この世界のありふれた、でもかけがえのない魔法で。
迷っている暇はない。俺がグラブを見つめていると山鹿さんが尋ねる。
「健、どうした?」
「魔法が使えない時ってどうやって投げればいいんですかね?」
俺が自嘲気味に言うと、冗談と受け取った山鹿さんはミットで俺の尻を叩いてから言った。
「魔法になんか頼る必要ない。気合で⋯⋯いや、魂で投げろ。ただそれだけだ。」
魂か。俺の魂、ここに今まで立っていた中里さんの魂。受けてくれる山鹿さんの魂。バックを守る野手の魂。
何も考えず、山鹿さんのミット目掛けて要求された球を投げる。無死一塁。三番
右打者に対しては右で行こう。バックドアを見送らせ、2SGのフロントドアを振らせて、最後はSFFを振らせて三振。自分で思ったよりもずっとコントロールがついている。魔法で培った投球フォームをちゃんと身体は覚えていてくれたんだ。
五番は左の
2SGと4SGで追い込み外角への4SBを引っ掛けさせて二塁ゴロ。みんなが引き上げるの見てあわてて俺もベンチに引き返す。そうか、チェンジなんだ。
「魂が入った良いボールだったぞ。」
山鹿さんに褒められた。
ただ、追いつくにもあと2点だ。打順は一番伊波さんから。
「クリーンアップに繋げてやるから、最低でも追いつこう。なんとかしてくれ。」
有言実行、伊波さんのレフト前ヒット。能登間さんは3塁線を綺麗に転がす芸術的なセーフティバントであっという間に無死二塁一塁。金堂さんの「殺人」スライダーが怖いので右打席へ。
俺は魔法無しで打てるだろうか?
いや、そうじゃない。魔法はこの世界にだってある。俺がこれまで積み上げきた汗と涙の努力の魔法。先輩たちやコーチ、監督たちと築いてきた絆の魔法。家族や亜美に支えられてきた愛(仮)の魔法だ。そしてスタンドから応援してくれる人たちの願いがまるで魔法のように俺の背中を押してくれる。
金堂さんがワインドアップから球を投げる。速いけど、思ったより見えるじゃん。外角へと逃げるスライダー。見送ってボール。クンって音出して曲がりそうだ。
次、インハイが来る。ボール。これは見せ球。もう一度外角低めで
打球は快音とともにセンター方向へ。割と鋭い角度の弾道を目で追いながら走る。
入れ!という呪文とともに。打球はそのままバックスクリーンの右わきのスタンドにつきささる。
よし、これで同点か。俺はダイアモンドを回りながら次の回の投球に思案を巡らせていると、ベンチの外にみんなが出てきた。ちょっ、本塁打のベンチ外のお迎えは禁止ですぞ。
「何言ってんだよ。試合終わったぞ。」
俺が不思議そうな顔をしていると山鹿さんが俺の肩をぽんぽんとたたく。ふぇ?
「こいつ最後の最後で一人でおいしいところを全部もっていきやがって!」
中里さんが笑顔で俺に抗議する。
「あ、こいつ自分が3ラン打って、サヨナラ決めたことに気づいてねーぞ。いいから礼に行くぞ。」
伊波さんにせかされる。俺だけヘルメットで礼。なんか変。その瞬間サイレンが響きわたった。
ホームベースのラインに並んで校歌を歌う。そして応援してくれたスタンドに向かってあいさつに行く。
「健!泣いてんじゃねーぞ!顔汚えぞ!」
スタンドのチームメイトから野次られる。泣いてねーし。あれ、汗じゃないの、これ。
それから表彰式のためにいったんベンチに戻った。
「健、顔の汗、拭いておけよ。」
「すびばせん。」
俺は慌ててタオルに顔を埋める。やべ、鼻水まで出てる。
「お前が真っ先に泣いたせいで俺らが泣けないじゃないか。少しは気を使えよ。」
「すびばせん。」
勝ったんだ。ようやく実感がわいてきた。
あとは表彰式、そして制服に着替えて記者会見。俺は「優勝投手」になった気分を聞かれた。そうか、そういうことになってしまうのか。
「いや、中里さんの
それが偽らざる気持ち。
伊波さんは
「チーム一丸となって、3年生にとっては最後の甲子園で最高の結果を手にできました。学校や家族や地域のみなさんに支えてくださったことに感謝しかありません。」
とまじめにコメントしていた。
一応、最後の夜まで宿泊費が出るため泊まっていったのはいいが、撤収作業がまた大変なのだ。練習用具やら差し入れやらをトラックに積み込み、部屋や共用部の掃除。勝利の余韻のへったくれもない現実。
睡眠魔法を使えなかったせいで俺はなかなか寝つけなかった。
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