002:眠たい朝と突然の再会

「おはよー…」


眠い目をこすりながら、つむぎはのろのろとリビングに顔を出す。母親はフライパンに卵を落としながらつむぎの方をちらりと一瞥する。


「おはよう…って、随分眠そうね。早く寝なさいって言ったのに」


「ちゃんと寝たよ。けど夜中に起きちゃって、それから眠れなくて」


「そう。入学式なんだから、身支度はきちんとね。寝癖ひどいわよ」


「うーん…」


つむぎは聞いているんだか聞いていないんだか分からないような調子で生返事をする。「半分寝てるな」と茶化す父親の声も耳を通り過ぎていく。


結局、あの後一睡もできず朝が来た。

今日は高校の入学式だ。同じ中学の同級生のいない環境で、一から人間関係を作っていく。昨日までは楽しみに思っていたけれど、今朝になると急に不安になってきた。

睡眠が足りないと、思考はネガティブになると聞いたことがある。それ以上考えるのはやめて、朝食のトーストに手を伸ばした。



♦︎



「随分眠そうですね、つむぎ先輩」


マンションの前で、ほんの数十分前に聞いたような言葉を掛けられる。振り向くと、そこに立っていたのは一つ下の学年で中学の後輩の翔真しょうまだった。隣の部屋の――幼馴染みが引っ越した後、入れ替わりで入った住人だ。幼い妹のすずらんと手を繋いでいる。


「翔真くんにすずちゃん、おはよう」


「おはようございます」


兄妹は声を揃えて返事をする。


「つむぎ先輩、今日から高校ですか?新しい制服、似合ってますね。素敵です」


この年頃の少年なら言うのも躊躇ってしまうようなそういう褒め言葉を、特に意識せず自然に口にする。いわゆる、天然タラシと呼ばれるタイプ。


忙しい父親と病気がちな母親の代わりとなって、妹の世話のほとんどを受け持っている翔真。同年代の他の男子よりも精神的に大人なのかもしれない。話すようになってしばらくはいちいち戸惑ってしまっていたつむぎも、今はもう慣れたものだ。


「ありがとう。すずちゃんも幼稚園?」


尋ねると、すずらんは誇らしげに答える。


「そうなの!年長さんなの!」


「そっかぁ、すずちゃんも立派なお姉さんだね」


「うん!」


朝から元気いっぱいのすずらんの、その得意げな表情に思わず微笑む。それから私服の翔真に視線を移す。中学の始業式はまだみたいだ。


「翔真くんも相変わらず立派だね、送り迎え」


「そんなことないです。兄として当然の役割だし、楽しいので。それより、これからつむぎ先輩に学校で会えないの寂しいなぁ。ちゃんと友達作るんですよ?先輩」


親かと突っ込みたくなるアドバイスにつむぎは笑って返す。


「はいはい、頑張ります。二人とも行ってらっしゃい」


「行ってきまぁす!」


元気の良いすずらんの返事と会釈をする翔真に手を振り、つむぎは駅へと歩き出した。





「眠そうだな」


本日早くも三度目のその台詞に、駅のホームで欠伸を噛み殺しながら電車待ちをしていたつむぎは固まる。それからバッと真横の声の主を見上げた。


(誰…?)


やたら背の高い男子。自分のと同じ色のブレザーに気がついて、半分不審に思いながらも合点がいった。同じ高校の人だ。ここから少し遠い場所にある高校だから、まさか最寄駅が同じの生徒がいるなんて…


「忘れちゃった?」


つむぎの思考を遮って、彼はそんなことを言った。


「…え?」


まじまじと見つめ合うこと、数秒。涼しげな瞳からまっすぐとこちらに向いた視線に、目を逸らそうにも逸らせない。綺麗な顔立ちの人だな、と思った。すっと通った鼻筋に、涼しげな目元。瞳は色素が薄く少し青み掛かって見える。好きな色だ。何故か懐かしい。


「…凛」


考えるより先に発してしまった、その自分自身の声に驚いた。すると彼は、それまで緊張気味に少し強張らせていた表情をふっと緩めた。


「よかった、覚えてたんだ」


「凛、なの…?」


「そうだよ。元気にしてた?」


久々に夢で見た、まだ背もそこまで高くなく声変わり前だったあの少年。

一目で分からないほどに変貌を遂げた幼馴染みが今、つむぎの目の前にいた。

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