第8話
僕はカードキーを使ってドアを開ける。ドアは向こう側へ開き、室内の照明が自動的に灯った。
部屋の構造はいたって簡単な作りになっていた。まず、中央に広いリビングがあり、その左右にそれよりも小さい個室がある。左が寝室で、右が仕事部屋だ。浴室と洗面所はドアのすぐ傍にあり、玄関から見て右手にある。
僕たちはリビングで荷物を下して、部屋の中央にあるソファに腰かけた。
「疲れた」リィルが言った。
「まだ言っているんだね、それ」僕は応じる。
「疲れがとれるまで、いつまでも言い続けるつもりだから」
「ふうん」
沈黙。
実は、僕もかなり疲れていた。
二人とも上着を羽織ったままだったので、立ち上がってとりあえず部屋に適した格好になる。ソファは大きなテーブルを挟んで前後にあり、左手にキャビネットとクローゼットがあった。右手には冷蔵庫が置かれている。テレビはなかった。ここは海底なので、もちろん窓もない。
「あ、そういえばさ」上着をハンガーにかけながら、リィルが言った。「夜ご飯って、私の分も用意しているよね、きっと」
「ああ、たしかに」僕は頷く。
「どうしよう……。……今から断れば、間に合うかな?」
「いや、それはやめた方がいいんじゃないかな。怪しまれるだけだよ。……うーん、そうね……。とりあえず、僕が二人分を平らげよう」
「いやいや、無理でしょ」
「そうかな? 意外といけると思うけど」
「君、そんなに大食いじゃないじゃん」
「大食いじゃなくても、その気になれば食べられるものだよ」僕は説明する。「普段大笑いしない人でも、その気になれば大笑いすることはできるだろう?」
「そういう問題?」
「違う?」
「なんか、違うような……」
「まあまあ、気にせずに」僕は言った。「無理なら冷蔵庫に入れておくよ」
荷物を適当に取り出して、中身を再度チェックする。忘れ物は何もなかった。当たり前だ。というよりも、そもそも忘れるようなものがない。僕の仕事は、場所と時間と機器さえあればできる。機器もそれほどしっかりとしたものを使うわけではないし、いざとなれば紙とペンさえあれば可能だ。あとは……。知識と、それを補助する辞書が必要になるか。けれど、辞書は携帯端末さえあればどこでも使える。
ソファは一人がけのものなので、僕たちは互いに対面して座ることになる。同じ部屋にいて、しかもソファに座っているのに、向かい合って座るのがんだか不思議な感じがした。
「ここってさ、勝手に出入りしていいのかな?」自分の髪を弄りながら、リィルは僕に質問した。女性が自身の髪に触れる心理を僕は知らない。
「ここって?」
「この、施設」
「さあ、それはどうかなあ……」僕は考える。「さっき訊いておけばよかったね」
「ロトさん……、だっけ?」リィルは話した。「なんか、不思議な人だよね。あそこまで畏まる必要があるのかな……」
「まあ、サブリーダーだからね……。リーダーよりはしっかりしているのかもしれない」
「どうして?」
「そういうものだよ、サブリーダーって」
「サブリーダーになったことがあるの?」
「いや、ないね」僕は笑う。「僕がなれると思う?」
「なれるんじゃないかな」
「君、それ、今、考えないで答えただろう」
「いや、考えたけど」
「そう?」僕は言った。「それならいいけどね……」
二人とも疲れているせいか、なかなか会話が続かない。無理して続ける必要もないので、僕たちはそのまま黙り続けた。
やがて、リィルはソファに座ったまま眠ってしまった。
安らかな寝顔。
安らかな吐息。
テーブルに肘をついて、暫くの間彼女の寝顔を見つめていたが、僕は携帯端末を取り出してニュースを見始めた。
ニュースといっても、世間一般に関するどうでも良いものは見ない。自分が専門とする分野を取り扱うページを検索し、それを一つずつ開いて確認していく。この分野に関して、僕はそれほど詳しいわけではない。しかし、だからこそ、情報には常に機敏である必要がある。ほかの人に差をつけられたらお終いだからだ(たぶん、それで人生が終わることはないが)。
特に目を引くニュースはなかったが、それらの記事を読みながら、世の中には色々な考え方をする人がいるんだな、と僕はなんとなく思った。酷く当たり前のことだが、その当たり前を僕は普段あまり意識しない。どちらかというと、自分のことばかり考えてしまう方だ。自分の考えが正しいと思い込み、視野が狭くなってあとで失敗する。だから、意識できる内にしておかないと、失敗する可能性が高くなる。
そんなことをしている内に時間は過ぎ、間もなく午後八時を迎える頃になった。
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