第6話 ハイエルフの お仕事
「緊張した…」
半円形広場に出た途端、ランカは思わず蹲った。まるで入社試験を受けた気分だ。
「ん〜。ラリマーさんは優しいよ〜。さぁ、次は戸籍所ね」
あれは丁寧なだけで、決して優しいわけではないと言いたいが、避けて通れなかったのも事実だ。元気いっぱいのアニスに引きずられ、ランカは重い腰を上げた。
商業ギルドも、その隣にある図書館も通り越し、広場で一番綺麗な戸籍所に行く。隣の尖塔だらけの聖教会が古臭く見えるほど、美しい白亜の建物だ。
入り口の壁には円形の複雑な模様の中に、翼を広げた鷹の絵があった。
(模様? なんか魔法陣的な? みたいな? )
視線を下げた入り口に全身鎧の騎士が立っていて、思わず尻込みする。
「領都門衛警備隊鑑識課医療部衛生兵アニスです。門衛警備隊小隊長ランドル・ストライドの命により、ヴォーラ大森林から来訪したハイエルフの、他種族滞在住民登録の補助を行いに参りました。入館許可を願います」
アニスが差し出した書類に目を通し、全身鎧がわずかに頷いた。いや、たぶん騎士が。
「ありがとうございます」
敬礼して入り口に進むアニスの後を、ランカはギクシャクと付いて行く。顔はまったく見えないが、絶対に無表情だろうと思う騎士が、本当に人間なのか疑わしくて、逃げるように素通りした。威圧感が半端じゃない。
「こわいよ…もぅ」
いっさい窓の無い戸籍所の内部は、魔道具の明かりに照らされて眩しかった。奥に重厚な机と対のソファーがあり、文官の上着を着た初老の男が座っている。
アニスに付いて行ったランカは、床が絨毯に変わった辺りで立ち止まった。足元のサポが、うっすらと発光している。
薄い膜を突き抜けて濃厚な気体の中に踏み込んだように、息が苦しい。
「ほう 珍しいの。その従魔、精霊かの? 【満々たる始原の息吹よ。在りし虚無、在りし刻に戻れ】」
空中に指を走らせ、少し掠れた声で男が文言を唱えると、重たい空気が散った。
「これで良いか、いにしえの者。ここはマナの集まりが容易くての。老いてオドが少なくなったわしのような年寄りには、居心地が良い。その分、森の民には濃すぎたか。気の毒じゃった。気分を悪くせんでくれ。わしら人族に、いにしえの者と争う意思は無い」
『ランカ』
びっくりして固まるランカの足に、サポが身体を擦り付けて念話を送ってくる。
アニスと初老の男、二人に見つめられ、ランカは曖昧に微笑んだ。
「あの、よろしくお願いします」
勧められたソファーに腰を下ろす。サポは守るように、ランカの足元へ蹲った。
「わしは領都フラックスの戸籍所長官、ファーデン・オーツ。領都の名簿係じゃの」
「…初めまして。わたしはランカです。錬金術のお店を持ちたくて、フラックスに来ました。物知らずな若輩者ですので、よろしくご指導ください」
オーツは大変に、おおらかな老人だった。
十年程前に王都の宮仕えを退き、のんびり余生を送ろうとフラックスにやって来た。手頃な農家を買い取って畑仕事でもと思っていた矢先に、王都五公爵議会から、フラックス領の戸籍所長官に任命されたそうだ。
買い取った農家は王都からついてきた使用人に任せ、日々の食を堪能しているらしい。
差し向かえに座って、一時間は過ぎただろうか。一向に戸籍の手続きは始まらず、お茶を頂きながら、つらつらと雑談は続いていた。
「失礼致します、長官殿。この後ランカは、商業ギルドで登録と師弟契約の準備があります。誠に申し訳ありません。住民登録をお願い致します」
話しを遮ったアニスに促されて、ランカは机にギルドカードを置いた。
「おぉ、そうだったの。暫し待て」
引き出しから取り出した書類には、うっすらと魔法陣が描かれていた。その上に水晶板を乗せ、カードを見ながら蒼銀のペンで水晶板に文字を書き込み始めた。
情報を写し終えてカードを水晶板の上に置き、ランカの指も上へ置くよう言いつける。
「【数多の事象を司る神の名に於いて、真実を明らかにし、正き領民の証をせよ】」
圧倒的な魔力がランカの内に流れ込み、存在全てをなぞって引いて行った。
「は? ぇ」
「終わったぞ。ほれ、ここを見てごらん」
手渡されたギルドカードの左下に、領都フラックス在住の文字と、戸籍所長官ファーデン・オーツの署名が浮き出していた。
水晶版に敷いた用紙にも、ランカの記録が印字されている。
「ありがとうございます」
カードを胸に抱くランカを、ファーデンは好もしく見返した。
「良い笑顔だの、幸運を祈っとるよ」
