第3章 そして提案

第11話

 目が覚めると、いつの間にか寝室にいた。ベッドは二つあって、僕の隣にリィルが眠っている。部屋は完全には暗くなかった。相変わらず照明器具はどこにも見当たらないが、天井がぼんやりと光を発しているのが分かる。枕もとにあるデジタル時計を見ると、時刻は午前六時三十分を迎えたところだった。普段と比べると若干早い目覚めだが、これ以上眠る気にはなれなかったので、僕はゆっくりとベッドの外に出た。


 リビングに移動して、そこに置いたままになっていたトランクケースから、今日の分の着替えを取り出す。何の変哲もない基本的な私服で、どこからどう見ても一般的なものに見える。事実として、僕は一般人なので、そのように見られるのなら光栄だ。できるならリィルもそのように見えていてほしい。


 何もすることがなくて、適当に部屋の中をぶらぶらしていたら、寝室からリィルが出てきた。


「おはよう……」目を擦りながらリィルは言った。


「やあ」僕は応える。


「お腹、大丈夫そう?」


「え? ああ、うん……」僕は話す。「……ちょっと、あのあとの記憶が全然ないんだけど……」


「それって、本当に大丈夫?」リィルは笑っている。「自分で布団に入っていたから、安心しなよ。苦しいからもう寝るって言って、お風呂には入らなかったよ」


「え、そうなの?」


「うん……」


「じゃあ、僕は今から入ってこようかな……」そう言いながら、僕はすでに着替えてしまったことに気づく。「ああ、でも、もう着替えちゃったし……」


「入ってきたら?」


「旅館みたいに、露天風呂だったら、喜んで入るんだけどね」


「背中流してあげようか?」


「お腹だけになったら困るから、いい」


 そう言い残して、僕は一人で浴室に向かった。


 浴室もかなりシンプルな作りで、ビジネスホテルの一画みたいな雰囲気だった。トイレも同じエリアに存在している。傍にある棚にタオルがいくつか積まれていて、自由に使って良いみたいだった。なかなか気が利くようだ。


 湯船に水は入っていなかった。リィルはお湯を張らなかったらしい。


 僕も、今から沸かす気にはなれなかったので、手短にシャワーだけ浴びることにした。


 身体を洗い、頭も洗って、十分くらいで浴室から出た。リビングに戻ると、リィルは携帯端末を使って読書をしていた。


「何を読んでいるの?」ソファに座りながら僕は尋ねる。


「この施設の概要」


 想定していなかった返答だったので、僕は多少驚いた。


「ネットに載っているの?」


「まあ、載ってはいるけど……。そんなに詳しいことは書かれていないよ。誰にでも分かるような、極めて簡単なことだけ」


「へえ……。まあ、そうだろうね。ネットってそういうものだから……」


「でもね、その中にも、私たちが知らないことがあった」


「ほう。たとえば?」


「この施設では、施設全体を統轄するコンピューターが運用されているらしい」


 僕はソファから立ち上がり、テーブルの横を通ってリィルの後ろに回った。彼女の背後から端末に表示された記事に目を通す。たしかに、それらしい記述があった。この施設は、できてからそれほど長い歴史があるわけではない。それなのに、周囲のほかの企業を抑えてここまで規模を発展させたのは、コンピューターによる管理をいち早く採用し、作業の効率化を図ったからだ、との説明が成されていた。様々な分野を跨いで、それらを「解析と翻訳」といった一つの括りにして作業が行えるのは、そのせいもあるのだろう。


「なるほどね」僕は言った。「でも、そうすると、僕たちが呼び出されたのが、少し不思議なことになる」


「どうして?」リィルはこちらを向く。


「だって、効率化が図られているんだろう? それなのに、なぜ、人手不足になる? むしろ人手が余ってもいいくらいじゃない?」


「たしかに……」


 リィルは再び端末に顔を戻した。指を使って画面をスクロールし、彼女は記事の続きを読む。しかし、それ以上のことは何も書かれていなかった。この施設に関するほかの記事は、最新のものでも二年前のものがあるだけで、今の僕の疑問に答えられるようなものは見つからなかった。


「まあ、気にするようなことじゃないか。僕たちは、与えられた仕事をこなせばいいんだから……」


「でも、気になる」未だ端末を見ながら、リィルが呟く。


「その好奇心は、今は心の片隅に仕舞っておいてね」


「無理だよ、そんなの」


「仕事中に発揮しないでもらいたい」


「するかも」


「それは困る」


「でもさ、君も気になるでしょう?」リィルは僕を見る。「そういうのって、一番気になるものじゃない?」


「そうだけど、それよりも大事なことがある」


「……それ、本心じゃないでしょう?」


 僕とリィルは数秒間黙って見つめ合った。


 僕は若干口もとを持ち上げる。


 リィルもそれに合わせて笑った。


「まあ、とにかく、今は保留しておこう。その方が、色々と都合が良い」


「うん……」リィルは頷いた。「分かった。……今のところは、ね」

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