第42話

「リーダーが死亡しているのが見つかりました」ロトが説明した。「ここからかなり離れた場所です。彼女は予言書を所持していませんでした」


「ハイリですね?」


「ええ、そうです」


 ロトによると、この施設の警備を行っている企業が、警察とともに彼女の遺体を確認したらしかった。所有物も一つ一つ確認したが、予言書なるものはどこにも見つからなかった。


 ヘブンズの活動領域を拡大する作業は中断したらしい。それだけではなく、たった今、この施設にクラウドを形成する機器を、主電源ごとシャットダウンした、とトロは説明した。シャットダウンには時間がかかるため、ヘブンズはすぐには無力化されなかった。先ほどの彼が来てくれなかったら、僕は今頃リィルに首を締められて死亡していただろう。


 そう……。


 あれは、完全にリィルではなかった。


 僕が知っている彼女とはまったく違っていた。


 何もかも……。


 男性がサラを抱えて戻ってくる。彼はリィルの対面の椅子にサラを座らせる。彼女に怪我はなかった。気を失っているだけのようだ。


 僕とロトも椅子に腰かけた。もう一人の彼は壁に寄りかかって立っている。


 緊急事態だというのに、僕たちのほかには誰も駆けつけてこなかった。野次馬も誰一人としていない。


 そう……。


 ロトは、この施設にほかの所員がいないことを明らかにした。


「申し訳ありませんでした」彼は謝罪した。「非常に心苦しい弁解ですが、どうしてもほかの手段をとることができなかったのです」


 この施設にはロトとサラの二人しかいない。実際には、ヘブンズがすべての翻訳作業を行っていたのだ。それがこの施設の一番の特徴だった。それなのに、彼は嘘を吐いて僕とリィルに仕事の依頼を持ちかけた。その理由は僕は知らない。しかし、そんなことをするからには何か理由があるはずだ。


「……理由を聞かせてもらえませんか?」僕は尋ねる。


 数秒間黙ったあと、ロトは目を逸らして説明した。


「予言書に記されていたからです」彼は言った。「私とサラは予言書がどんな書物であるかを知っています。知らないと貴方にお伝えしたのも虚言です。申し訳ありません……。そして、ハイリがその書物をこの施設から持ち出す前に、私たちは、そこに、お二人がここに来ると記されているのを読んだのです。それだけではありません。この施設の方針を定める際には、すべてその予言書に記されている通りにしてきました。ですから、あれを失うわけにはいかなかったのです。それも、この施設のリーダーなる人間の手にかかることなど……。……ですが、未だに予言書の所在は不明です」


「……その、予言書というものは、どんなものなんですか?」僕は質問する。「えっと、その……。今の説明だけでは、よく分からないんですが……」


「その名の通りのものです。今後起きる事柄が詳細に記されています。ただし、記されているのはこの施設に関することだけです。その他のことについては一切触れられていません」


「誰が書いたものですか?」


「それは分かりません。ただ、この施設に代々伝わるものです」


 沈黙。


 僕は考える。


 予言書とは何だろう?


 どうしてそんなものがあるのか?


 最初にロトからその存在を聞いたとき、僕はそれを名ばかりのものだと思っていた。ただ、何らかの経緯があって、そのように呼ばれるようになっただけだと……。


 けれど……。


 本当に、未来のことが書かれているなんて……。


 到底信じられない。


「あの……。……今回のことはどうか内密にして頂きたいのです」ロトは言った。「予言書の存在とヘブンズの運用が外部に漏れれば、我々はもう二度とこの施設の運営することはできません。それだけは何としても避けたいのです。我々には企業を継続する定めがあります。ですから、どうか……」


 そう言って、ロトは僕に頭を下げる。


「どうか、お願い致します」


 僕は何も言えない。


 彼はそのまま硬直する。


「……ヘブンズの運用は、今後どうするつもりですか?」


「それに関しては、検討するつもりです」顔を上げて、ロトは説明した。「もちろん、今まで通りの運用方法を継続しようとは考えていません。人工知性を根本的に書き変えたのち、レベルを下げて一つのツールとして使うつもりです」


 それは当たり前だと僕は思った。何しろ、あれだけの力を持っているのだから……。


「……申し訳ありませんが、僕は何とも言えません」僕は言った。「それは、部外者の僕がどうこう言える問題ではないですから……。……ただ、ヘブンズの影響で、リィルは被害を受けました。だから、そう……、今後は、同じ過ちを繰り返さないようにしてほしい。僕が言えるのはそれだけです。それは約束してくれますか?」


「ええ、もちろんです」ロトは何度も頷く。「では、内密にして頂けるのですね?」


 声を出さずに、僕は一度小さく頷いた。

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