第9章 やっと解決

第41話

 リィルに首を絞められたまま、僕はぼうっと彼女の顔を眺めていた。


 彼女の髪が解けるように垂れ下がり、僕の頬に軽く触れる。


 今は何の匂いもしない。


 もう感覚が大分鈍くなっているようだ。


 生命を放棄してしまいたくなる。


 それも良いと思った。


 彼女に殺されるのだ。


 この上なく素晴らしいことではないか。


 でも……。


 彼女は、僕を殺すことを望んでいるのか?


 そうすることを、心の底から望んでいるのか?


 心とは何か?


 そんなものがあるのか?


 人間を真似て作られた僕たちに、そんなものが存在するのか?


 そもそも、人間に心はあるのか?


 リィルがさらに手に力を込める。


 鋭利な爪が僕の皮膚に食い込んだ。


 痛みは感じなかった。


 むしろ心地良い。


 ああ、今、彼女に触れられているんだ、と当たり前のように感じる。


 嬉しかった。


 でも……。


 彼女は、僕を、殺したいと、本当にそう望んでいるのだろうか?


 一瞬の出来事。


 突然、スタビライザーが完全に無力化され、リィルは右方向に吹き飛ばされた。


 僕の身体もそちらにずれる。


 意識のない頭で演算をして、涙の滲む目で左側を見る。


 男性が一人立っている。


 フォーマルな格好をした紳士だった。


 彼女がリィルに力を加えたのだ。


 彼は僕に視線を向ける。


 それから、またリィルの方を向いた。


 彼女は立ち上がろうとしている。


 男性は落ちていたピストルを広い、天井に向けて引き金を引く。


 轟音。


 しかし、僕の耳は空気の振動を正しく認識できない。


 リィルが完全に立ち上がり、男性に接近を試みる。


 彼は天井に向けて何発も弾を撃ち込んだ。


 火花が散る。


 配線のビニールが焦げる匂いがした。


 リィルが彼のピストルを握っている方の腕を掴む。


 男性は動じない。彼女を思いきり引き剥がし、ソファに向かって叩きつける。


 天井を構成していたパネルが何枚も剥がれ、そこから妙な機器が姿を晒した。


 彼はその機器に向けて照準を定め、さらに引き金を引く。


 リィルは起き上がらない。


 サラも倒れたまま。


 男性は、傍にしゃがみ込み、ゆっくりと僕を起き上がらせた。


「大丈夫ですか?」低い声で彼は尋ねた。「ここに長くいると危険だ。すぐに移動しましょう」


 彼は……。


 そう、僕たちをここまで連れてきた、あのタクシーの運転手だった。


 状況を理解できないまま、僕は黙って頷く。


 僕が一人で立てるのを確認すると、彼はリィルに近づいて彼女を片手で持ち上げた。


 男性に伴われて僕はドアがある方に向かう。


「……さっきの、あれは?」上手く声が出なかったが、歩きながら僕は尋ねた。


「ヘブンズと接続するためのルーターです」彼は説明した。「しかし、あれは本体ではない。バックアップがいくつも存在するはずです」


「設置されているのは、あの部屋だけではないのでは?」


「もちろん」彼は頷く。「しかし、彼女はもう気を失った。当分の間は大丈夫でしょう」


 僕は彼に抱えられたリィルを見る。彼女は目を閉じていた。頭部から少し体液が漏れている。赤色の液体が彼の衣服に付着し、人間の血液よりも生々しく輝いていた。


 灰色の廊下を進む。僕は上手く歩けなかったが、徐々に意識がクリアになっていった。


 ロビーに出たタイミングで、ロトに出会った。


「大丈夫でしたか?」ロトは尋ねる。


「ええ、なんとか……」僕は言った。「彼に助けてもらいました」


 ロトは黙って頷く。


「……そういえば、サラは?」僕は訊いた。


「私が連れてきます」リィルをラウンジの椅子に下して、男性が答える。「すぐに戻るから、この場を離れないで下さい」


 僕は頷いて了承した。


 椅子に座って脱力しているリィルの傍に立ち、僕は彼女の頭部に触れる。体液はもう乾き始めていた。新しく漏れ出てはいない。


 ロトが自分の部屋に入っていき、ガーゼを持って戻ってきた。


 僕はそれを受け取り、彼女の傷口に軽く当てる。

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