第8話 初めての友達は…
クレストに断りを入れた後、ランカは自室の掃除にかかった。
貰った部屋は普段から手入れされていたらしく、思ったより綺麗だ。寝台や箪笥に掛けた埃除けの布を外し、畳んでおく。ざっと室内を水拭きして、開けた窓から風を呼び込んだ。カーテンは無く、外開きの木戸が付いていた。
備品棚に用意されていたシーツを、布団に掛ける。綿は貴重品で、かけ布団も敷き布団も、形成された大型魔獣の毛皮だった。
店の裏手に張り出した窓からは風が通り、思いもよらない広さの庭が一望できる。奥の塀沿いに高い樹木が並び、手前の薬草らしき畑の側には小さな温室も見えた。
『掃除は終わりましたか? 』
サポに聞かれて、ふと現実に返った。ずいぶん長く、ぼんやりしていたようだ。
「あぁ、うん、終わった」
木桶に雑巾を入れ、零す前に始末しようと階下に降りる。廊下の突き当たりにある扉から裏手の水場に出ると、頑丈な差し掛け屋根の下に井戸があり、洗濯桶やら掃除道具が整然と置かれていた。雨天でも幾らか干せるように、ロープも張ってある。
差し掛け屋根の端にある温室の横が風呂場だ。水道は無い。風呂の水汲みが大変そうだと、ため息が出た。手押しポンプで水を汲み上げ、汚れた雑巾を洗う。きちんと始末して腰を上げれば、生垣越しにセレナの声が聞こえた。
『勝手口ですね』
高い生垣を回り込んだ先には、セレナとメモを取る少年がいた。
ランカに気づいた途端、セレナが満面の笑みになる。
「ここにいらっしゃい、ランカ。紹介するわね。この子は雑用を頼んでいるモスミット。ちょうど買い物をお願いしていたの。よかったら、一緒に行ってらっしゃい。街を知るには良い機会よ」
さりげなく知り合いを作ってくれるセレナが、聖母さまに見える。
「はい。行きます」
店の扉が開いたのか、硝子珠が鳴った。
「ゆっくりしてらっしゃい」
小走りに廊下を行くセレナを見送って、あんぐりしているモスミットに、精一杯笑いかける。
「わたしランカ。よろしくね」
「…うん、モスミットだよ。その子は、あんたの従魔なの? 」
優しい声をしている。よく見れば、手も小さいし線も細い。
「モスミットは、女の子? 」
「…うん」
嫌そうな雰囲気に、性別が不満なのだろうと感じた。
「この子はサポ。白虎の子供なの。よろしくね」
「うん! 触っても、いい? 」
見上げるサポに目を向けると、自分からモスミットの足元へ座り込んだ。
「賢い。 可愛い」
そっと背を撫でるモスミットの仕草のほうが、ずっと可愛い。
ランカは男の子になりたかったような少女が好もしくて、暫く見とれていた。
「…ありがと。買い物 行く? 」
満足して立ち上がったモスミットは、溢れるほどの笑みだった。
食材と雑貨の商店街は、セレナ錬金工房から道を挟んだ向こう側だ。中央広場のような上品さはないが、なんとなく下町風で素朴な感じがする。案内された店は、どれもセレナの贔屓らしく、おまけの率が良かった。
「ヘェ〜、セレナさんとこの見習いさんか。こりゃ将来べっぴんさんになるね。おばさん応援するわ。がんばるんだよ」
今ひとつ頑張る意味が、見習いなのかべっぴんさんの将来なのか不明だが、好意から出た言葉は心地よい。
「あんた、可愛らしい従魔を連れてるのかい。なら、これも持って行きな」
乾涸びた枝で、お香のようないい香りがする。
「魔獣の好きな薬草だよ」
「わぁ、ありがとう」
無邪気に笑い返せば、人の良い笑顔が返ってきた。
「はい、おまけ」
果物屋の店主は房から外れたルッコの実を、お釣りとともに幾つかくれる。チーズや肉の専門店から始め、穀物に野菜にパン、最後に回ったのが果物屋だ。
味見と言うおまけのチーズや薫製肉を貰い、瑞々しい野菜や試食のパン。最後にルッコの実を貰って、一食分が浮いた。
「夕飯にできそうね」
モスミットと半分に分けて、夕方の道を服飾店へ急いで行く。
生地は高価で、大抵は古着を買うのが普通らしい。寝巻き代わりの緩いワンピースに、シンプルな生成り色の普段着。新しい肌着を二着ずつ買えば、お金が尽きた。見習いで就職できた事を、心底感謝する。
「あんた、ハイエルフなのに変わっているね」
初対面の時と比べ、すっかりモスミットから遠慮が無くなった。
「そう? んー、そうかも」
ハイエルフがどんなものか知らないランカは、実際に変わっているはずだ。
「うん。わたしはそういうランカ、好きだよ。サポも可愛いしね」
少し照れた顔が、とても綺麗だった。三歳年上のモスミットだが、身長はランカと変わらない。
「わたしも、モスミットが好き」
「ありがと。ランカもサポも、大好き」
先を行くサポが振り返って、子虎らしい鳴き声で答える。サポを可愛がるモスミットは、喉を鳴らして笑った。
