第2話

「ねえ、リィル」僕は彼女の名前を口にした。


「ん? なあに?」リィルはこちらを向く。


「君はさ、その……。自分が人間ではないことを、ずっと隠して生きてきたわけだけど、それってどんな感じなの?」


「え? どんな感じって……」彼女は首を傾げる。「どんな感じ?」


「いや、だから、その、つまりね……」


「苦しいかってこと?」


「そうそう。その通り」


「うーん、苦しくはないなあ……。生まれつきそうなんだから、なんていうのか、当たり前だし」


 そういうものなのかな、と僕は思う。ちなみに、この席は(一応)個室になっているから、僕たちの会話が周囲に漏れることはない。


「でもさ、何かを隠して生きるのって、なかなか辛くない?」


「そうなの? うーん、私には分からない。そもそも、隠しているという意識がないし」


「へえ……」


「そんなことを考えていたの?」


「え? あ、まあ……。それだけじゃないけど、それも少し……」


「不思議なことを考えるね」


「不思議ではないと思うけど」


「そうかなあ……。けっこう不思議だと思うけどなあ」


「窓の外に鳩が飛んでいるよ」


「え、どこ?」リィルは勢い良く身体を横に向ける。


「ごめん、嘘」


 彼女は僕を睨みつける。


「ばぁか」そのまま、リィルはそっぽを向いてしまう。


 僕は笑った。


 人工生命体の少女、もといリィルは、いちいち反応が面白い(と、僕は思っている)。行動に無駄が多く、子どものような反応を示す(現に彼女はまだ若い、と僕は信じているが、詳細な年齢は分からない)。多くの場合、無駄なものは排除するべきだと考えられるが、もし彼女のそれを排除してしまったら、彼女は彼女でなくなってしまう(と、考えることも可能だ)。というわけで、無駄は無駄として存在を認めなくてはならない。


 僕にも、きっと、存在する意味があるだろう。それはただの思い込みにすぎないが、そんなふうに考えることができれば、多少は人生の負荷を軽減することができる。最近になって、僕はそんな小技を習得した。


 静かな車内を、窓から入る冷たい風が通り抜けていく。個室を区切るドアには僅かな隙間があり、それがより一層年季を感じさせた。


 今は冬だから、遠くの山々には所々に雪がかかっている。一年中積もっているのかもしれない。僕は寒いのも暑いのも嫌いだが、そういう風景を見ると、なぜか心が洗われるような気がする。


 暫くの間黙って外の景色を眺めていた僕たちだったが、話さなくてはならないことがあったので、僕の方から口を開いた。


「さて、では、そろそろビジネスモードに切り替えよう」


 僕がそう言うと、リィルは窓の外を見たまま頷いた。


「聞いている?」


 彼女はまた頷く。どうやら、少し機嫌を損ねてしまったらしい。


「まず、だけど……。君は言葉をどれくらい話せる?」


「私?」リィルは僕を見た。「ええっと、だいたい……、……二十ヶ国語くらいかな」


「あそう」僕は相槌を打つ。「それは凄い」


「英語に日本語、それにドイツ語……。あとは、まあ、色々」


「ベーシックは? どのくらい分かる?」


 ベーシックというのは、プログラミング言語の一つだ。


「だいたいは」


「それなら、問題はない」


「ベーシックって、話すためのものなの?」


「いや、違うけど……。うん、話す、というのは、コンピューターを介して話す、という意味だね、おそらく……。口じゃなくて、手で話す、ということ」


「なるほど」


「タイピングはできる?」


「うん、まあ、平均くらいは」


「それは上等だね」


「私のこと、見下しているでしょう?」リィルは首を傾げる。彼女は、どうしてか、頻繁にそのジェスチャーをする。まだ首が完全に据わっていないのかもしれない。


「いや、まさか、そんな」僕は誤魔化した。「いやいや、まさかねえ、そんな……」


「同じことを繰り返すのは、どうしてかな?」


「いや、まさか、そんな」


「とにかく、もう少し評価してよ」


「はいはい」


「嘘。してくれなくてもいい」リィルは笑う。


「え?」今度は僕が首を傾げる。「どういう意味?」


「え、別に……」リィルは言った。「なんか、そう言ってみたかったから、そう言っただけなんだけど……」


「あそう」


「で、私は何をすればいいの?」


「うん、そうそう、それそれ」僕は言った。


 僕は黙って、一度話の内容を整理する。そろそろビジネスモードに切り替えよう、などと言っておきながら、全然そんなモードになっていないことを自覚する。


 余談だが、リィルはときどき訳の分からないことを言う。なんというのか、会話が飛躍する感じだ。飛躍というのは、内容と内容の間がカットされる、という意味ではなく、ここではない別の次元に移行するイメージだ。つまり、理解できない。どうしてそのような現象が生じるのか、僕には今のところ分からなかった。もしかすると、人間の気紛れさを若干強調して表現しているのかもしれない。ウッドクロックは人間をモデルに作られている。


「まあ、君は、そうね……。基本的に、僕のサポートをしてくれればいいよ」僕は言った。


「サポートって、どんな?」


「ご飯を買ってきたりとか、飲み物を買ってきたりとか、あとは……、話相手をしてくれたりとか」


「なんだ。いつもと変わらないじゃん」


「うん、まあね」

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