第20話 *初心者教習 一日目 クラッシャー 最後
不快な表現があります。ご注意ください。
***** *****
突然大声を上げたシノブに、気持ちが冷えた。
呆れかえっているのを反論できないと取ったのか、見下した態度のカツもやって来る。
「あれ? あれあれ? 教習代を払ってない奴がいるぜ。厚かましいよな! 」
ケイの存在に気付いたカツが、小馬鹿にした調子で言い募った。
「遅れた教習生! 他人の邪魔をするな! おまえたちはこっちだ! 」
「うっせぇよ」
ボランの注意も無視して、ケイの肩に手をかける。
「おまえの教習代。払ってないからな。失せろや」
楽しげに浮かべた笑顔は嘲りを乗せて、とことん醜くかった。
「なに? 殺るの? 」
対戦の順番を終えたリオンが、間に割って入る。
「いい加減にしろ」
後ろからカツの頭を鷲掴んだボランが、指に力を込める。
「ンガッ! いだっい やめ やめて 割れる われぐぅ! 」
首を掴まれた子猫みたいだと、素振りしながらランカは思った。
「暴力を振るうなんて、野蛮人! 」
掴みかかるシノブの襟首も摘み上げ、ボランは集団から離れた。
「これ以上歯向かうなら、失格にするぞ」
「横暴猿! 訴えるわよ! 」
ボランが発したのは、怒りを沈めた笑い声だ。
「おまえに訴える権利はない。ギルドを甘く見るな、自滅するぞ。それと、俺は竜人だ」
土床に投げられて唖然とするふたりに、ボランは木剣も投げつけた。
「実習で死にたくなければ、気合を入れろ。俺は、手加減しない。さっさと立て! 」
竜人の覇気は、息が止まるくらい恐ろしい。青ざめるどころか、土気色になったふたりが立ち上がる。恐怖で縮まる背筋を、伸ばすこともできないようだ。
「身体強化をやってみせろ。できるまで、やれ」
涙目で身体強化を始めたふたりだが、不安定に揺れる魔力で、肝心の発動ができない。
「安定させろ。 ゆうしゃさまなんだろ? 」
完全に馬鹿にしたボランを睨みつけ、それでも恐怖から反抗できないシノブ。カツのほうは、すっかり大人しくなって魔力を操り始めている。
「…ぜったい…ぜったい おまえを 訴えてやるんだから」
どこまでも自分を曲げないシノブに、ボランは笑う。
「いい度胸だ。そこだけは買ってやる。さっさと始めろ ゆうしゃさま? 」
目一杯毒を含んだ言い方に、シノブが切れて呻いた。力で押さえつけるボランの教習だが、安定して身体強化ができるようになってきたカツに、変化が現れた。
なんだか玩具を見つけた子供みたいに、魔力を上手に操作し始め、素振りの剣がブレなくなってきた。たまに空を切る小気味良い音もしだした。
「俺、強くなってる? 」
「ばかもん、自惚れるな」
素直に伸びてゆくカツを、ボランも満更ではない目で見ていた。素振り、走り込み、打ち合い。汗が身体全体を伝い落ちる。腕が重くなり、つま先が上がらなくてもつれる。息もうまくできなくなる。
「よし、暫く休憩だ。水分の補給をしておけ」
ジャスパー教官の号令で、ギルドから提供された水筒を受け取って座り込む。相変わらずシノブとカツは、離れた場所で背中を向けた。ただ、肩越しに睨んでくるシノブが、心底鬱陶しい。
「これなら、明日からの野外教習もだいじょうぶだ」
身体強化を習得したケイに、チェリンが声をかける。小剣も様になってきたと褒められて、赤くなっている。
「ありがとうございます」
ほんの少し、先が見えてきたケイに、明るさが増した。
「明日からも頑張ろうね」
モスミットに励まされて、ケイは益々赤くなる。
「うん。よろしく」
いい雰囲気になってきた。この調子で顔見知りを増やせば、ケイの就職が有利になるかもしれない。実際のところ、教官を務める比翼の剣は、面倒見の良い人たちだった。
困っている顔見知りに、仕事の口利きくらいはしてくれるかもしれない。
(あとはケイの印象を良くすれば、希望が持てるかも)
温くなった水で喉を潤しながら、ランカの皮算用はひと段落した。
「ねぇ。なんでうちのメンバーが、ここにいるの。あんた、無断で取り込んだでしょう」
