第7章 すぐに再開

第31話

 届けられた夕飯を食べながら、僕は今後どうしたら良いのかを考えた。ロトからは何の連絡もない。もっとも、僕たち以外の所員は今後の方針をもう知っているのかもしれない。今回の事件に関する詳細を教えてもらうのと引き換えに、僕たちはその一切を他言しないと約束したが、そんなスタイルが僕は本当は好きではなかった。だから、これ以上ロトに情報を提供するように働きかけるつもりはない。ただ、相手も他言されては困るだろうから、僕たちに嘘を吐こうという気にはならないだろう。不安や心配は人間をいとも容易く支配するものだ。


 夕飯を食べ終えてから、僕は再びヘブンズとの会話を試みた。ヘブンズは僕の大抵の質問には答えてくれたが、他人のプライバシーに関する内容には答えなかった。セキュリティーの観点から当然といえる。ただ、僕には、ヘブンズの人工知性のレベルが低いように思えてならなかった。これだけハイテクな施設で運用されているにしては、質問に対する答え方がいまいち適切でないように感じる。きちんと思考してはいると思うが、なんというのか、参照するデータが不足しているように思えた。


 ヘブンズとの会話が一通り終了してから、僕はリィルと部屋の外に出た。ここ数日間室内にずっと篭りっぱなしだったから、久し振りに外の空気を吸いたくなったのだ。すぐ傍に海があるのだから、ありがたい環境を有効に使わせてもらおうと思った。


 ロビーに出たが、相変わらず人はいなかった。右を向いて、ロトの部屋のドアを見る。その向こうでロトはまだ仕事をしているに違いない。厄介な役割を担ってしまったものだ、と僕は無責任ながらも彼が可哀相に思えた。誰も、好き好んでそんな役割を担いたいとは思わない。


 外は暗かった。しかし、今夜もドームは灯台としてしっかり機能している。


 今日は砂浜には下りないで、丘の上から海を眺めることにした。


 ドームの裏にベンチが一台だけ置かれている。


 僕たちはそこに並んで腰をかけた。


「久し振りだね、こういう感じ」リィルが言った。


「外の空気が?」


「いや、こうやって並んでベンチに座るの」


 ベンチという単語から、僕は彼女と初めて出会った日のことを思い出した。


「君は、もう、いいの?」


「何が?」


「さっきまで、あんなに好奇心旺盛だったじゃないか。もう興味は尽きてしまった?」


「うーん、どうだろう……」リィルは答える。「なんだか、面倒臭くなってきちゃった……」


「それは、もしかすると、危機感を覚えたからかもしれない」


「危機感?」


「そう……。……実は、僕にもその感覚がある」


「この出来事に対して?」


「そうかもしれないし、そうではないかもしれない」僕は話す。「なんか、この出来事に対してだけではないんだ。この施設に来て、仕事をすることになったけど、それから、何か、少しずつずれていったような感じがするんだ……。君は初めからそんなことを言っていただろう? それが、僕にも段々分かってきた。このまま進んだら危ないような気がする」


 リィルは小さく頷いた。


 波の音が聞こえる。海は真っ黒だった。空よりも黒いかもしれない。船の汽笛でも聞こえてきたらロマンチックだと思うが、今は自然音しか聞こえなかった。人工的な気配は灯台の光しかない。


「もう、帰る?」リィルが訊いてきた。


「家に?」


「そう……」


「仕事は、最後までするつもりだよ」僕は言った。「でも……。……うん、どうするのが正解なのか分からない」


「何が、私たちにこんなふうに感じさせるんだろう?」


「さあ……」


「私はね、もう、帰りたい」


「それは僕も同じだよ」僕は賛同する。「気持ちとしては帰りたいけど、論理的に考えると、まだ帰らない方がいい、という結論に至る」


「じゃあ、帰ろうよ」


「黙って?」


「そう」


「それは、できない」


 沈黙。


 前を向いたまま、リィルは僕の掌を握った。


 僕も彼女の手を握り返す。


 静かだった。


 いったい、僕たちは何を迷っているのだろう?


 いったい、僕たちは何を悩んでいるのだろう?


 何をそんなに迷う必要があるのか?


 何をそんなに悩む必要があるのか?


 だけど……。


 それでも、今は彼らと関わらなくてはならない、という気がするのは確かだ。


 そう……。


 それしかない。


 そう決められている。


 どうしても、そんな予感がする。


「うん、やっぱり、もう一度考えてみよう」やがて、僕は再び口を開いた。「ここで退散するのも間違った判断ではないけど、でも、それは、今じゃなくても良い気がする。必ず、この施設には何かある。このタイミングで僕たちが呼び出されたことも、きっと偶然なんかじゃない。きちんとした理由があるはずだ。僕はそれを突き止めたい」


 僕はリィルを見る。


 彼女は少しだけ笑った。


 困ったような顔だった。


「私も、そう思うよ」彼女は頷く。「でもね、本当に大丈夫かな、という迷いがある」


「大丈夫じゃなくなったら、どうする?」


「どうするって?」


「僕がそんな目に遭ったら、君はどうする?」


「分からない。……逃げ出すかもしれない」


「適切な判断だね」


「でも……。とりあえず、私は、君の指示に従う」


「指示なんて、そんな大層なものじゃないさ。……分かった。とりあえず、今はその方向で進むことにしよう」


 リィルはゆっくり頷いた。

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