第12話

 昨夜に引き続き、今日も二人分の朝食が出現したが、さすがに僕はどちらとも食べることはしなかった。どうしようもなかったから、とりあえずトレイごと料理を冷蔵庫に仕舞っておくことにする。何か文句を言われるかもしれないが、今日は仕事で施設の人間に会うだろうから、そのときに適当な人物に伝えておけば良い。


 午前九時になった頃、ドアがノックされた。


「はい」僕は応える。なぜか、こういった場面に電子的な機能は採用されていないようだ。ドアくらい自動で開けてくれても良いものだが……。


 把手を握ってドアを開けると、女性が一人立っていた。


「おはようございます」彼女は頭を下げた。「入ってもよろしいですか?」


「ええ、どうぞ……」僕はドアの隙間を大きくして、彼女を室内に入れる。


「担当者のサラと申します。勤務時間になったので、作業を開始して頂こうと思います」


 僕は簡単に自己紹介した。


「そちらは?」


 サラは僕の背後に立っているリィルを手で示す。


「ああ、彼女は僕のアシスタントです」僕はとっさに思いついた嘘を吐いた。「名前はリィルといいます」


 サラと名乗る女性は、数秒間リィルをじっと見ていたが、やがて視線を僕に戻して話を再開した。


「それでは、作業の流れについて一通りお話させて頂きますが……、まずは、そうですね、リビングに移動しましょう」


 三人揃ってリビングに移る。


 サラをドアに近い方のソファに座らせ、僕はその対面に座った。ソファは二つしかないから、リィルは立っているしかない。しかし、彼女はアシスタントという設定なので、それでちょうど良い気がした。


「改めまして、お二人の担当をさせて頂く、サラです」


 サラは再び挨拶をした。名刺のようなものは渡してこない。そういうルールのようだ。


「早速ですが、お二人には電子テキストの翻訳作業をしてもらいます。それについて説明します」


 僕は頷く。


 サラに対して、ロトほどではないが、彼女も礼儀正しい人間のようだ、と僕は思った。堅苦しい感じがしないわけではないが、そういった要素は緩和されているといって良い。それに対して、ロトはかなり堅苦しい印象を与える。サラはブロンドの髪を備え、スラリとした身体つきをしている。青と白を基調とした制服を着ており、しっかりとした身のこなしだった。


 サラの説明によると、僕たちの仕事は、とある英国のテキストを翻訳するというものらしかった。英国から持ち込まれたものだから、当然英語で書かれている。それをプログラミング言語に置き換えて、コンピューターで処理できる形に仕上げるらしい。なお、どうしてそんなことをするのかは不明だ。その点については、この仕事を引き受けたときに読んだ書類にも、ロトの説明にも、また、サラの説明にも、一切含まれていなかった。もちろん、僕も多少は気になるが、あまり詮索しないようにしている。そうした方が仕事がスムーズに進むからだ。


 翻訳を行うために使用する機器は、この施設の所定のものではなく、僕が持参したもので良いとのことだった。一応サラにチェックしてもらったが、特に問題はなさそうだった。その機器をこの施設のクラウドに接続して、出来上がったテキストをそこに保存する。もちろん、クラウドに保存するのは完成形のデータだから、その前に何度も推敲やチェックをしなくてはならない。その作業自体はいつも通りだが、僕は比較的プレッシャーに弱いから、普段と同じように力を発揮できるか心配だった。


「ここまでで、何か質問はありますか?」


 一通り説明を終えて、サラは無表情で僕に尋ねた。


「いえ、特には……。……ああ、でも、一つだけ……。その作業は、いつまでに終わらせれば良いですか?」


「いつでも良いです。早いに越したことはありませんが、ご自分のペースで完了させて下さい。終わり次第、次のテキストをお渡しします。用があるときは、内線を使って連絡して下さい」


 なるほど、時間ではなく、内容で評価されるようだ、と僕は理解した。なかなか良いシステムだ。個人的には、その方がポテンシャルを高く保ちやすい。


 次に、機器の運用方法を含め、サラからちょっとしたレクチャーを受けた。機器の運用方法というのは、僕がいつも使っている機器と、この施設のクラウドを接続することで利用できるようになる、様々なサービスの使用方法という意味だ。翻訳をサポートするツールが数多く用意されているようで、僕はそれを自由に使って良いとのことだった。必要があれば、個人の知識や技能だけでなく、与えられた道具を自由に使っても良い、ということになる。考えてみれば当たり前の話だが、こうしたシステムが採用されている組織は意外と少ない。さらに、サラは英語をマスターしているようで、注意すべき単語や文構造についても教えてもらった。とはいっても、僕にも作業をスムーズに行えるくらいの技量はあるので、彼女に教えてもらうことは少なかった。


 すべて説明し終えると、それでは、自分の仕事がありますので、と言ってサラは部屋を出ていった。翻訳すべきテキストは、彼女からメモリーに保存された状態で受け取った。

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