ep.6

 


 道なき道を、ひたすら突き進む。


 底を尽きそうな力を振り絞り何度呼びかけても、一向に返事が返ってこない。



 こんな深い森の中を闇雲に探していくことが、今出来る最善の方法なのだろうか。

 起こった事に対しての気持ちの整理もつかないままに走り続け、進めば進むほど不安と焦りが重くのしかかっていく。




 そして、体力も気力も限界が近付いてきた頃。


 ふと、手からリボンが滑り落ちた。


 すぐに気付いて目線を下に落とす。

 拾おうとしたその手が、止まった。



 草の広がる地に落ちた、少し乾いたような浅黒い赤。



 視界に入れた瞬間、身体が固まる。


 ゴクリと息を飲み、恐る恐るその跡を目線で辿った。


 悪い予感が、頭の中を占める。



 ぼたぼたと落ちた血痕は、森の奥深くへと続いていた。


 どくどくと、心臓の音がうるさい。ずっとつっかえていた不安が膨らみを増し、血の気が引いていく。



 拾おうとした指先が震えているのが目に入り、はっとして我に返る。硬直していた身体を叩き起こすように一気に空気を吸い込んでから、すぐにその跡を追っていった。





 ◇◆◇◆◇◆◇◆






「…エリゼさん!!おじさん…!!!…返事を……っ、して下さい!!!」


 何度目かの呼びかけをした、その時だった。



「………………だ……」


 声がして、咄嗟に顔を向けた。


 森の奥から聞こえる、消え入るようなくぐもった声。耳を澄ませば澄ますほど、鮮明に聞こえる自然の音が雑音となり、その声を掻き乱していく。耳に全ての神経を集中させ、慎重に音を聞き分けていく。


「聞こえますか!?…っ、俺は、ここにいます…!!」


 自分の声が響き渡っていく様子を見守りながら、次にくるその声に備えようと、目を瞑る。

 すると、



「………ア……こ………………だ………」


 さっきよりもはっきりと、より色濃く、声が耳に残った。


 斜め向かい。その方向に足先を向けると、確信から来る気力で、これまで以上に強く足が動いていった。



 だんだんと、声に近づいているのがよく分かってくる。早く無事を確認したい一心で、鼓動がどくどくと激しさを増す。進めど進めど深い森の暗闇しか広がっていないというのに、まるで光の元に向かっているかのような感覚だった。確実に近づいているという事実に、重いはずの足が軽くなっていく。




 ◇◆◇◆◇◆◇◆



 大きく見開かれた少年の目に、見慣れた背中が映る。


「…………っ、はっ、おじさん…!エリゼさんは…!??」


 声を受けた本人は、背中を向けたまま、振り返る素振りを見せない。代わりに、顎先で下に視線を向けるよう少年に示す。


 男性の腕を伝い、足元の光景が視界に入った瞬間、少年ははっと息を呑んだ。



 毎日見て、よく知っている栗色の細い髪が、傾れ込む数多の大木から覗いていた。こんな深い森に相応しくない赤い溜まりが広がっている。男性の足がそれに滑って体勢を崩したのだろう跡も所々確認できるのが、余計に少年の顔を強ばらせる。

 小刻みに震える男性の腕には少年と同じ多数の切り傷が刻まれ、血管が切れることなど気にも留めることなく、人の力では支え切れないだろう重さの木々を持ち上げている。


 狼狽えながらも、少年は加勢しようと木々の底を持つ。


 すれば、歯を食い縛っていた男性が掠れた不安定な声質で、少年に訴えかける。


「………っ、……持ち…上げるのは…無理だ。…俺が隙間を作る間に……引け」


「わ、わかった」


 顔中に汗を噴き出し少年に指示を出す、その見たことの無い必死の表情が持つ気迫に押され、少年は上擦った声で返答する。



 地面に最も接する一番下にある、狭い隙間。男性の力み具合によって地面と樹木との距離はたゆたう。


 押し迫る樹木の影に加え、辺り一体を薄暗く覆う曇り空による影も重なり、隙間の奥までは完全には目視出来ないでいた。


 少年は髪が見える場所から両手を躊躇いなく限界まで伸ばし、両脇を掴むと、思い切り後ろに引く。少年の頭の中は、受け入れきれないことばかりが乱雑に交差し、しっかりと目で見ているのに見ていないような、そんなふわふわとした夢の中のような感覚と、手の中にべっとりと存在する嫌というほどの量のぬるぬるとした血が、無理矢理現実へと引き戻していくような、どっちともつかないぐらぐらとした精神状態で、理性を保つのに精一杯だった。


 ツンとする血特有の嫌な匂いがそこら中に漂うのを分かっていないふりをして、決死の表情を浮かべた少年は、自分の方へと目一杯引き寄せる。うつ伏せの状態で、もう肩の辺りまで見えている。それなのに、足の方で引っ掛かりがあるのか、一向にそこから進展しないでいた。


「もっと………もっと…!上げるだろ……!!!!」


「……っ、…っ………いいか、お前が合図しろ……そこで一気に引き上げる。

 ……こっちはもう限界が近い……これが最後のチャンスだと思え。」


 男性が息も絶え絶えに、少年を睨みつける。

 少年は、それを見上げゴクリと唾を飲み込むと、震えた唇で合図の音を発する。


「……っ、せーーーーの!!!!!!」


 少年の合図と共に、男性が最後の力を振り絞り一気に押し上げる。地面上で踏ん張っていた男性の足に一層力が加わり、地面と擦れて出た「ザッ」という音は、自然が男性に応えるかのようだった。樹木の表皮は、食いこんだままの指先のさらに深くまで突き刺さり、重力に負けた血が腕に滴り落ちる。


 対する少年も、感覚のないはずの右足にこれまで以上の力を込め、全身を駆使して一生懸命引き寄せる。

 途中、誰のものか分からない血のぬめりによろけながらも、着実に救い出していく。


 そして、あとひと息。少年は全ての力を出し切る気迫で、荒々しい声を上げながら引き摺りあげた。


 大量の大木のもとにいた身体が、曇り空のもとにさらされる。二人は息を着く間もなく駆け寄り、少年がその胸に耳を立てる。


 息をはずませた二人の間に、掠れたふたつの音が響く。少年は、男性の目を一直線に見上げながら、首を縦に2回、小刻みに振った。


 その様子を見た男性は重い息を吐くと、親指の関節で口端から垂れる血を拭った。そして素早く上衣を脱ぎ、破った服を当て止血を始めていく。


 少年も手伝おうと手を伸ばすが、手の震えが止まらない。少年の手のひらは、指の先までべっとりと血塗れていた。震えを止めるのに、少年は咄嗟に腕に爪を立てた。


 素早く止血に取り掛かる少年の頭の中には、こんな薄暗いというのに、嫌という程印象深い、鮮やかな赤がこびり付いていた。




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