第2話 川遊び

 ピンポーンっと景気よく玄関の呼び鈴が、出迎えを求めて呼び掛ける。

「お~い、来たぞー!」

「はいよ」

 呼び鈴に答えて玄関にて出迎えた母は、特に躊躇することなく彼を部屋に招き入れた。

「約束通り、川行くぞ!」

「約束したっけ?」

 二人そろって頭を傾げる。

 終業式から10日以上の時間を持ってすれば、湧きあ上がった釣りへの興味が沈静化するのも致し方ない事だった。

「まぁ、良いか…川行くぞ、川!」

 僕は友人に引っ張られる様に家を出た。


「それで、川行って何するよ?」

「釣りはしたいな。後は…水切りとかさ」

 何でも良いけど余り遠い所に出向くと、帰りが大変になるのだけど。

「水切りって石が跳ねる奴だろ?」

「おう!」

「僕はやったことが無いんだけど」

「なら教えるから、やってみろよ!」

 あーだ、こーだと取り留めのない会話を続けながら、僕は友人の後ろを追いかける。

 結局それから目的地の川にたどり着くまで、1時間以上も掛かってしまった。雲が出ているとは言え、真夏の日差しの中で1時間も歩いていれば、汗も流れ喉も乾いていた。

「あっー…」

「やっと…着いた」

 たどり着いた時には、疲労困憊とまではいなくとも喉の渇きから、目は自動販売機を探していた。

「でもすごい風だ…車の音なんて、この風で全く聞き取れん」

「な!」

 僕らが立っているのは、幅の広い川を跨ぐように掛けられた大きな橋の上だ。この橋自体の横幅も広く、片道2車線の上に車道と車道の間には路面電車が走る線路が伸びている。

「おい、見て見ろよ何か投げてるぞ!」

「えぇ?」

 橋の太い手すりに身を乗り出しながら眺めた川には、長靴を穿いたおじさんが何かを川に投げ入れている。

「網?」

「網って…漁でもしてんのかな?」

 網を投げ入れては引き寄せて回収し、また網を投げ入れている。その姿はまさしく漁をしている様で、しかも誰もその行動に違和感を感じていない。

「何してんだろ?」

「分かんないけど網なんだから、魚取ってるんじゃないの?」

「魚…魚…ああ!」

 突然叫び出した友人に驚いて、肩がビクッと跳ねる。

「何、もぉ」

「いや、釣り竿のこと忘れてたなって」

「ああ」

 いつの間にか川にたどり着くのが目的になっていた事に、僕はこの時初めて気が付いた。

「でも釣りの店なんて見当たらなかったし、釣り竿買う金なんて持ってないぞ」

「いや、子供向けの釣り竿なんて1000円あれば買えるって、確かに店は見当たらなかったけど」

 再び川に視線を戻してみれば、クーラーボックスを脇に置いた釣り人が数人いる事に気が付いた。

「釣りしてる人がいるんなら、魚も釣れるんだろうけど…」

「あーあ、取り合えず下に降りようぜ!」

「…そうだな」

 ずっと橋の上にいてもしょうがないと、友人の提案を受け入れて歩き出す。

「どうせやるつもりだったし、石投げようぜ石!」

「水切り石だっけ?」

 石が水面を跳ねる様に走る昔ながらの遊びである。

「名前なんてどうでも良いけど、とにかく平べったい石探そうぜ!」

「それと場所も探さないと。川に入って網投げてるおじさんもいるし、石を当てない様にしないと…後で怒られるぞ」

 僕の忠告も何のそのと友人は地面をジッと見つめながら、川沿いを歩く。

 いくつかの石を拾い上げていると、見知らぬ女の子に声を掛けられた。

「何を探しているの?」

「え?」

「落とし物?」

 友人は僕の前を歩いていて、いつの間にか背中が見える程度の離れた所で石を拾っている様子だった。

 僕は慌てて女の子に答えた。

「違う」

「じゃあ、何を探しているの?」

「…石だけど」

 何だか可笑しな子だなぁと僕は思った。一人で暇を持て余しているのかもしれないけど、知らない人に声を掛ける不用心さは何だか不安を覚える。

「石なんて拾ってどうするの?」

「どうって、川に投げ込むんだよ」

「川に?」

 女の子は、視線を川に向ける。

「おーい!」

 良い石をを見つけたとばかりに右腕を空に掲げた友人が、僕に向かって走って来ていた。

「友達?」

「まぁ…」

 ああも元気印な所を見せられると一人でいる時なら兎も角、初めて会う人に見られるとどこか無性に恥ずかしく感じて、僕は曖昧に答えた。

「何だ友達か!?」

「違う」

「まだ違うかな?」

 まだも何もこれからも違うと思う。

「水切りやろうぜ!」

「だからやったことないんだって、やって見せてくれよ!」

