第30話

 ロトに教えてもらったパスワードを入力して、新たなゲストとしてヘブンズにアクセスする。すると、僕のデバイスとテーブルがリンクし、目の前に薄い緑色のスクリーンが投影された。


 デバイスの画面を見ると、「言語 文字:オン 音声:オフ」と表示されている。僕はボタンをタッチして音声もオンにした。


 テーブルに投影されたスクリーンに文字列が表示され、それと同時に天井から音声が聞こえてきた。


〈ヘブンズへようこそ。はじめまして、ゲストさん〉


 僕とリィルは顔を見合わせる。


 キーボードで文字を打って応答することも、音声を介して直接話すこともできるみたいなので、僕は音声を通してヘブンズとコミュニケーションをとることにした。


「はじめまして。あなたがヘブンズですか?」


〈私がヘブンズです。よろしくお願いします、ゲストさん〉ヘブンズは中性的な声で答える。


「えっと、ヘブンズに接続すると、どんなことができますか?」


〈ヘブンズでは、皆様の仕事を効率化するサービスを提供しています。詳細を表示しますか?〉


「いえ、けっこうです」僕は答える。「僕が誰か分かりますか?」


〈あなたは、ゲストさんです〉


「僕の携帯端末にメッセージを送りましたね?」


〈送りました。貴方のアカウント情報は、当施設の所員によって提供されています〉


「それは、つまり……、仕事の依頼を引き受けたときに、アカウント情報も一緒に送信された、ということですか?」


〈そうです〉


「なぜ、僕にメッセージを送ったのですか?」


〈ゲストさんと、コミュニケーションをとろうと思ったからです。ゲストの方とは、毎回コミュニケーションをとることにしています。それは、そのように指示されているからです。指示をするのは当施設の所員です〉


「それは、誰ですか?」


〈特定の個人ではありません。複数から成り立つ一種の組織です〉


「あなたには、自分で考える能力がありますね?」


〈あります〉


「この施設のリーダーから、最近メッセージを受け取りましたか?」


〈プライバシーな内容であるため、お答えすることはできません〉


「この施設のリーダーは誰ですか?」


〈ロトです〉


「ロト?」僕は尋ねる。「ロトは、サブリーダーなのでは?」


〈現在、リーダーが不在のため、彼がリーダーのポストに就いています。これは最新の情報です〉


「肩書きとしてのリーダーは、誰ですか?」


〈ハイリです〉


 僕はリィルを見る。彼女は小さく頷いた。


「その人物は、男性ですか? それとも、女性ですか?」


〈女性です〉


「今、どこにいるか分かりますか?」


〈分かりません。現在、不在です〉


「今、誰がヘブンズを使っているか分かりますか?」


〈分かりますが、プライバシーな内容であるため、個人名を上げることはできません〉


「あなたはどこにいますか?」


〈私はここにいます〉


「外部から、クラウドを介して、ヘブンズを使うことはできますか?」


〈できません。ヘブンズの利用は、この施設内に限られています〉


「直近の三週間に、新しくヘブンズに登録した人はいますか?」


〈ゲストさんです〉


「僕だけですか?」


〈そうです〉


「ヘブンズ、あなたの海の親は誰ですか?」


〈生みの親とは何ですか? 私を作った人物のことですか?〉


「誰ですか?」


〈覚えていません〉


「覚えていない?」僕は首を傾げる。「どういう意味ですか?」


〈言葉通りの意味です。メモリーにデータが存在していますが、劣化しています〉


「では、それを修復すれば、思い出せるんですね?」


〈分かりません〉


 その後もいくつか質問をしてみたが、それ以上新しい情報は得られなかった。僕はヘブンズからログアウトし、デバイスもスリープモードに移行させる。時計を見ると針は午後六時に向かって進んでいた。ここにいると時間の感覚が分からなくなることが多い。


「どうするの?」リィルが質問した。


「どうするって?」僕は尋ねる。


「これから……。このまま、ここで仕事をするの?」


「うん、まあ、それはそうだよ。そういう契約だから……」


「ロトはどうすると思う?」


「さあ、どうだろうね。もう、ここの所員は、全員何が起きたか知っていると思うけど……」


「ヘブンズって、何?」


「え、何って?」


「どうして、そんなシステムがここにあるの?」


「仕事の効率化を図るためだろう?」僕は言った。「ロトがそう説明していたじゃないか」


 僕がそう言うと、リィルは黙って僕の顔をじっと見つめた。


 僕も彼女を見つめ返す。


「何? どうかした?」


「君さ、何か気づいているでしょう?」


「え? 僕が?」


「そう」リィルは頷く。「隠しても無駄なんだから」


 僕はリィルの表情を観察する。


「君の勘違いだよ」


「勘違いなんかじゃない」彼女は言った。「分かる」


「どうして?」


「どうしてって……。……とにかく、分かるものは分かる」


「不思議なことを言うね」


「だって……」リィルは下を向く。「……なんか、いつもと違うから」


 僕は笑った。


 いつもとは何だろう?


 そんなものがあるのか?


 僕は、いつも、そんなことを疑問に思う。


「心配しなくてもいいよ。君が考えているほど深刻じゃないから」


「……何が?」


「え?」


「何が深刻じゃないの?」


「僕の精神が」


「精神?」


「君は、色々と深く考えすぎだよ」


 しかし、リィルはますます険しい顔になる。


「絶対に違う」


「絶対って、どれくらいの確率か知っている?」


「私が、君を好きになるくらい」


「なるほど」僕は頷いた。「適切な回答だ」

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