体育の日 後編


 メシの後。

 気付けば一人、砂浜で寝てて。


 目覚めた時には。

 まあ、当然。


「……やべえ。すっげえジンジンする」


 表面だけ見事に色づいて。

 裏面が白いサニーサイドアップの出来上がり。


「……おい、パトカー」

「うまいこと言いやがる」


 金髪を透過するほどの逆光のせいで。

 表情が見えない春姫ちゃんを見上げると。


「……凜々花と、お姉様がいない」


 少し寂しそうに。

 ぽつりとつぶやいたから。


 ゆっくり立ち上がって。

 柄にもなく。

 豪奢な金髪の上に手を乗せた。



 舞浜母は、日差しに当たり過ぎたからって別荘に戻っちまったし。

 親父はパラソルの下で寝てるし。


 一人で寂しかっただろうに。

 悪いことしちまったな。


「……こら、失礼な勘違いをしてる立哉さんの方」

「ん? 安心しろよ、俺が遊んでやるから」

「……やはりか。そうではなくて、ここから見える範囲で姿を消すなどあり得ないと言っている」


 言われてみれば。

 確かにそうだよな。


「……警察にでも捜査を依頼するか?」


 真剣な表情で。

 春姫ちゃんが指差すのは。


 白黒ツートーンの俺。


「これは、捜査する人が乗る方。捜査はしねえ」

「……しないのか」

「働く車だからな」

「……では、働け」

「なるほど。シートベルトはちゃんとしろよ?」


 俺は、春姫ちゃんをおんぶするため。

 砂浜にしゃがみ込むと。


 その背中を。

 小さな足でこれでもかと蹴飛ばされた。



 ……さて。

 そんな冗談はさておいて、だ。


 俺は顔面についた砂を払いもせず。

 春姫ちゃんを、ふぉふぉふぉと笑わせた後。

 腕を組んで考える。


 舞浜は、海には入らねえ。

 そして砂浜に見当たらないってことは。


 別荘に戻ったか。

 そうじゃなけりゃ……。


「あれか?」


 西の方。

 岩場の上に。


 微かに動く何かが見える。


「……良く見えるな」

「待ってるか?」

「……いや、行こう」


 散歩と呼んでも良いような距離。

 俺は、お袋が置いて行った日傘を春姫ちゃんに渡して。


 目を細めながら。

 焼けた砂の上を歩き出す。


「……どっちへ行く気だ?」

「波打ち際歩かなきゃ足がもたねえよ」


 なるほどと言いつつも。

 意外や、平然と歩く春姫ちゃんを見て。


 俺は、ちょっと悔しいから。

 海洋生物のうんちくを語りだしたんだが……。



 お前さ。

 ほんとに中二か?



