「静」と「動」のはざまで


 自ら同点に追いつたという安堵感。そしてクリーンアップを迎えた緊張感。そしてチームを背負っているという高揚感。その全てがないまぜになった笑顔だろうか?


 しかし、これ以上の続投は危険としか思えない。


 自信のこもった大きなフォームは微塵も崩れていない。しかし、肩や肘、関節や腱は、筋肉は悲鳴を上げているだろう。それでもなぜ投げ続けるのか?


 正岡子規は現代でも使われる野球用語を翻訳したという。ワンアウトは一死。プットアウトは刺殺。正直言って物騒だ。スポーツイコール武道だった江戸時代の思想を引きずっているのかもしれない。


 サッカーのように「動」しかないスポーツと違い、野球には「静」と「動」が混在する。それは弓道や居合のような武道や武術に通じる。だからこそ日本人はそこに美を見出して来たのかもしれない。


 しかし、アメリカ人ならこんな姿を見たら首をすくめて「狂っている」というだろう。

「これはただのスポーツだよ。ただの娯楽だよ。命を賭けるものじゃないね。」


 俺は静かに投球を待つ。2B2Sからの5球目。狙い球はフォーク。しかし、球は落ちなかった。もう握力が残っていないのだろう。気力だけは全く衰えないまさにタフネス。俺は居合斬りのようなスイングでバットの真っ芯でボールを捉えたボ。悲しいほど美しい放物線を描いてスコアボードに当たる。大会23号ソロ。


 中西はボールを見送った後、帽子を取るとアンダーシャツの袖で額の汗、そして涙を拭った。


 俺が本塁を踏むと試合終了ゲームセット宣告コールされる。中西は一歩も動けないのか、チームメイトに両脇を抱えられて礼に臨んだ。まさに「死闘」だった。もちろん相手チームの側から見ればだが。


 負けて淡々としている中西とは対照的にナインは号泣している。

伊波さんは

「相手投手が連投続きだったにも関わらず素晴らしい気迫のピッチングでした。僕たちはエース中里に加えて4人の一線級の投手がいます。勝てたのはその差だと思います。」

と相手を称えることを忘れなかった。


 「あの本塁打は狙ったのか?」

山鹿さんが聞く。

「⋯⋯はい。フォークを狙ってました。そして、狙い通り落ちませんでした。」

「そうか。……まるで介錯だったな。」


 翌日は最後の練習日。朝の練習を終えるとグラウンドを貸してくれ、サポmートもしてくれた高校と野球部に感謝した。夏休み、しかもお盆時期にも関わらずボランティアで多くの生徒たちが参加してくれたのだ。


 準々決勝の相手はその日の夕方に行われた抽選の結果、西東京代表の光倫高校に決まった。仏教系の私立校だ。2年生エースの荒木慎司あらきしんじを中心にしたチーム。練習試合などの交流はないが良く名前を聞くチームではある。


 地区予選で低迷していた頃に就任した五郎丸ごろうまる監督がチームを3年で立て直した、という話がスポーツニュースで取り上げられて話題になったのだ。


「監督が目立つチームはロクなもんじゃない。」

と東郷監督は嫌そうだった。名将対決とか書かれるのがウンザリらしい。俺が直接指導を受けることは滅多にないが、中里さんや凪沢や胆沢を一線級の投手に育て上げた手腕は十分に「名将」と呼ばれるに値するだろう。

「半分は乃木の手腕だからな。」

中等部の乃木監督と良い連携なのだ。


8月19日の第一試合。準々決勝。


 先発はエース中里さん。中4日開けてての登板とあって身体が軽そうだ。

相手もエース荒木。


 五郎丸監督の指導方針は「断トツ野球」。自分のストロングポイントをとことん突き詰めていくという方針らしい。そして、荒木さんの突き詰めたのはコントロール。球速は130km/hに届かないが、絶妙な箇所をとことん突いてくる。


 一方で攻撃も特化型。とにかく足の速い一番バッター若井さん。内野ゴロでもギリギリセーフ。しかも二盗。バントの達人の2番打者。進塁打の達人3番難波。でいきなり1得点。そして、4番投手荒木。とにかく野球センスがあると言うのだろうか。中里さんの決め球のシンカーを打って2点目。


 あっと言う間だった。勢いのあるチームの勢いにいきなり呑まれてしまった感じである。


「慌てずに行こう。まだ十分に挽回の機会はある。」

3回まで軟投で抑えられてきたが、2巡目。そろそろギアを上げて行こうか、と言うところで「異変」が生じる。相手投手の荒木が右投げにスイッチしたのだ。






 





 

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