第7話 稀なる存在 ハーフエルフ
その小さな錬金工房は、街の西門近くにあった。
すぐ傍までヴォーラ大森林が迫っており、過去には常に魔獣の侵入があった区画だ。
近年、魔石を使った魔道具で、強固に魔法障壁を施した場所でもある。
商業ギルドで紹介状を貰ったランカは、アニスと別れて錬金術師見習いの募集をしている店に向かった。
必要だと渡された地図は、几帳面な受付嬢キャスリンの性格を、端的に現していた。距離、所要時間、地図自体の正確さが、航空写真のようだ。
『地図作成を生業にするマッパーでも、ここまで正確ではありません』
初めに地図を暗記したサポは、最小単位の誤差すら許さないような仕上がりに、びっくりしていた。
『…地図作成の、スキル持ちかもしれません』
未開地の測量をする者やダンジョンの探索者から、引き抜きがあってもおかしくないとサポは言う。
『…エルフらしい エルフです』
「…」
良い意味なのか何なのか、意味深長な発言だ。
「んー、あの店かな」
西門広場に出る手前。道を挟んだ両側に、向かい合った石組みの商店通りが見える。どれも同じくらいに古いが、閉まっている店が多い中、これから訪れるセレナ錬金工房は、洒落た佇まいの店だった。
「緊張してきた…」
斜め格子に透明な硝子を嵌め込んだ窓から、簡素な店内が伺える。綺麗に整理された商品棚と、幅広のカウンターに活けた花が美しい。
『行きましょう、ランカ』
艶々に磨かれた木製扉の上部は、ステンドグラス風の飾り窓だ。
ゆっくりと引き開けた途端、不思議な音色がした。見上げた扉の角にフックがあり、鎖で繋いだ幾つもの硝子珠が揺れている。手のひらで掴める大きさの珠が弾き合い、硬質なリズムを奏でていた。
「あ、小さいけど ブイの音に似ている」
子供の頃、泊りがけの家族旅行で海へ行った時、早朝の目覚まし代わりに聞いた音だ。
漁から帰ってきた船は、引き上げた網を船べりに掛けている。網に付いている硝子のブイは、波の揺れに合わせて打ち合い、美しい音色を奏でた。
不意に喉の奥が痛くなる。詰まった息で目が熱い。
サポの柔らかな毛並みが、息まで止めたランカの足に擦り付いた。
「いらっしゃい。何かお探しですか? 」
扉を開けたまま立ち尽くしていたランカに、店の奥から声が掛かった。
身につけた簡素な白衣が、中世の修道女を連想させた。背中に流した白金の髪は、ふわりと風を含んでいる。太陽みたいな薄黄の目に溢れるほど微笑みを湛えて、麗しい店主が小首を傾げた。
「お連れの可愛い従魔さんも、こちらにいらっしゃい。休憩のお茶を入れたところなの。一緒に召し上がれ」
当たり前のように、カウンターの端にある椅子を、手のひらで示す。
「さぁ、座って。焼き菓子もどうぞ」
湯気の立つ木のカップから、紅茶に似た香りがした。
「…ありがとう ございます」
促されるまま席に着き、一口啜った暖かさが身体に染みた。
「 おいしい」
さっきまで感じていた痛みが、ゆっくりと心の底に沈んでいく。そっと、深く深く息を吸い込むと、穏やかな気持ちが浮上した。
カウンターの一部を持ち上げて回り込んできた店主の手には、浅い皿に金色のスープが入っている。足元で座ったまま指示を待つサポに、ランカは頷いた。実体化している状態なら、食べた物を魔素に分解して貯蔵できるらしい。
さすが神の箱庭。便利だ。
置かれた皿から、獣脂の良い匂いが立ち昇った。
「賢い従魔ね。お口に合ってよかったわ。 さて。ようこそ、いにしえの方。ご用を伺っても大丈夫? 」
改めて顔を合わせた店主は、包み込むように微笑んだ。
ランカは腰のポーチから紹介状を出し、俯き加減で差し出す。
「あの、ランカと言います。雇って頂きたくて、来ました。よろしくお願いします」
ほんの少し、時間が止まった。
「あの わたし 仕事を…」
ぱちくりと音がするような瞬きの後。困ったような苦笑いが、店主の面に広がる。
「拝見しますね…」
商業ギルドの紹介状を開き、じっくりと読み込む顔が、呆れと優しい笑みに変わる。
「そう。仕事を探しているのは、本気なのね? 」
「はい」
即答に、店主は笑みを重ねた。
「ひとつ断っておく事があるの」
おもむろに髪を掻き上げた店主は、ランカに見えるよう、両の耳をむき出しにした。
