第29話

 部屋に到着する。もう午後の作業が始まる時間だったから、僕はデバイスを開いて作業を始めた。今はまだヘブンズには触れないでおく。作業が終わってからゆっくり試すことにした。


 それにしても……。


 僕とリィルは、どうしてこんなことに巻き込まれたのだろう?


 どうして、という問いに対する答えがあるとは思えないが、どうしてもそこに理由があるように思えてしまう。


 何もかもできすぎている。


 まるで、こうなることを誰かが予想していたみたいだ。


 どうしたら、そんな高度な予想ができるのか?


 神にでもなれば、未来を知ることができるのか?


 ……どうだろう。


 とにかく、今は一度すべて忘れて、目の前の作業に集中しようと思った。


 こうして僕は与えられたテキストを翻訳しているが、このテキストはほかの場所からこの施設に持ち込まれたものだ。テキストの解析と翻訳がこの施設の役割だから、それを遂行するのは当たり前だといえる。


 けれど……。


 それなら、あの予言書は外部から持ち込まれたものなのだろうか? ロトはこの施設が創設された当時から存在していたと言っていたが、では、それを書いたのはこの施設に勤めていた人間なのか? そして、もしそうだった場合、その人物は何のためにその本を執筆したのだろう? さらに言えば、なぜリーダーはその予言書を交渉材料にしたのか……。


 いつも通り、僕は英語をプログラミング言語に置き換えていく。その作業はあまり頭を使わないから、却って余計なことを考えてしまう。先ほど、すべて忘れて、目の前の作業に集中すると決めたばかりなのに……。


 もし、僕とリィルの二人と、その予言書との間に関係があるとしたら、それはどんなものだろう?


 その予言書が存在していたから、僕たちはこの施設に呼び出されたのか?


 ……そんなはずはない。


 けれど……。


 仮に、すべて仕組まれていたとしたら?


 誰かの陰謀だったら?


 僕たちには、果たすべき役割があるのではないか?


 すべて僕の勝手な想像にすぎない。


 根拠はない。


 それでも、そんなふうに考えてしまう。


 考える。


 考える。


 つまり、意識的に結論を導き出している。


 結論に至るのなら、そこには根拠と過程が存在するはずだ。


 僕は、自分でも知らない内に、その根拠と過程を把握しているのか?


 それはなぜだろう?


 二時間くらい作業を続け、僕はそこで今日の分の仕事を打ち切った。もう充分な量をこなしたし、指もそろそろ限界に近づいていると感じたからだ。


「ねえ、リィル」僕は言った。「実はね、僕、ここに来る前にヘブンズからメッセージを受け取っていたんだ」


 リィルは僕の前で目を丸くした。こちらに身を乗り出す。


「……本当?」


「そう……。携帯端末に送られてきたんだけど……」そう言って、僕は端末を取り出してそのメッセージを彼女に見せる。「さっきロトと話しているときに思い出したんだ。そんなこともあったな、くらいに考えていたけど、これが案外役に立つかもしれない」


 画面の文字に目を走らせていたリィルは、すぐに僕の顔を見る。


「どういうこと?」


「ヘブンズに訊いてみるんだ」僕は説明した。「どうして、僕にメッセージを送ってきたのか。そして、どうして、僕たちがここに来なければならなかったのか」


 リィルは不思議そうな顔をしている。


 それから、彼女は首を僅かに傾げた。彼女がよくする仕草だ。


「ちょっと、意味が分からないんだけど……」


「うん、まあ、とりあえずやってみよう」


 携帯端末を上着のポケットに仕舞って、僕は手もとにあるデバイスの表示を切り替えた。翻訳をするために使っていたソフトを終了し、新たにクラウドに接続するためのソフトを起動する。このソフトは、最初にサラから説明を受けた際にインストールしたものだ。完成したテキストを保存するときは、毎回このソフトを介して行っている。


 この施設のクラウドにアクセスし、アカウントと簡易のパスワードを入力する。僕は部外者なので、アカウント名は単純に「ゲスト」として表示されている。


 クラウドに接続され、お馴染みの画面が表示される。ロトに教えてもらった通りにページを辿っていくと、やがて該当するフォームに辿り着いた。


 これが、ヘブンズにアクセスするためのフォームだ。


 ページの上部に「Heven's」と英語で表記されていた。


「なるほど。ヘブンズのsは、複数形のsじゃなくて、所有格を表すsなんだ」


 僕の後ろでリィルが質問する。


「じゃあ、その後ろに何か続くってこと?」


「そうかもしれない」


「何が続くのかな……」リィルは考える。


「まあ、今はその問題は保留しておこう。あまり重要とは思えないから……」

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