The Signature of Our Dictator

彼方灯火

第1章 まずは行動

第1話

 窓の外で景色が流れていた。


 僕たちは酷く古風な列車に乗っている。シートは革張り、簡易なテーブルは木造。こんな古典的な乗り物に乗るのは初めてで、僕は少なからず気分が高揚していた。映画とか、音楽とか、そういったいわゆる「芸術」と呼ばれるものを体験してもあまり感動しない僕だが、どういうわけか、こういう古いものには心が惹かれるようだ。歴史の追従という要素が大事なのかもしれない。とはいっても、歴史が追従していることが、僕の心が揺さぶられるための必要条件というわけでもない。それを証明するように僕は真新しいジャケットを着ていたし、目の前にはぴかぴかな少女が座っていた。


「何?」


 僕がじっと見ていることに気づいて、窓の外を見ていた彼女が尋ねてきた。車内だというのに、彼女は帽子を被っている。漫画家が被っていそうな鍔の短いベレー帽で、色は濃いグレー、生地は合成繊維でできていた。


「いや、何も……」僕は適当に誤魔化す。


「景色、綺麗だね」少女が言った。「君には、どんなふうに見えている?」


「え? ああ、そうね……。うーん、ざっと田園風景という感じかな……」


「田んぼなんてどこに見えないけど」


「いやいや、そういう印象ということだよ。如何にも田舎という感じがするだろう?」


「まあ、たしかに」


「やっぱり、いいね、田舎は」僕は話す。「少なくとも、煩雑な都市よりはいい」


「じゃあ、引っ越す?」窓枠に肘をついたまま、彼女はこちらを見て笑う。


「どこに?」


「君が言う、田舎に」


「そうね……。……それができれば、もうそうしているかな」


「やっぱり、ちょっと難しそう?」


「うーん、どうかな……。……何だかんだ言って、僕は都会が好きなのかもしれない」


 列車は山と丘の間を走っている。山と丘の間を走っているというのは、酷く曖昧な説明だが、要するに、起伏が激しい部分と、そうでない部分の中間に線路が引かれており、その上を列車が走っている、ということだ。起伏が激しい部分に線路は引かないし、わざわざ丘の頂上に引く必要もないから、当たり前の判断が成された結果だといえる。


 ときどき煉瓦造りの家が現れては、すぐに視界から消えていく。ほかにも湖が見えたり、ちょっとした牧場が見えたりと、景色は次から次へと変わっていく。今日は空は若干曇っていたが、美しい景観を阻害するほどではなかった。むしろちょうど良いコントラストになっている。


「飲み物、飲む?」僕の前に座る少女が、バッグから水筒を出して差し出した。


「どうもありがとう」僕はそれを受け取る。水筒は保温性があるもので、中にはホットコーヒーが入っていた。


「元気?」


「うん? 僕?」水筒の蓋にコーヒーを注ぎながら、僕は応える。「その質問の意図は何?」


「なんか、少し疲れているように見えたから」


「まあ、そうかもね」


「何か考え事?」


「考え事はいつもしているよ。……ただ、ちょっと、今日は、その……、うん、大分調子が悪いみたいだ」


「どんな?」少女は窓枠から肘を下ろし、若干驚いたような顔をする。


「いや、そんな深刻な問題ではないよ……。いつもより、どうでも良いことを考えてしまう、というか……。うん、考えがまとまらない感じかな」


「何を考えているの?」


「何も考えていない」僕は話す。「ただ、整理がつかないだけなんだ。目の前の事象が、とても細かく見えるというか、そんな感じ」


「ふうん……」少女は興味深そうに僕を見る。


「何? そんなに元気がないように見える?」


「うーん、元気がないわけじゃないけど、なんていうのか、その……、うん、やっぱり、元気がないように見えるのかなあ……」


「曖昧だね」僕は笑う。


「うん……」


「気にしなくていいよ。その内治る。今日治らなくても、明日にはきっと治っているよ。今までずっとそうだった」


「そう……」


 そう言って、少女は黙り込んでしまう。僕はコーヒーを飲み終え、蓋を閉めて水筒を彼女に返した。


 僕の前に座る彼女は、実のところ人間ではない。実のところ、とわざわざ断るということは、世間的には人間が一般的な存在である、ということの裏返しでもある。彼女は人工生命体で、ウッドクロックと呼ばれている。ちなみに、その呼称を知っているのはごく限られた人々だけでしかない。これを語っているということは、僕はその呼称を知っているということになるが、それがなぜかというと、そこには至極簡単な答えがある。


 それは、僕もウッドクロックだからだ。


 僕は、つい最近まで自分がそんな存在だということを知らなかった。自分は人間だと思い込んで生きてきたし、それを疑ったことなんてなかった。けれど、本当に最近になって事実を知った。僕と彼女の出会いについては今は触れないでおくが、自分が彼女と同類であることを知って、僕が多少喜びを感じたのは確かだ。でも……。どちらかというと、それ以上に、自分が人間ではないことが判明したショックの方が大きかった。


 僕は、別に、自分が人間だということに拘っていたわけではない。そもそも、そんなことを考えたことはほとんどなかった。むしろ、人間か否かなんて、全然大した問題ではないと考えて生きてきた。そんなこと、本当に瑣末な問題だと考えていた。けれど、自分が人間ではないと分かった途端に、嘘のように意気消沈してしまって、暫くの間まともに思考することさえできなくなった。きっと、死に至る病を宣告された患者はこんな気持ちになるのだろう、とそのときの僕は思った。まあ、それも、ようやく落ち着いて考えられるようになってから気づいたことだが……。

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