第35話
*
目が覚めてから、いつも通り作業を行った。翻訳するテキストはサラから随時送られてくる。クラウドに接続できない処置は限定的に解除されたが、もうその状態を維持する意味はなさそうだった。
正午前にロトに呼び出されて、僕とリィルは彼の部屋に向かった。そこで、ロトは、ヘブンズの活動領域を拡大する作業を始めたこと、またリーダーの捜索を引き続き行うことを僕たちに伝えた。別に何も驚くことではなかった。普通に考えたらそうする以外にはない。
ただし、僕とリィルはヘブンズの特殊性を知っている。活動領域が拡大されるとなれば、何らかの不利益を被る可能性は高い。それがどの程度のものかは分からない。現段階では、そうすることで齎される利益や不利益について、確かなことは何もいえない。だから、ロトもそのような決断をしたのだろう。未知の不利益について考えるよりも、予言書の返還という確実な利益を優先したということだ。
部屋に戻って昼食をとりながら、僕はリィルと話した。
「とりあえず、まずはヘブンズの記述言語の翻訳を終わらせないとね」僕は言った。「それを読めば必ず何か分かるはずだ」
「必ず、と断定できる根拠は?」
「さあ……。それは僕にも分からない。でも、君も同じように感じているんだろう?」
リィルは否定しなかった。黙ったまま視線を下に向ける。
「……でも、それって……」
そう言ったものの、彼女はその先の言葉を続けようとしない。
「そう」僕は応えた。「それしかない」
「でも」リィルは顔を上げる。
「何?」
「でも……」
料理を食べ終えて、僕は箸をトレイに戻す。今日のランチはエビフライ定食だった。
「とりあえず、やれるだけやってみよう」彼女が何も話さないから、僕は言った。「それしかない」
数秒遅れて、リィルは小さく頷いた。
午後二時を迎える前に、新着のメッセージが届けられた。テーブルにスクリーンが投影される。送り主は昨日と同じだった。
〉要求から二十四時間が経過した。残された時間は四十八時間となる。
〉ヘブンズの活動領域の拡大を急ぐように。
〉要求を受け入れないと判断した場合は、事前にこちらに伝えてもらって構わない。
〉その場合、私の手もとにあるテキストは直ちに破棄する。
〉心するように。
統括者
僕とリィルはそのメッセージを読んだ。
「これって、逆探知とかできないのかな?」リィルが言った。
「できないと思うよ。できるなら、ロトがとっくにやっているさ」
しかし、僕がそう言うと、リィルは自分のウッドクロックを活性化させた。
「私がやってみる」
彼女は、数分間テーブルに搭載された端末と格闘していたが、結局メッセージの送信もとを突き止めることはできなかった。まあ、当たり前といえば当たり前だ。そんな脆弱な手段で自分勝手な要求をする人間はいない。
そんなことをしても時間を無駄にするだけだから、僕はいつも通り与えられた仕事をこなした。翻訳は随分と速くできるようになった。長い間ずっと同じことを繰り返していたから、脳の構造もそれに合わせて変化したのかもしれない。
途中でサラが一度顔を見せたが、何も言葉を発さずに立ち去った。
彼女には、少し不思議なところがある。
まるで自分の意思とは無関係に行動しているようだ。
僕にはそう見えた。
リィルにその点について意見を求めてみたところ、お節介な指摘を受ける羽目になった。
「まあ、君よりはましだと思うけど」
そう言って、彼女はにっこりと笑った。
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