第25話

私の時間


私は学校ラバーだった。恐怖を感じる英語の授業以外、全ての教育を尊敬していた。だから授業内容は脱線蘊蓄も含め暗記していた。

学校は楽しくて楽しくて堪らない場所だった。だから1時間前に教室につき、チョークで汚れていて気持ち悪い黒板を雑巾で清めるのが日課だった。その後で昨日だされた課題をえんやこらとやっつける。

だから、成績は数学のテストで1回だけ調子にのって零点をとったくらいで、赤点はなかった。私は、テスト範囲が発表されみんなが目の色を変えて試験勉強をする時分に限って「ネタ」が降臨するのだった。だから「設定資料」という名のらくがき(何度も何度も消しゴムをいれるシャーペンのささがき)を書いて深夜の一夜漬けは朝漬けしかしたことがなかった。それを今、ミヨシトオルという人達に(ミヨシトオルという人達のご結婚の人質として)拉致被害にあったアモーレの1部として、取りかえそうとやっきになっている。らくがきのイラストも文字もどちらも大切なアモーレの1部なのだから。もともと、いがらしゆみこ先生の「キャンディキャンディ」から「転んでポックル」のラストにレディコミ転向に危機を感じ、一生当時の作風を若人らしく描くぞ。少女漫画一筋な私だったから「お前の価値の無いらくがきなど諦めたら」という暴力と闘っている。私は横田めぐみさんのお父様の二の舞は絶対に嫌だ。だから今は出来る事に精一杯だ。そんな私のストーリーの先生は藤本ひとみ先生や火浦功先生や前田珠子先生ほかだった。

全員cobaltの先生だが、姿勢を見習っていた。全てのキャラクターが自分のオマージュだったり、身を削って作創したり、とことんオリジナリティーにこだわる様だ。

そして今は少年漫画も意識しているし。オリジナルと協同製作とどちらにも意識がるんるんしている。背景は写真を貼ったり、上手い人に任せて人物だけ自分で描くぞといきこんでいる。全部、人生かけて私が描くぞと楽しみと想像を絶する苦しみを予感しながら私は描くぞといきこんでいる。

兎に角、若者向けジャンルが本懐なのだ。だから思い出せないくらい忘れてもらうぜという犯人に殺意すら抱く。私が死刑執行人なら良かったのにと、何度も何度も悔やんだ。死刑執行ボタンを腹の中ではげらげら笑いながら、落ちついた面持ちでダミーがなくても押せるのに。そして遺体を見てもトラウマになぞ、絶対にならないのに。 私はミヨシトオルが連絡くれるを待っている。

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