第14話

 昨日のことを思い出して、僕は入り口から見て左手にあるドームの方へ歩いていった。正面のドアを抜ければ、その向こう側に部屋があるはずだ。


 僕はドアをノックする。


 暫くすると、それがこちら側に向かって開いた。


 ロトが姿を現す。


「どうかされましたか?」ロトが笑顔で言った。


「お忙しいところ申し訳ありません」僕は対社会人用の声を出す。「あの、食事のことなんですけど……、……彼女、実は、ちょっとした病気で、特定のものしか食べられないんです」


 ロトは僕の背後に目を向ける。そこにリィルが立っていた。


「ああ、そうでしたか。えっと、それでしたら……」


「いえ、こちらで持参しているものがあるので、ほかのものを用意して頂く必要はありません。その、うっかりしていて、つい伝え忘れてしまって……」


「それは大変失礼致しました。分かりました。では、担当者に伝えておきます。今の時間ですと……」ロトは自分の腕時計を見る。「昼食はまだですね。では、今日の昼食から一人分のご用意とさせて頂きます。……昨晩や、今朝の分は、どうされましたか? 手をつけないまま回収されたとか?」


「昨晩は僕が二人分食べました。今朝の分は、実は、冷蔵庫に仕舞ってあります。だから、今日の分の昼食は不要です。今日の夜から、一人分でお願いします」


「それは、また、随分と大胆な……」ロトは笑った。「ええ、分かりました。必要でしたら、今朝の分は回収して、新しいものをご用意致しますが」


「いえ、けっこうです。素晴らしいメニューだったから、もう一度食べたいんです」僕は口から出任せを言う。


「分かりました。ご不便をおかけしまして、申し訳ありません」


 何度か挨拶を繰り返して、ロトはドアの中に戻っていった。


「火星にはいなかったね」リィルが言った。


「え? 火星?」


 部屋に戻ったときには正午を迎えていたが、たった今注文した通り、昼食は届けられていなかった。僕は冷蔵庫から今朝の分の料理を取り出し、それを食べ始める。食事のときは仕事に関する事柄には触れないスタイルなので、黙ってゆっくりと食べ物を消化した(唾液の分泌は消化の始まりといえる)。


「午後は、何時から?」


 僕が昼食をとり終えると、リィルが尋ねてきた。


「えっと、二時からだったかな」僕は腕時計を見る。「まだ一時間近くあるね」


「外に行かない?」


「今から? まあ、いいけど、若干眠くなってきた」


「じゃあ、いいよ」リィルは笑顔で言った。「全部作業が終わったら、行こう」


「了解」


 どういうわけか、僕は、昼食のあとは必ず眠くなる。たぶん、ほとんどの人に見られる症状だろうが、僕のそれはかなり顕著な形で表れる。視界がぼんやりとして、手先に力が入らなくなるし、立ったり座ったりしているのが嫌になる。だから横になるしかない。数十分も眠れば、症状は大分緩和される。無理してすぐに作業を再開すると、あとで必ず頭が痛くなるので、昼食のあとはできる限り眠るようにしている。


 ありがたいことに、寝室には寝心地の良いベッドがある。僕はその上に横になり、そっと目を瞑った。


 すぐに眠りに落ちる。


 しかし、非常に珍しいことに夢を見た。


 夢の中で、僕は一生懸命リィルと話そうとしていた。言葉のチョイスを変え、言い回しを工夫して、なんとか彼女と意思の疎通を図ろうとする。けれど、彼女にはまったく伝わらない。リィルは首を傾げるばかりで、何度同じことを繰り返しても、僕は自分の言いたいことを伝えられない。僕は、何かとても大切なことを伝えようとしていた。それが伝わらなければ、きっと僕と彼女の関係は終わってしまう。それなのに、本当に何も伝わらないのだ。どうしたら良いのだろうと途方に暮れたとき、彼女が口を開いて一方的に僕に言葉を放った。


「私たち、結局、その程度の関係だったんだよ」


 僕が言いたいことは伝わらないのに、どうして、彼女の言っていることが僕には理解できるのか分からなかった。ただ、ああ、その通りだなと納得してしまって、僕は遠ざかっていく彼女の背中をぼうっと見つめる。言葉が通じないから、彼女を引き止めることもできない。それでは足を動かせばいいではないか、と思ったが、そう思ったときには、彼女はすでに僕の視界から消えていた。


 僕は、その場に立ち尽くしたまま、小さく溜め息を吐く。


 不思議と涙は出なかった。


 こうなることを、どこかで想定していたのかもしれない。


 なんと高尚な予測。


 まるで未来を予知できるみたいだ。


 ?


 未来?


 これは未来なのか?


 それとも、過去なのか?


 突然大きく揺さぶられ、僕はとっさに目を覚ます。


 頭の上にリィルの顔があった。

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