第17話

 暫くの間、僕たちはそこで風に当たっていた。けれど、だんだん身体の芯まで冷たくなってきて、とうとう耐えきれなくなって施設に戻った。


 扉を抜けてロビーに入ると、ラウンジにまだロトがいた。話し相手は帰ったようだ。扉が開いた音で僕たちに気づき、彼はまたこちらに笑顔を向けてきた。


 挨拶くらいしておいた方がいいかと思って、僕はロトの方に近づいた。


「作業の方はどうですか?」ロトの方から声をかけてきた。


「ええ、まあ……」僕は答える。「だいたいは順調ですね」


 彼は僕の背後を見る。


「優秀なアシスタントもお連れのようで、我々としましては、大変助かっております。引き続きよろしくお願い致します」


「いえ、こちらこそ……」彼が頭を下げたので、僕もそれに応じた。


「何かご不便をおかけしていることはありませんか?」


「ええ、特には……」しかし、僕は思いついたことを尋ねた。「ああ、えっと、一つお訊きしたいんですけど……。この施設のクラウドは、どなたが管理しているんですか? その、大変整理されていて、使いやすい印象が受けたので」


「ありがとうございます。ええ、クラウドの管理を専門に行っているスタッフがいるのです。この施設では、一人一人が個別の役割を担っています。その分野の専門家を雇っているわけです。極力、同じ人間に二つ以上の役割を担わせないようにしているのです。そうすることで作業を効率化できます。私は、サブリーダーという立場上、色々とやらなくてはならないことがあるのですが……」


「そうですか。ええ、分かりました。あと、僕たちのサポーターの、サラという方にですが、えっと、その、色々と教えて頂いたので、大変助かりました、と伝えておいてもらってもいいですか?」


「承知致しました」ロトは笑顔で頷いた。


 話はそれくらいにして、僕たちはその場から引き下がった。


 廊下を進み、長い階段を下りる。背後でドアが閉まり、辺りを照らす照明が灯る。


「何を訊きたかったの?」


 階段を中程まで下ったところで、リィルが僕に尋ねた。


「何って、何が?」


「なんか、中身のないやり取りだったじゃん。質問も、それに対する回答も……」


「え、そうかな」


「意味がなかった感じ」


「ま、そんなものだよ、人の会話って」


 灰色の廊下を進み、自分たちの部屋に戻ってくる。


 話し合いの結果、今日もリィルが先に風呂に入ることになった。僕は明日の準備を軽く済ませる必要があったからだ。準備といっても、資料の内容を確認しておく程度で、負荷のかかる作業はまったくしない。夜はできるだけ休養に時間を当てるようにしている。どちらかというと、僕は平均よりも体力がない方だ。


 明日使う資料に目を通しながら、僕は先ほどのロトとの会話を思い出していた。


 彼にクラウドの管理者について尋ねたのは、もちろん、彼と社交的な会話をしたかったからではない。今日や昨日の作業でクラウドを使う中で、ちょっとした違和感を覚えたからだ。その違和感について、一言でまとめてしまえば、人為的でないものを感じたと表現できる。つまり、人間ではない何かが関わっているような気がしたのだ。自分でも酷く抽象的な感覚だと思うが、しかし、そう感じたのだから仕方がない。そして、こういった抽象的な気づきは、あとになって具体的な事実に繋がることが多い。だから忘れないように留意しておく必要がある。これは僕の経験則だが、この予感が外れることはあまりない。


 人為的ではないとしたら、必然的にほかの可能性は二つに絞られる。つまり、自然的か、機械的か、という二つだ。クラウドの管理に関しては、自然的ということはありえない。したがって、残された可能性は機械的であるという一つしかない。そう、機械的……。僕には、この施設のクラウドが、機械的な何かに管理されているように思える。それは本当に経験的な直感で、説明しろと言われても上手く説明できない。例えるなら、人間が書いた小説と、コンピューターが書いた小説を読み比べれば、どちらが書いたものかすぐに判別がつく、というのと同じ感じだろうか。


 おそらく、この予感は当たっている。


 根拠はないが、きっとそうだ。


 しかし……。


 最も気にしなくてはならないのは、どうして、僕がそんなことにひっかかりを覚えたのか、ということだろう。


 クラウドを機械的な何かが管理するのは、それほど珍しいことではないのだから……。


 浴室からリィルが姿を現し、お先に、と僕に告げる。僕は頷いて浴室に向かい、彼女と入れ違いに風呂に入った。


 服を脱いで、湯船に浸かる。彼女は今日は湯を沸かしたようだ。


 自然と溜め息が出た。


 やはり、疲れている。


 天井に向かって湯気が上っていく。


 明日も、適度に頑張ろう、と僕は思った。

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