第9話 ランカ 冒険者する

 セレナ錬金工房初日。

 目覚まし代わりのサポに起こしてもらい、指定時間通り食堂へ降りて行った。

 昨夜セレナから聞いていた家事手伝いの女性は、子供連れだった。

 母親はジェイラ。息子はシディアン。ふたりとも見事な金髪だ。

 四才児のシディアンはサポが気に入ったのか、青い目を輝かせて抱きついたり撫で回したりと大騒ぎだ。大きさもぬいぐるみサイズのサポは、幼いシディアンに丁度よい。両腕で抱かれているサポの尻尾が、後ろ足と共にぷらぷら揺れている。母親のジェイラが平謝りするのも何のその、抱き締めて離さない。

 本来特殊スキルのサポートであるサポは、どんな体勢でも大丈夫らしく、強く抱かれても、首を羽交い締めにされても、ケロリとしている。

「ジェイラには午前中に家事を済ませて、昼食後は店番を任せているの。夕方には洗濯物の始末と、食事の用意をしてもらっているわ。サポが嫌でなければ、子守はお願いね。家事が終わるまで、ランカは店の事を覚えてちょうだい。午後からはわたしの手伝いと、魔法陣学の習得に励む事」

 セレナの指導で店の掃除にかかる。窓も扉も取り付けた硝子珠も、丁寧に拭いてゆく。

「やぁ、おはよう」

 表も掃き清め、鉢植えに水をやっていると、通りを挟んで声をかけられた。

 黒髪の青年は昨日出会ったクレストだ。

「おはようございます。店長なら、もう店に出ていますよ」

 ぽつぽつと往来する人が増えた道を、クレストは軽やかに渡ってきた。

「ランカだったね。これからご近所さんだ。よろしく」

「…はい。よろしくお願いします」

 道を挟んで真向かいにある店が古びていたのは、空き店舗だったせいだ。

 この区画は大森林に近い為、最近まで魔物の侵入による危険区域に指定されていた。

 当然だが門衛兵だけの防御しかなかった西門は、いささか安全性に欠けた。

 魔物の襲撃で逃げ込んでも助かる率は低いので、冒険者や狩人の利用も少ない。

 当然、住民の定住率も低い。だが、魔道具の設置で防御結界が強化され、魔物が西門から侵入する心配がなくなったと確認された今、徐々に定住率や西門の使用が増えていた。

「西門はヴォーラ大森林に近いからね。冒険者や狩人が増えているんだ。南門と違って、すぐに森へ入れるのは利が大きい。この辺りは、もっと発展する。君も腕を磨いて、うまく商機の波に乗るんだよ」

 熱く語るクレストに身も心も引きながら、拝聴するランカは苦笑するしかない。

 改装の職人が呼びに来るまで、商売の何やかやと訓示は続いた。

「お疲れさま、ランカ。クレストは話しが長いでしょ? まぁ、慣れてちょうだい」

 見ていたのなら助けて欲しかったとは、さすがに言えない。ただ、貴重な情報をホイホイ聞かせてくれるのは、案外良い事に思えた。

 情報収集は、どんな世界でも有用なはずだ。

「まずは商品を見て、どこに何が在るのか把握して、分からない事は聞いてね」

「はい」

 セレナはカウンターの内側に回り、書類と伝票の整理を始めた。

 錬金工房は、店に入った正面奥が清算カウンターだ。

 向かって右側の端っこで、昨日はお茶を振舞ってもらった。

 左側には季節の花を活けた花瓶が置かれ、カウンターの下に取り付けたフックには、鞄の類が下がっている。大体が背負い袋で、肩掛け鞄が一割。ポーチ類も一割程度だ。

 カウンターの続きは直角に折れ、左の壁に続く。

 高さを合わせた陳列台は、店主の性格を現したようにシンプルだった。

 大きさを統一した浅い籠が、乱れなく並んでいる。

(あ、液体石鹸。うわ、いっぱい種類がある)

 液体石鹸の横には、魔法陣を描いた円形のカードの籠。そのとなりは小振りの魔石を並べた籠で、添えた値札には属性魔石と書いてある。

 黒に近い濃い青色が水の魔石。緋色が火の魔石だ。

 よく見ると精緻な魔法陣が刻まれて、内側から発光していた。

「師匠。今いいですか? 」

 ランカが見習いなら、セレナは師匠だと判断して声をかける。

「…はい、なに? 」

「この魔石や魔法陣のカードは、どんなふうに使うのですか? 」

 指差した棚に目をやって、セレナは頷いた。

「それは冒険者や探索者、家庭でも使うわね。青の魔石は水筒や水袋に入れるの。家庭なら水瓶ね。水を張った入れ物に沈めると、魔力が無くなるまで最初の水量を保つの。緋色は火種の代わりよ。魔石で枝や薪を軽く叩けば火がつくわ。付与魔法を使えば作るのは簡単だから、ランカも頑張って付与を覚えてね」

