第28話

「……これから、どうするつもりですか?」


 僕がそう尋ねると、ロトはゆっくりと顔を上げてこちらを見た。


「今、それを考えているところです」彼は話す。「要求に従うとすれば、七十二時間以内にヘブンズの活動領域の拡大を完了させなくてはなりません。そのためには、もう今から作業を開始する必要があるのです。この種の作業にはかなり多くの時間がかかりますから……。ただ……」


「理由が分からないから、できない、ということですか?」


「ええ……」彼は何度も頷いた。「その通りです」


 たしかにそうだろう。リーダーがそのような要求をするのは、そうすることで当該者に何らかの利益があるからだ。しかし、その利益が具体的にどのようなものか分からなければ、迂闊に要求を呑むことはできない。そうすることでこちらが不利益を被る可能性があるからだ。


「その、えっと……、予言書というのは、返還されないと困るものなんですか?」


「ええ、それはそうです」ロトは頷く。「具体的にどのようなことが書かれているのか私も存じませんが、とにかく、この施設に古来から伝わる大切な書物なのです。今まで、リーダーを務める者が代々大切に管理してきました。ですから、それを個人が無断で持ち出すようなことはあってはならないのです。……ですが……。まさか、当のリーダーがそのような行為に及ぶとは……」


「何か心当たりはありませんか?」


「それが、まったくないのです」ロトは言った。「どうしてそんなことをする必要があるのか……」


 彼は沈黙する。


 とにかく、今はヘブンズの活動領域が拡大することで齎される利益と、それによってこちらが被る可能性のある不利益について、ある程度確かな答えを見つけなくてはならない。それが先決だ。


 そして、引き続きリーダーの行方を追う必要もある。その人物の居場所が分かれば、すべての事態に終止符を打つことができるのだから……。


 ただ……。


 僕は、その人物を見つけるのは、そんなに容易いことではないだろう、と考えていた。もう一ヶ月も捜索しているのに手がかりが掴めないのだから、今になって簡単に見つかるはずがない。それに、外部からこの施設のクラウドにアクセスできるということは、その人物はどこにいてもおかしくないということでもある。ちょっとした端末があれば、インターネットを介してこの施設のクラウドにアクセスできるのだ。もはや距離が齎す障害を超越しているといって良い。


 結局、ロトは何の結論も出さなかった。リーダーが要求しているのは、七十二時間以内にヘブンズの活動領域を拡大することだから、三日後の午後一時頃までに何らかの対策を完了させなくてはならない。


 二時から午後の作業が始まるので、僕たちはロトの部屋を去った。その前に、彼に僕にもヘブンズを使えるようにしてもらった。基本的に、僕のように短期的に雇われた者は使えないことになっているらしい。あくまで正社員が利用できるサービスという位置づけのようだ。


 階段を下り、廊下を歩いているときにリィルが言った。


「やっぱり、隠していることがあったんだね」


「うん、まあ……」僕は頷く。「でも、仕方がないことだと思うよ。部外者には、必要のないことは教えないのが普通なんだから」


「でも……。彼は、所員にも隠していたんだから……。……あまりいい判断ではなかったと思う」


「そういう立場なんだよ。ロトだって、苦渋の決断だっただろう。仕方がなかったんだ」


「仕方がなかったっていってもさあ……」


 そう言ったきり、リィルは何も話さなくなる。


「不機嫌そうだね。何がそんなに気に障ったの?」


「え? いやあ、うん、まあ……、別に、何も気には障っていないけど……」


「それにしても、三日間か。それまでに何らかの対処をするのは、ちょっと無理があるかな……」


「予言書って、どんなものだと思う?」


「さあね、知らないよ。でも、どうしてそんなに大事なのかは少し気になる。本って、書かれている内容が重要だろう? ロトの説明だと、本そのものに価値があるみたいな感じだったじゃないか。それが僕にはよく分からない。単純に歴史があるというだけで、そんなに価値が生じるものなのかな……」


「でも、ここのリーダーは、それを持ち出して、交渉の材料にしたんだから、やっぱり大事なんじゃないの?」


「うん……」僕は唸る。「やっぱり、分からない」


「もう、分からないことだらけだよ」


「情報は得られたんだから、分からなくなるのはおかしいよね」


「自分で言ったんじゃん」リィルは笑う。「矛盾しているよ」


「うん、その通りだ」


「もう、私たちには、どうしようもなくない?」


「そんなことは、ずっと前から分かっていた」

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