仕事は終わったとばかりに頷かれ、ランカは席を立つ。恐ろしい関門を通る心地で、全身鎧の側を通り抜けた。
「ほぁ。つかれたぁ」
お化け屋敷から出てきたように、思わず深い息を吐き出していた。
冒険者ギルドといい、戸籍所といい、とんでもなく精神が削られる場所だ。
「次、商業ギルドね〜」
容赦ないアニスに引かれ、先ほど通り過ぎた道を帰る。建物の規模は同じだが、戸籍所と比べ、商業ギルドは普通に落ち着いた場所だった。
「カードとタグの首紐は、商業ギルドのが良いと思うの〜」
入ってすぐ正面に受付カウンターがある冒険者ギルドと違い、商業ギルドの受付は、広いホールの左側全面にあった。
正面奥には二階へ上がる優美な折り返し階段が中央にあり、両側に扉が並んでいる。右側は幾つかの小部屋に区画された売店と、小さな会計台が見える。
アニスの言う首紐が何なのか、引っ張って行かれた売店で、ようやく理解した。棚に並んだ木の角盆に、色や素材が違う細紐が飾ってあった。色染めした革や編んだ布、繊細な金属の鎖だ。
「これ、綺麗」
赤金と白金、蒼銀の細い鎖が、複雑に編み込まれた長いネックレスがあった。
「ん? あぁ高いよ〜、これ。赤がオリハルコンで白がプラチナ、蒼がミスリル」
手に取ろうとして、ランカは固まった。
「か、革が良いかも」
隣に置いてあった赤い革紐を二本取り、売店の会計台に移動する。
二本で銀貨一枚だが、高いか安いかは分からない。
「うん、似合う〜」
おまけで付けてくれた木製のストッパーに通し、程良い長さで革紐を切ってもらった。
紐の端を固結びすれば、ずれて外れる心配もない。
赤い革紐と通したタグが、ナビの白い毛並みによく似合う。
「さて、錬金術師の窓口に行こうね」
カウンターの上部には細分化された業務の名前が書いてあり、アニスに連れられた窓口には「錬金・薬草課」の文字が読み取れる。
「キャス、久しぶり」
受付には、零れ落ちそうな褐色の目をした美少女がいた。素直な銀髪からはみ出した、尖った耳。
「エルフ? 」
思わず零した言葉に、キャスと呼ばれた美少女が微かに眉を顰める。
「森人が珍しいの? あなたもエルフでしょ? 」
「あ、はい。すみません ? 」
思わず謝ったが、なにがいけなかったのだろう。
「まぁ〜キャス。今日はおっかないよ〜? 」
投げやりにため息を零す受付エルフ嬢に、ランカは途方に暮れた。種族的に、エルフは禁句だったのかと心配になる。
「それで、何の御用? 」
声も表情も、硬くて恐い。そっとギルドカードをカウンターに置き、頭を下げる。
「ランカです。錬金術師と薬師の仕事か、師匠を斡旋してください」
要件を聞いても、沈黙と凝視で答えが返って来ない。
「あの、お仕事を…」
「あんた、馬鹿なの? 」
これはどこかで聞いたフレーズかもしれないと、現実を逃避したくなった。
「キャスリン・オーマッド。領都フラックスの新しい住民を、軽視してはいけない。ランカは、門衛警備隊小隊長ランドル・ストライドが保護した大森林の隣人です。謝罪を」
突然兵士モードになったアニスを見やり、受付嬢は目を見開いた。時間が止まったように動かない受付嬢と、笑みのないアニス。やがて震えるように息を吸い込んだ受付嬢が、ランカへと目を向ける。
「…謝罪します。失礼いたしました。ご用件を」
キャスリンと呼ばれた受付嬢の豹変にびっくりするも、ランカはゆっくりと要件を口にした。
「謝罪を受け取ります。錬金術と薬師の仕事を探しています。師事できる方か店を、斡旋してください」
落ち着くように息を吐く受付嬢を、黙って見守るしかない。何度か視線を外し、真顔になった受付嬢のキャスリンが声を絞り出した。
「たとえエルフであろうとも、絶対に有り得ないことです。ハイエルフが人族に師事を乞い願うなど、初めてです。本気なのですか? 誇りを忘れたのですか! 」
やってしまった感が凄い。
物語でも、エルフ族は誇り高い。ましてハイエルフなら、成層圏を突き抜けるくらいに、気位が高いかもしれない。けれど、それが何なのか。種族別に身分制度があるのだとしても、相手を見下すのは腹が立つ。
冒険者ギルドも商業ギルドも、居心地の悪さに苛ついた。
「…わたしは、人族の中で暮らしたいのです。森人の誇りも人族の誇りも、同じです」
真ん丸になったキャスリンの目が、信じられないと言っている。
「わたしがこの街で暮らして行けるように、手助けをしてください」
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