 見知らぬ女の子の瞳から逃れようと、僕は友人の言葉に飛び乗る。石を川に投げ入れる間に彼女の顔は、友人の行動への好奇心で彩られていた。

「…ッ!」

 彼が投げ入れた平たく小さな石は、激しい横回転を披露しながら水面に叩きつけられた。

「あ…」

「すごい、石が跳ねてる!」

 投げ込まれた石は、傘が水を弾くように弾む。

「んー、2回か~」

「何かいくらい跳ねるんだ?」

 不満げな顔をした友人に声を掛けながら石を構える。

「俺の最高記録だと6回。でも8回とか16回とか色々聞くかな?」

「へー」

 僕は適当に石を投げてみたが、その石は一度も跳ねることは無かった。

「違う違う。石を回転させないと…ッな!」

 ポケットから新しい石を取り出すと、その場で投げる。

「おっし3回!」

「うーん、回転かぁ」

 僕が投げた石はたてに回転していたのが良くなかったのだと、友人から投げ方を教わった。

「わたしにも教えて!」

 しばらく黙々と石を投げては拾う動作を続けていた僕たちに、すっかり存在を忘れられていた女の子が声を掛ける。

「いいぞ、出来るだけ平らな石を探すんだ」

 友人は女子の要望を受け入れ、石を探す様に言った。僕はと言うと平らな石を探すのが面倒になって、どんな石でも一度は跳ねさせようと何度も何度も石を投げていた。

「康太はもう自分でやるしかないな」

「…う~ん、丸い石はまだ跳ねるけど大きいのは難しいな。川の流れも速いし…」

 面倒な石探しを辞めてみると次第に、どんな石が跳ねるのか、大きな石は跳ねるのか、割れた石はどうなのだろうという探究心が顔をのぞかせた。

「あ、ねぇねぇ!」

「うん?」

「綺麗な石見つけた!」

 平らな石を探していた彼女は、僕らの元まで駆け戻ると手のひらを差し出した。

「ガラス?」

 手のひらの上に置かれた石は、黒から段々と色が抜けている様な見た事のない色をしていた。色だけでも初めて見る石だったが、その割れたような見た目の一番薄い部分はガラスと見間違えるほど透明で、太陽の光を浴びてキラキラと輝いていた。

「おお、スゲー!」

「どこで拾ったの?」

 僕は直ぐに石が欲しくなって、つい堪え切れずに聞いてしまった。口にしてから、ちょっと後悔した。だって人の物を欲しがっているみたいで、それを自分から人に知らせる様で、なんだか不安になったんだ。

「橋の下の辺りだよ。まだいくつか落ちてた」

「ホントか!」

「あ、おい!」

 場所を聞くなり走り出した友人の背中を見送って、僕は呆然と立ち尽くした。

「キミは行かないの?」

 良いんだ、とぶっきらぼうに返す僕。彼女はふーんと呟きながら、川を見た。

「何回跳ねたの?」

「…何が?」

「キミの石」

 僕は握っていた石を固く握りしめると彼女から少し距離を取って、水面へと石を投げた。

「あんまり」

 投げた石は一度大きく跳ねてみせたが、そのあとは浮かび上がる事無く水没した。

「わたしは一回も跳ねないよー。教えて?」

「はぁ…石を人差し指と手の平で抱える感じで持つんだ。そしたら石が持ちにくいから、中指を石の下に入れて固定する」

「うんうん……こう?」

 僕は適当な石を拾い上げて、石を軽く持ち上げて見せる。

「こう」

「あ、中指を曲げるのね」

 僕に聞くよりも友人に聞いたほうが何倍も速いのでは?と思ったが、あの友人が僕に教えている所を彼女は見ていた筈だ。話を聞いても理解できない様な説明だったかは分からないけれど、アレは僕に教える為の会話だったから伝わりにくかったのかもしれない。

「で、投げる時はこう腕をクルっと独楽こまを回すみたいに」

「こう…ぁ!」

 速さも回転も十分では無かった石は、彼女の足元に落下した。

「芸人のツッコミ見たいな感じで、体の外側に腕を振って」

「なんでやねん?」

「そうそう」

 彼女は切れの無いツッコミを披露してから、足元の石を拾い上げる。

「そのまま腕を体の正面に持ってくる時に、石を投げるんだ。投げる時は人差し指を使って手の中の石を回転をさせる…っと」

 僕は再び石を投げ込んで見せる。

「あ、今度は3回!」

「最後のは水から出てないから…」

「じゃあ2回?」

「だと思う」

 女の子は意を決したように石を構え、水面に向かって投げる。

「あー、しっぱい」

「後は投げて覚えるしかないよ…僕も今同じ」

 それから僕らの水切りは友人が珍しい石を拾い集めて戻ってくるまでの間、特に話す事もなくなって、ただ石を投げ続けた。

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