艶やかな白金の髪から現れた耳の先が、僅かに尖っている。
暗色の赤いピアスが底光りし、一瞬だけ、ふわりと小さな魔法陣が揺れた。掻き消えた後には、赤味を増したピアスがあるだけだ。
『何かの…結界? でも…』
サポの念話が途切れて瞬きするランカに、店主のほうが呆気にとられる。
「分からない? 」
尖った耳は、エルフの耳ほど長くはない。
「…エルフの 一族? 」
考え込むランカに、戸惑いが返ってきた。
「わたしはね、ハーフエルフなの。父が人族。本来なら混ざる筈がない血が混ざって、わたしの半分はエルフで、中途半端に人族なのよ」
ただ単純に、納得した。
混ざる事がないのなら、普通はエルフか人族か、どちらかが生まれてくるのだろう。
店主のようにハーフの資質を持って生まれたなら、それはとても稀な事。
「そうなのですか。分かりました」
再び会話が止まった。
心細そうな顔をするランカを見て、店主は一度閉じた目をカウンターに落とした。
「ランカさん。あなたは人族でもなくエルフでもない半端者を、軽蔑しないの? 」
「は? なんで? ですか」
上げた目と真正面から向き合ったランカは、我知らず間抜けな顔を晒していた。
「え なんで軽蔑? もしかして、エルフは人族や他の種族と結婚したら駄目なの? 」
「え? 」
斜め上だったランカの返事に、店主はなんとも言えない表情を浮かべる。
「ん? わたし、変な事を言いました? 」
息を止めて目を見開いた店主の頬に、暖かな色が差した。
「あー、そうね。落ち着きましょう。もう一杯、お茶はいかが? 」
思い切り硬さが取れた店主は、空になったランカのカップへお茶を注いだ。
「見習いの待遇だけど。うちは基本的に、住み込みなの。空いている部屋を掃除してくれるなら、宿は引き払って、すぐに来てもらっても良いわ」
ランカの頭に言葉が染み込むのを、待ってくれる。
「…正直言って助かります。宿も取っていませんし、荷物も他にはありませんので」
カウンター越しに握手を求められ、世界は違っても挨拶は変わらないと、ふと思った。
「ようこそ、セレナ錬金工房へ。わたしは店主のセレナ・カルサイド。よろしくね」
曇り空が晴れるように、ランカは表情を明るくする。
「ランカです。よろしくお願いします! 」
*****
「気がついたら、森の中だったのです」
簡単に家の中を案内してもらい、見習いの部屋に買ったばかりの鞄を置いたランカは、お茶の続きに誘われてカウンター席にいた。
神の箱庭とか異世界とか、ややこしくなりそうな部分を省いて、気がついたらヴォーラ大森林に飛ばされていたと話した。
住んでいた場所に戻るのは、無理そうな事。この大陸の習慣や事情に疎い事など、美味しいお菓子とお茶をいただきながら正直に伝える。
「精霊の悪戯かしら、大変な思いをしたわね。あぁでも、ハイエルフの寿命は永遠に近いから、諦めないで。いつか故郷に帰れるかもしれないし」
セレナの言葉から、ハイエルフの寿命がとんでもなく長いと分かった。これは益々、きちんとした仕事が必要になる。自立して生活するのが、当面の目標になった。
店の扉が開いた音に、ランカは背筋を伸ばした。
旅の装いをした男が入って来る。なんとなく懐かしさを感じたのは、フードを脱いだ男の髪が黒かったせいだし、落ち着かなくなったのは、薄茶の目が鋭すぎたからだ。
「心配しなくて良いわ。同業者の方だから」
セレナの言葉に、椅子から降りる。
「悪い、セレナさん。先客ですか? 」
心地よい男の声に、この世界の男性は質が高いのかと呆れた。
「いいえ、明日から手伝ってもらう見習いなの。紹介しておくわ。遠方から来たハイエルフの、ランカよ」
鋭かった薄茶の目を見開いて驚愕する男に、気持ちが泡立った。
(何だろう。ハイエルフって地雷なの? 何で皆して驚くのよぉ)
内心でビクビクしながら、ちょっと頭を下げる。
「…寛容な いにしえ人ですね。 初めまして、フラックス領パーカル支店の店主を勤めます、クレストと申します。お見知り置きを」
右手を胸に当て、丁寧に挨拶するクレストに、ランカも仕事で培った礼をした。
「ランカと申します。よろしくお願い致します」
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