第35話



 目が覚めてから、いつも通り作業を行った。翻訳するテキストはサラから随時送られてくる。クラウドに接続できない処置は限定的に解除されたが、もうその状態を維持する意味はなさそうだった。


 正午前にロトに呼び出されて、僕とリィルは彼の部屋に向かった。そこで、ロトは、ヘブンズの活動領域を拡大する作業を始めたこと、またリーダーの捜索を引き続き行うことを僕たちに伝えた。別に何も驚くことではなかった。普通に考えたらそうする以外にはない。


 ただし、僕とリィルはヘブンズの特殊性を知っている。活動領域が拡大されるとなれば、何らかの不利益を被る可能性は高い。それがどの程度のものかは分からない。現段階では、そうすることで齎される利益や不利益について、確かなことは何もいえない。だから、ロトもそのような決断をしたのだろう。未知の不利益について考えるよりも、予言書の返還という確実な利益を優先したということだ。


 部屋に戻って昼食をとりながら、僕はリィルと話した。


「とりあえず、まずはヘブンズの記述言語の翻訳を終わらせないとね」僕は言った。「それを読めば必ず何か分かるはずだ」


「必ず、と断定できる根拠は?」


「さあ……。それは僕にも分からない。でも、君も同じように感じているんだろう?」


 リィルは否定しなかった。黙ったまま視線を下に向ける。


「……でも、それって……」


 そう言ったものの、彼女はその先の言葉を続けようとしない。


「そう」僕は応えた。「それしかない」


「でも」リィルは顔を上げる。


「何?」


「でも……」


 料理を食べ終えて、僕は箸をトレイに戻す。今日のランチはエビフライ定食だった。


「とりあえず、やれるだけやってみよう」彼女が何も話さないから、僕は言った。「それしかない」


 数秒遅れて、リィルは小さく頷いた。


 午後二時を迎える前に、新着のメッセージが届けられた。テーブルにスクリーンが投影される。送り主は昨日と同じだった。



〉要求から二十四時間が経過した。残された時間は四十八時間となる。



〉ヘブンズの活動領域の拡大を急ぐように。



〉要求を受け入れないと判断した場合は、事前にこちらに伝えてもらって構わない。



〉その場合、私の手もとにあるテキストは直ちに破棄する。



〉心するように。




統括者


 僕とリィルはそのメッセージを読んだ。


「これって、逆探知とかできないのかな?」リィルが言った。


「できないと思うよ。できるなら、ロトがとっくにやっているさ」


 しかし、僕がそう言うと、リィルは自分のウッドクロックを活性化させた。


「私がやってみる」


 彼女は、数分間テーブルに搭載された端末と格闘していたが、結局メッセージの送信もとを突き止めることはできなかった。まあ、当たり前といえば当たり前だ。そんな脆弱な手段で自分勝手な要求をする人間はいない。


 そんなことをしても時間を無駄にするだけだから、僕はいつも通り与えられた仕事をこなした。翻訳は随分と速くできるようになった。長い間ずっと同じことを繰り返していたから、脳の構造もそれに合わせて変化したのかもしれない。


 途中でサラが一度顔を見せたが、何も言葉を発さずに立ち去った。


 彼女には、少し不思議なところがある。


 まるで自分の意思とは無関係に行動しているようだ。


 僕にはそう見えた。


 リィルにその点について意見を求めてみたところ、お節介な指摘を受ける羽目になった。


「まあ、君よりはましだと思うけど」


 そう言って、彼女はにっこりと笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る