モスミットの家は、西門から一筋手前の鍛冶師専用の住宅だ。買い物の荷物をセレナ錬金工房の勝手口まで運んだ後、手間賃を貰って帰って行った。
「お疲れさま。夕食の用意はできているから、手を洗ってらっしゃい」
「はい」
まだ火を入れていない居間は、ひんやりとしていた。
セレナと向かい合わせに囲む食卓には、野菜スープとマッシュポテト、柔らかな鳥の香草焼きが乗っていた。色味の強い塊は、とうもろこしのパンだ。おまけで貰ったチーズや薫製肉も、小皿に分けて並べる。テーブルの下にサポの食事も用意して、差し向かえで席に着いた。
セレナに問われるまま、フラックスに着いてからの色々を話す。戸籍所長官のファーデン・オーツに話題が移った時、セレナとファーデンが古い知り合いだと判明した。
タイランド王国の王都タイランドで仕事をしていたセレナは、ファーデン・オーツと知り合いだったらしい。
「ファーデンは文官で、わたしは五歳まで薬草苑で育ったの。優しそうな外見に騙されては駄目よ。お腹の中は真っ黒だから」
ホホッと笑うセレナも、なんだか黒そうな笑みだ。凄く美人なのに、残念な気がする。
(ん? セレナさんって何才だろ。ファーデンさんは、結構なお歳よね)
見かけは二十代後半くらいのセレナ。ファーデンは好々爺だった。
(ハーフエルフも、若く見える? 何才か聞いたら…)
冷気が背中を登り、地雷を踏みそうな予感がした。
(…忘れよ)
綺麗な所作で食事をするセレナの雰囲気が、ちょっとだけ怖いのも無視だ。
「そうだわ。今日は聖教会の行事に駆り出されてお休みだけど、家事をしてくれる人はいるから、ランカが雑用をする必要はないわ。朝の用意もしてもらうし、夜明けの鐘七つに食堂へ降りてきてね」
「はい」
フラックス領の領城は、街の北東にある。
小高い丘の上に築かれた、荒々しい見かけの城塞だ。その中にある尖塔で、夜明けの鐘から宵の鐘までの十二回、時守りの番人が知らせの鐘を鳴らす。
夜明けの鐘は六打。そこから一時間ごとに打数を増やして鐘が鳴る。
正午の鐘が十二打鳴った後、昼一番の鐘が一打鳴り、一時間ごとに打数がまた増える。
宵の鐘が五打鳴れば、時を知らせる鐘は終了する。
ランカの感覚では、朝の六時から夕方の五時まで知らせる時報だ。
何気に都合の良い設定は、神の箱庭のせいだろう。
「昼過ぎに店で会ったクレストさんだけど、お向かいの空き店舗をフラックス領の二号店にするそうよ」
黒髪の青年を思い浮かべる。確かパーカル商会の支店長だった。
「とても遣り手な商人さんだから、懇意にはしても、迂闊に約束事はしないようにね。あなたは、セレナ錬金工房の見習いなの。独立するまでは自由でいなさい」
「…はい」
ランカの将来を考えて、セレナは自覚するよう注意してくれる。
自立して自由に生きるのが当面の目標だから、気をつけようと心に刻んだ。
果物の香りがするお茶を味わった後、先にお風呂を勧められた。
嬉しいことに、この家のお風呂は温泉だった。
もともとフラックス領は、温泉を利用して療養する目的で開発された土地だそうだ。
街の宿のほとんどに共同浴場が設置されており、入浴は習慣化されている。ある程度衛生が保たれたフラックス領は、他領に比べて流行り病の発生が少ない。ただ、三十年前に王都近辺で温泉が湧き出し、保養地として栄えていた辺境の人気は落ちた。今では近場の街から湯治に来る常連客以外、フラックス領が温泉療養の街だったと知る者は少ない。
熱を利用して温室を暖めた後の温泉は、水場の隅に建てた風呂場へと流れ込む。程よい熱さになった掛け流しの源泉だ。贅沢すぎる気がする。
買ったばかりの着替えを持ち、ランカは風呂場に向かった。脱衣所も洗面所もない石畳の隅。一段低くなった場所に、陶器で出来た楕円形の浴槽が置かれている。浴槽の縁から絶え間なくお湯が溢れて、そのまま溝を伝って洗濯場の方に流れていた。
セレナから、サポを寝室に入れるなら綺麗にするよう言われた。拝借してきた洗濯用の大きな桶を、サポの浴槽にしてお湯を溜めた。
入ってすぐの台に脱衣籠を見つけて、着替えを置く。小部屋くらいの広さは落ち着かないが、サポと一緒なら安心だ。浴槽の側の棚に、湯桶と石鹸らしき小瓶が置かれていた。
栓を抜いて嗅いでみる。
(おぉ、薔薇の香りだ)
泡立ちも申し分なく、気持ちの良いほど汚れが落ちた。
サポに笑われながら、おじさんみたいな声を上げ、程良い湯に身体を沈める。
「ふぃ〜、極楽だぁ」
縁から盛大にお湯が溢れ、おじさん染みた遠吠えが再び炸裂した。
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