「やめろ紫藤。先輩、俺とスピードしません?」


「いいぞ、やろう」


「うわ、ちょっと!何でわざわざ二人でしかできないやつやるの!?僕も混ぜてくださいよー!」


時計の針はまだ、夜の九時を指したばかり。どのコテージの部屋の明かりも煌々と灯り、布団に入ろうとする人は誰一人としていなかった。

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