第3話
友人が統轄する組織から仕事の依頼を貰ったのが一ヶ月前。それから様々な手続きを経て、今日僕とリィルは少々長い旅に出ることになった。目的地は北の方にあるとある施設で、そこでは様々な文書の解析や翻訳が行われている。その作業に僕も協力することになったのだ。
様々な文書というのは、本当に様々な文書であり、本当に様々な文書とは、すなわち真に様々な文書を指す。まとめてしまえば、これといった明確なカテゴリーが決められているわけではない、ということになる。文学的なものから学術的なもの、さらには宗教的なものまで、本当に多種多様な文書がその施設には集められ、色々な観点から解析・翻訳作業が行われている。時代や地域の違いにも囚われない、というのがその企業が展開する事業の特徴であり、これほどの範囲を対象としている企業はほかにはない。そんな大企業の作業にどうして僕たちが参加することになったのかというと、これがまたただの偶然であり、いってしまえば、軽いバイトのようなものとして一時的に雇われるようになったのだ。なんでも、その企業は現在人員不足らしく、運用できるコンピューターを全機投入しても作業が追いつかないらしい。
ちなみに、僕はもともと文書の翻訳を行う仕事をしている。翻訳といっても、ある言語で書かれた文書を、別の言語に置き換える、というものではない。もちろん、そうした一連の流れに大きな違いはないが、僕が担当しているのは人間の言語からコンピューター言語への翻訳、あるいはその反対といった、多少一般的な翻訳の域を越えたドラマチックな領域だ(ドラマチック、の意味がよく分からないが)。この職業が翻訳家の方に傾き始めたのは最近のことで、それまでは同じ仕事をプログラマーと呼ばれる人々が行っていた。しかし、彼らが扱う知識や技術が一般的なものになり、時代が変遷するにつれて、それらの作業がだんだんと芸術的な要素を必要とするようになった。たとえば、人間は、生まれたら、まず特定の言語を習得するわけだが、それができ次第、今度はその言語を使って様々な表現を行うようになる。それと同じだ。要するに、技術の習得が終われば、今度は芸術的な要素が加わる。職業も同じ流れを辿ったということだ。
「というわけで、僕は色々と翻訳をしなければならないから……。うん、もしかしたら、君にもいくつか助言を頂くかもしれない」
僕は話した。リィルは「ふうん」という顔をしている。
「そういうことで、よろしく」
「うん、まあ、いいけど……」
「どうしたの? なんか、退屈そうだけど」
「うん、だって、退屈じゃん、そんなの」リィルは言った。「それのどこが面白いの?」
「退屈って、翻訳が?」
「そう」
「たしかに、面白くはないかもしれないけどね……」
「いやいや、かもじゃなくて、絶対面白くないって。だってさあ、一度書かれて、もう内容が決まっているものを、また別の言葉に置き換えるんでしょう? それでも、内容は変わらないんでしょう? それって、つまり、前進していないのと同じじゃない? まさに、内容がないよう、という感じで……」
「なかなか面白いことを言うね」
「でしょう?」
「まあ、君の言う通りだけど、やれって言われたんだから、やらないわけにはいかない。こちらは雇ってもらった身なんだから」
「変なの……」
「変ではないでしょう、変では」
「変だよ。面白くもないことを、あたかも喜んでいるような顔をしてやるなんて……」
「仕事の在り方は、昔からあまり変わらないからなあ……」
「ねえ、あのさ。その仕事をしなくても、君が生きていくことはできるんじゃないの?」
「え、どうやって?」僕は尋ねた。
「どうやってって……。……いや、まあ、なんとかしてさ」
「ちゃんと考えてから提案してよ」僕は笑う。「それとも、何? 君が代わりに働いてくれるとか?」
「うーん」
「あ、そういう方向性ではないんだ」
「うーん……」
そう言ったきり、リィルはまた黙り込んでしまった。どうやら論理の飛躍とフリーズは関係しているようだ、と僕はなんとなく考える。
リィルと僕はともにウッドクロックという人工生命体だが、その成り立ちがまったく同じわけではない。リィルの身体にはバイオロジカルな機構とメカニカルな機構の両方が備わっているが、僕の身体にはバイオロジカルな機構しか備わっていない。簡単にいえば、リィルはアンドロイド的な要素を持ち合わせている、ということだ。その一例として、彼女にはスタビライザーが搭載されている。これは、バランスが崩れたときに自動的に姿勢を補正するもので、当然ながら、生物としての身体しかない僕にはその機能は備わっていない。現段階では、彼女のこの機能が直接役に立ったことはなかった。
ちなみに、今のところ、ウッドクロックは合計三体存在することが分かっている。それが、僕と、リィルと、それから、今回僕にこの仕事を紹介した友人だ。ウッドクロックという人工生命体が存在することは、基本的に世間には知られていない。僕もずっと知らなかった。
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