第9話

 目の前で物が動く気配がし、タイミング良くリィルが目を覚ます。


「おはよう」僕は言った。「よく眠れた?」


「ふわわわあ」リィルはわざとらしい欠伸をする。それから両手を上げ、伸びをした。「うーん、よく眠れたかは分からないけど……。少なくとも、少し疲れはとれたかな」


「それはおめでとう」


 そのとき、テーブルの表面が明るく光り出した。


 僕もリィルもそちらに目を向ける。


 薄い水色の光がテーブル全体を支配し、その真上に半透明のスクリーンが投影された。


 そこに文字が並ぶ。



〉お食事の用意が整いました。お持ちしてもよろしいですか?



 僕はその文面を読む。リィルの瞳も同じように動いているので、表と裏のどちらからでも読めるようになっているようだ。


 文面の下に「はい」と「いいえ」の選択肢が表示されたので、僕は「はい」を選択した。間もなくスクリーンは消え、テーブルはもとの状態に戻った。


「なかなかハイテクだね」僕は言った。


 リィルは黙って頷く。


 しかし、驚くのはまだ早かった。


 たった今スクリーンが出力されていたテーブルの表面に、細長いスリットが入る。そのスリットは幾何学的な挙動で徐々に幅を広げ、次の瞬間、光速とも思える速度でテーブルの下から料理が出現した。


 これには驚いた。


 リィルも目を見開いている。


 料理が出現すると同時に、テーブルの表面にできたスリットは消える。料理が載ったトレイは安定してテーブルの上に鎮座した。


 暫くの間固まっていたが、僕は気になってテーブルの下を確認した。すると、テーブルの脚に囲まれた空間が空ではないことが分かった。四角い箱のような装置がテーブルと床を繋いでおり、そこから料理が運ばれてきたようだ。


「どういう構造をしているんだろう……」僕は呟く。


 リィルも身を屈めてテーブルの下を見ている。


 彼女は顔を上げて、僅かに首を傾げた。


「ここって、海の底だよね?」彼女が尋ねる。


「そうらしいね」


「これ、かなりの費用がかかっているんじゃない?」


「それはそうだろうね。ただではできないよ」僕は笑う。「まあ、いいか。細かいことは気にしないで、料理を食べよう」


「召し上がれ」


 何も断りを入れなかったので、僕とリィルの二人分の料理がテーブルに載っている。トレイに皿がいくつか載せられており、その中に様々な料理が入っている。今日は和食だった。フルコースではない。そんな豪華なものは用意できなくて当然だろう。むしろ、僕はそういったハイスペックな料理が苦手だから助かった。


 手を合わせて、僕は夕飯を食べ始める。サラダを一口食べてみたが、普通に美味しかった。


「どう、美味しい?」リィルが質問する。


「うん」僕は頷く。「少なくとも、自分で作るよりは美味しい」


「美味しいってさ、どんな感じ?」


「え、どんな感じって?」


「説明してみてよ」


 僕は考える。


「うーん、説明しろと言われても……。なんか、電気が走る感じかな。特定の化学物質に反応して、信号が送られる感じ」


「全然分からない」


「匂いと同じだよ。あと、感情とも似ている。美味しいものを食べると、嬉しく感じるというのは、あながち間違えてはいないかもしれないね」


「分からないなあ」


「経験しないと分からないよ。別に、そこまで食事に興味があるわけじゃないだろう?」


「うん、まあね」


「実は、僕もだ」


 僕は食べ物を口に詰める作業を続ける。出し巻き玉子や金平牛蒡など、オーソドックスな和食といった印象だが、どれも普通に美味しかった。しかし、それ以上の味覚は僕には伝わらない。すべて「普通に美味しい」というふうに処理されるだけだ。

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