第18話



 特に滞ることもなく、僕は毎日順調に作業をこなしていった。与えられた二つのテキストの翻訳は完了し、すでに三つ目のテキストに入っている。これほど集中的に仕事に専念したことはないが、経験がなくても案外持久力は続くものらしい。夜になると一気に疲れが出るのは確かだが、目を覚まして、朝食をとれば、そのまま夜まで続けて作業をすることができた。作業が捗っているせいか、程良く負荷がかかるみたいで、夜もぐっすり眠れる。むしろ自宅で仕事をしているときよりも体調が良いくらいだった。


 そんなふうに生活して一週間が経った今日、事態が少し奇妙な方向に傾く出来事が起きた。


 目を覚ましてリビングに移動すると、テーブルの表面に青い小さな光が灯っていた。これは連絡事項がある場合に光るサインだ。僕がテーブルの表面を軽くタップすると、テーブルは上方向に薄水色のスクリーンを投影する。そこにロトからのメッセージが記されていた。



〉連絡事項です。



〉突然の要求で申し訳ありませんが、暫くの間、本施設の全所員にクラウドの使用を禁止します。



〉この処置に関して、詳細な情報をお伝えすることはできません。



〉完成したテキストは、一時的に各自のデバイス内に保存しておくようにお願いします。



〉なお、このメッセージは回線を切り替え、クラウドを経由しない手段を用いて送信しています。



〉また、本施設の所員が各自の操作でクラウドに接続できないように、現在こちら側でロックをかけています。



〉この処置がいつまで続くかは、現段階ではっきりと述べることはできません。



〉多大な迷惑をかけると思いますが、ご理解頂くようにお願いします。



〉以上。



ロト



 メッセージに目を通し終えた僕の頭には、どうしたんだろう、といった酷く当たり前の疑問が浮かんだ。メッセージは施設内にいる全員に宛てられたもので、僕だけがこのメッセージを読んでいるわけではない。


 今のところ、僕がクラウドを使う場面はほとんどなかった。それこそ、完成したテキストを保存するときくらいだ。クラウドに接続することで利用できるサービスは、僕はほとんど使ったことがなかった。自分には合わないものだったし、使わなくても作業は問題なく進む。


 僕はメッセージの前で直立し続ける。


 暫くすると、寝室のドアが開いて、髪が若干爆発しかけたリィルが現れた。


「おはよう……」目を擦りながら彼女が挨拶をした。


 僕は片手を上げ、それからテーブルの上のスクリーンを指差す。


「これ、見てよ」


 リィルは首を傾げて、僕の傍にやって来る。僕の隣に立ち、彼女はメッセージの中身を確認した。


「何これ……。ロトから?」


「そう」


「クラウドが使えないって……。……何かあったのかな?」


「そりゃあ、何かはあったんだろうね。じゃないと、いたずらということになる」


「何か、思い当たることは?」


「僕? ないね」


「クラウドが使えなくなると、どれくらの影響が出るのかな」リィルは上を向く。「私たちは、全然困らないけど、ずっとここで働いている人たちは、それにある程度は頼ってきたわけだから……。うん……。ちょっと、一大事かもしれないね」


「ちょっと、一大事って、どういう状態なわけ?」


「そういえば、君、この前さ、ロトにクラウドについて訊いていたじゃん」頭が回り始めたのか、リィルは突然大きな声を出す。「それって、これと関係があることなんじゃないの?」


「うーん、どうかな……。関係があるといえばそうかもしれないけど、でも、たぶん、今のところは、そんなに大きな関係があるとはいえないと思うな」


「じゃあ、後々関係が見えてくるかもしれないってこと?」


「うん、まあ、そうだね」僕は頷く。「しかし、それはどんなことにもいえる」


 リィルに催促されたので、僕はロトにクラウドに関する質問をした理由を話した。クラウドの裏側に、機械的な何かを感じる、というあれだ。しかし、リィルも僕と同じような印象を抱いたのか、それほど興味は示さなかった。そうした感覚は、実際にクラウドに接続してみれば彼女にも分かるはずだ。いや、彼女だからこそ分かるというべきか。

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