「はい、がんばります」

 前にサポも言っていた付与魔法は、覚えると重宝しそうだ。

「魔法式のカードは、回復魔法ができない魔術師に必須の道具よ。そこにあるのは初級回復系の魔法式なの。魔力を流せば発動するわ。中級と上級は、注文販売しているけど」

 値段設定がそれ程高くない商品だけ、店に出している感じだ。

 数種類の液体石鹸は香りが幾つかあって、薔薇が一番多く場所を取っていた。

 爽やかな香りとか、精神安定の香りとかを主流にしている。

 カウンターを挟んだ右側は、三種類のポーションと小さな薬缶に入った傷薬。包帯。防水紙と袋状にした防水袋が並んでいた。

(ポーションは即効性の栄養液と解毒剤。後は消毒液? 洗い流し用か…あ、全部の瓶に魔法陣が彫ってある。って事は、全部 魔法薬? )

 セレナに視線を向け、忙しくないか確認する。

「師匠。ポーションの鑑定をしてみても、良いですか? 」

 ふと顔を上げたセレナが、目を見開いた。

「…そういえば、ランカの熟練度レベルを聞いていなかったわ。人族は十才になると、魔道具を使った聖教会の加護の儀で素養を確認するの。習得可能な職種によって、将来の職業を決めるのよ。聖教会でなくても熟練度レベルの高い鑑定師が鑑定をすれば、熟練度レベルは解るの」

 ハイエルフなら問題ないと思うけどと、口の中で呟いている。

「…うーん。私でよければ、素養の鑑定をしても良いかしら…」

 一瞬引きかけてサポを見れば、小首をかしげる。

『大丈夫です、ランカ』

 隠蔽と偽装はサポの領分だ。セレナでは、見破れないレベル差があるのだろう。

「お願いします、師匠」

 カウンター越しに対面したセレナが、瞑目して手のひらをかざした。ランカの眉間に柔らかな感触が触れて、セレナの魔力が身体を包んで行く。感覚的には抱擁に似ている。

「年齢的に魔力量は許容範囲ね、基礎鍛錬や実習も必要か…」

 ランカの鑑定で、何やらカリキュラムを立てるセレナ。

 だんだんと危機感を覚えるランカは、嫌な予感に黙り込んだ。

 深く息をついたセレナが、目を開けて微笑む。

「予定変更です。全体の底上げをするのに、当分のあいだ冒険者ギルドで身の丈に合った仕事をして貰います。夜は座学に当てるので、居間で勉強しましょうね」

「え…」

 セレナは喋りながら書き上げた手紙に封蝋をして、商品の中から選んだ背負い鞄に入れた。石鹸、魔石、魔法式カード、ポーション、薬缶、包帯、防水紙に防水袋も放り込む。

 店の商品オンパレードだ。

 カウンター内に入ったセレナは、奥にいるジェイラに昼食を籠に詰めるよう声をかけ、ついでにサポも呼び寄せた後、自分は二階へ上がって行く。

「あ あの 師匠? へ? 」

『どうしました? ランカ』

 固まっているランカにサポは落ち着かず、うろうろするサポを追いかけて、シディアンも右往左往の状態だ。

 駆け下りてきたセレナに、お下がりのマントを着せられる。

「はい、準備完了。サポを連れて行きなさい。気をつけるのよ。無理はしない事」

 タオルや水筒も詰め込んで、セレナは鞄の蓋を閉めた。

「この魔石に指を押し付けて」

 鞄の蓋には、五百円玉くらいの透明な魔石が埋め込んであった。

 言われるままに人差し指を押し付けると、何かが身体から吸い取られる。

 指を離した魔石は、深い翠に変化していた。

「個人認証は完了ね。これでランカ以外は、物の出し入れができないの。こっちは、わたしのお古の短剣と、防御の首飾り。これは習得速度を底上げする腕輪と、属性魔法を補助する指輪。弟子第一号に、師匠からの贈り物? です」

 やりきった感を全身で現すセレナに、顔が引きつった。

「…あの 師匠 ぼうけんしゃ ぎるど ですか? 」

 満面の笑みでウンウンと頷くセレナに、これ以上聞けない。

「初心者の依頼をする で、合ってますか? 」

 更にキラキラしてくるセレナに、ランカは腹を括った。

 今ひとつ理解の外だが、これはもう冒険者をするしかない。

 短剣はベルトに付けて腰の後ろに回し、アクセサリーも身につけた。

 セレナが付いて来ようとするシディアンを抱き上げ、手を振る。

「い…いってきます」

 見送るセレナが、弾んだ声を上げた。

「ギルドマスターに手紙を渡すのよ。お夕飯までには帰ってらっしゃい」

 送り出された外は最高の天気だ。

 待っていたように鳴る鐘は、十打。

 冒険者ギルドに寄って南門から出れば、昼前には森に入れるだろう。

 ひとつ、思い切り深呼吸する。

『…大丈夫、ランカ。一緒に頑張りましょう』

 サポの慰めが切なくて、入れた気合が抜けていった

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