第10章 これで完了

第46話

 最後の夜を過ごして、次の日の朝を迎えた。いつも通り部屋に朝食も届けられ、僕はそれを食べた。今日も普通に美味しい料理だった。おそらく、人の手で作られているわけではないだろう。それでも美味しいものは美味しい。


 当然、今日の分の仕事はなかった。報酬は質と量の掛け算で支払われる。一応毎日の勤務時間は決められていたが、その時間に与えられた作業を必ずしなくてはならないわけではないし、沢山こなしても質が低ければ意味がない。僕は自分のペースで毎日の作業を進めたから、それが平均と比べて多いのか少ないのかということについては、データ不足のため分からなかった。けれど、別に平均を上回っているから嬉しいとか、下回っているから悔しいとは思わない。自分が行った仕事に見合った分の報酬が貰えればそれで良い。


 施設を出る前にロトと少し話した。昨日約束したことをざっと確認しただけだ。彼はどちらかというと良い人間だったが、僕は不思議と彼に好感を抱くことはできなかった。理由は分からない。それはサラについても同様だった。


 もう、この施設に再び足を踏み入れることはないだろう、と思う。


 午前十時に例の男性が施設の入り口までやって来て、僕とリィルを後部座席へと案内した。彼は運転席に乗り込み、軽く僕たちに頭を下げた。


「お疲れ様です」彼は言った。「私は、これから疲れる予定ですが」


「お願いします」


「お任せを」


 来たときとは逆に道を辿り、すぐに駅に到着する。今日は平日だから、人の数はそれほど多くはなかった。今の時間だと建物の中で仕事をしている人が多いのだろう。


 レトロな外見をした車を降りて、僕は男性にお礼を言った。


「どうもありがとう。助かりました」


 彼はこちら側に回ってきて、片方の手をひらひらと振った。


「くれぐれも、気をつけて」男性は笑顔で告げる。「このあとも、何が起こるか分からないから」


「このあと、とは?」


「家に帰るまで」


「ああ、たしかに……」僕も笑う。「帰るまでが旅行だって、よく言いますからね」


 男性はゆったりとしたテンポで車に乗り込み、ロータリーを回って道路を走っていった。


 寂れた駅舎の前に二人残される。


「少し、街を見ていく?」


 横を向いて、僕はリィルに尋ねる。


「うん」


 彼女は前を向いたまま頷いた。


 ずっと建物の中にいてばかりだったから、歩くのが若干億劫だった。トランクケースも重たく感じたし、何より脚と同時に腕を動かすのが大変だった。人間の脚と腕は、どうしてこうリンクするようにできているのだろう、と不思議に思う。そんなくだらない思考を展開しながら、駅の傍にある商店街を見て回った。


 どこも一般的な店舗が軒を連ねているだけで、特に目を引くものはなかった。しかし、それがまた良い。如何にも旅行に来た感じがする。列車に乗って、自分が知らない街に来ても、自分が知っているのと同じ日常風景が展開されているのを目の当たりにして、ちょっとだけ安心する。それが旅行の醍醐味というものだろう。


 リィルは、とある硝子でできた髪飾りに目をつけて、それを購入した。硝子が鳥の羽の形に加工されており、その下に植物の蔓を乾燥させて作った紐が括り付けられている。異国情緒満載な品物だったが、彼女がそれを自分の髪につけているのを見ても、不思議と違和感は覚えなかった。


 正午頃まで街をぶらついて、僕たちはとうとう列車に乗った。


 旅が終わろうとしている。


 あまり寂しい感じはしなかった。


 車内で販売していたパンを二つ買って、僕はそれを一人で食べた。リィルは窓の向こうをじっと眺めている。僕たちが今いた街の傍には、山や海など、自然なものがまだ多く残されている。田舎というよりは、秘境といったイメージの方が近いかもしれない。しかし、一般的に秘境と呼ばれる地ほど神聖な感じはしない。田舎と秘境を足して二で割ったら、きっとこんな雰囲気になるのだろう。


 パンを食べ終わってから、少しだけ眠って、それから友人に電話をかけた。彼は僕たちのことを心配してくれていたようで、スピーカーの向こうで大笑いしていた。どうやら、心配事が解消されると、普段よりも感情が前面に押し出されるようだ。あの施設で起きたことを端的に説明し、僕とリィルは無事だと話すと、彼は一方的に電話を切った。もちろん、ロトに他言しないように言われたことは黙っておいた。友人は、いわば僕たちとあの施設を繋ぐ仲介人の役割しか担っていない。その間を上手く取り持つことができれば、詳細な情報には興味がないみたいだった。


 やがて、リィルは眠ってしまった。今日は曇っていて、日差しが車内に差し込むこともなかった。比較的暗いイメージだ。けれど、彼女の寝顔と、その曇り空が妙にマッチしているような感じがして、良いものを見たな、と僕は一人で感慨を抱いた。

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