許容の範疇を越えた暴言が、ケイの後ろから聞こえた。視線を上げた先に、腕組みしたシノブが立っている。
「うちのケイを取るなら、代わりにあんたの使い魔を寄越しなさいよ。許可もなくケイを盗ったんだから、責任取りなさいよね」
「は? 」
咄嗟に返す言葉が出てこない。言われた本人のケイも、目を白黒させている。
『…どうしようもない奴ですね』
サポの念話が荒れてきた。
「シノブ君。冒険者の先輩として、忠告する」
横合いから声をかけたジャスパー教官は、嫌悪を抑えた表情でシノブを見遣った。
「他人の使い魔に手を出す行為は、どのような場合においても窃盗、又は強奪とみなされる。今、君が行った行為は、使い魔の主人に対する強要罪だ。ランカが訴え出れば、君は捕縛対象になる。最悪、この場で殺されても文句は言えない。それは覚悟の上だね? 」
落ち着いたジャスパー教官の言い分に、シノブは身体をヒクつかせた。それでも諭された内容を理解できないのか、しきりに頭を振る。
「なんで? おかしいよ。好きに生きて良いって言われたのよ。なら、なんでわたしに逆らうの? ぜんぶ、おかしい。なんで? 」
ブツブツ呟く言葉を理解できたのは、転生者だけだ。カツは難しい表情で、シノブを見つめている。
急に顔を上げたシノブは、納得出来る答えを得たように、勝ち誇った笑みを浮かべた。
「そうよ、先に手を出して、ケイを盗んだのはこの女よ。わたしが悪い訳じゃない! 」
叫んだシノブの理屈は、納得した。それがどれほど理不尽でも、シノブの中では正論なのだろう。ランカにとっては、馬鹿げた思い込みだとしか言えないが。。
ゲームなど無いこの世界の住人にとって、シノブの言い分は狂気の沙汰だ。神の箱庭であろうと、ここは架空の世界ではない。それさえ理解できていれば、シノブはここまで愚かにはならなかった筈だ。
ランカはギリギリまでシノブとの距離を詰め、声を落とした。
仰け反る肩を、無理やり引き寄せる。誰に聞かれても良いような話しではない。
「ねぇ、シノブさん。箍が外れて舞い上がっているようだけど、ここはゲームの世界じゃない。人格を備えた人々が、現実に生きている世界よ。誰一人として、あなたの物じゃないの。ケイも他のみんなも、あなたの思うがままにして良い物じゃない。この世界には、ヒロインもヒーローも居ない。お願い。まだ間に合うあいだに、目を醒して…」
惚けて見開いたシノブの目から、突然涙が溢れた。
「なんで? ヤダ…なんで 違うの…やだ、こんなの嫌…もう 帰りたいよぉ」
蹲って泣きだしたシノブを、カツは子供を慰めるように抱き寄せた。カツの胸を叩きながら泣き喚く様子は、まるっきり幼子だった。
「なんか、俺たち間違ったのか? 訳わかんねぇよ」
困り果てて零したカツの呟きに、解決の糸口が見えた気がした。
*****
手伝うと言うモスミットの手を借りて、ランカはケイと明日の装備を整えていく。
泣いて使い物にならないシノブをカツに任せ、三人分の品を並べる。
珍しい事に陰険執事風のラリマーが、貸し出し装備の点検がてら手伝ってくれた。ほとんど何も持っていないシノブたちに、充分な量を用意してくれるらしい。
聞けば野営に必要な外套も、シノブの分しか無いと言う。確認のため各自に割り振った収納棚を開ければ、薄いマントが一着だけ入っていた。
目頭を揉んで深いため息を吐いたラリマーが、鋭い視線でケイを見る。
「まさかと思いますが、宿は取っているのでしょうね」
誤魔化すように笑んだケイは、速攻で表情を改めて首を振る。
「返答は、言葉にして初めて通じるものです。やり直しを」
色々揉めて、相当頭にきている筈のラリマーだが、不気味なほど態度は丁寧だ。
「北門の…スラムです」
天井を見上げたまま、器用に肩を落とすラリマー。
「…了解致しました。ギルドマスターに掛け合って、仮眠室の使用許可を申請致します」
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