 何を語っても。

 既にこいつの知ってる話しで。


 お返しにと教えてくれる話は。

 俺の知らない事ばかり。


 しかも、気付けばノージャンル。

 あらゆる話にぽんぽんスライドしつつ。


 留まるところを知らない会話が続く。


「……そんなことも知らんのか。スベスベマンジュウガニは有毒だぞ?」

「マジか。毒入り饅頭だな」

「……なんだその怖い饅頭は」

「食後のお茶にも毒が入っているやもしれん」

「……なるほど。罪状は毒殺ではなく、使い古された手口の詐欺だったか」

「まんじゅうこわいは、中国、宋代の随筆にあった話が原型って説があるらしい」

「……日本では平安、あるいは鎌倉の世か。そんな昔の手口で今更騙される奴がいるのなら見てみたい」

「俺は今、春姫ちゃんの水着姿が怖いぞ?」

「……なるほど、困ったな。それは騙されてやらねばなるまい」


 そして跳ねるように俺を追い抜いた春姫ちゃんが。

 どうだとばかりに振り返る。


 これ以上なく太陽光を乱反射させた真っ白な肌に。

 腰回りからミニスカート状のフリルを付けたレモン色のワンピース。


 パジャマと言い、水着と言い。

 春姫ちゃんのパーソナルカラーは黄色だったのか。


「おお。この辺で、もえキュンポーズの春姫ちゃんが一番怖い」

「……ふぉふぉふぉ。調子に乗るな」



 ……知的水準が同じ奴との会話は面白い。


 中二の子とは思えねえほど。

 春姫ちゃんは博識だ。


 そう考えると。


「すげえ違うよな、春姫ちゃん。姉の方と」

「……知識の話か? まあ、お姉様は承知の通り。偏りが激しい」

「そうだな。普通、槍みてえなレーダーチャートになる奴はいるが……」

「……ああ。恐らく、線になる」


 まあ、そんな事を言ったって。

 お姉ちゃん大好き春姫ちゃんが。

 フォローする流れは予測済み。


「……だが、そうは言ってもお姉様の理系関係の知識量は尋常で無いのだがな」

「ははっ。出来の悪い子ほどかわいいってか?」

「んなっ!? お姉様は、出来が悪くなどない!」


 珍しいな。

 いつも独特の間でゆったりしゃべる春姫ちゃんが。

 ムキになって反撃してきた。


 そんな、お姉ちゃん大好きっ子に。

 背中をぽかぽか叩かれながら。

 しばらく歩くと。


 ようやく。

 岩場に到着したんだが……。


「これはちょっと危ないな」


 いびつな黒い岬を見上げると

 かなりの角度で首が上に向く。


 そんな視界の先で。

 稜線をかすめて、トンビが出たり入ったり。


 下手すりゃ落っこちる可能性もある。

 どうしよう。

 春姫ちゃんを連れて行くべきだろうか。


 鋭利でいながらざらついた岩に手を添わせて。

 振り返る先で。


 金髪が。

 問題ないぞと左右に揺れる。


「……察したよ。一人で行って来るがいい」

「おお。ちょっとだけ待っててくれ、すぐ連れて来るからな」


 運動神経にはもちろん自信がある。

 だが、万が一を考えて行動した方がいい。


 俺は波打ち際から内陸に随分と歩いて。

 砂山登山に、軽く息を切らせると。


 ようやく。

 上りやすそうな岩の突起を見つける事が出来た。


「この辺からならそんなに高さねえかな……」


 そして、念のために両手両足を使って。

 ちょっとしたボルダリングを開始した。


「……慎重に頼むぞ」

「おお」


 とは言え上り始めてすぐ気づく。

 逆に、立って上った方が楽だこれ。


 俺は平たくなった岩の上で体を起こすと。

 急に開けた視界の先に。


 セパレート水着の。

 凜々花の背中を見つけた。


「おお。いたいた」


 あいつが立ってるの。

 岩場の先端か?


 どんなルートであそこまで行ったんだろう。

 思ったより、岩の裂け目や段差のせいで前に進めない。


 こういうの。

 野生のカンって言うか。

 あいつ鋭いから迷わねえんだよな。


 それに対して、俺はパラメータ的に運勢ゼロ。

 カンとかまったく働かねえから。

 全ルートをしらみつぶしで歩くしかねえ。



 意外と手こずる天然迷路のせいで。

 足元ばかりを見て慎重に進むと。


 首の後ろがじりじりと焼かれて。

 体力を一気に減らされる。


 そして気づけば肩で息をして。

 腿に手をつきながら。


 止めた足と足の間に。

 顎から滴る汗でいくつもの黒いシミを作っていた。


 ……あれ?

 俺、足が止まってる。



 そうか。



 砂浜で寝て。

 水も飲まねえで来たから。

 脱水症状が出始めてるのかもしれねえ。


 だから、口で息をするのをやめて。

 犬歯を舐めて出た唾液でのどを潤しながら。


 ここから動かずに。

 凜々花を呼ぼうと決めた。



 曲がっていた背中を伸ばして。

 さっきよりもはっきりと凜々花の姿を視界に収め。



 見慣れた背中に。

 大きな声をかけようとしたその時。





 俺の視界内で。

 第二の殺人が起きた。





「きゃーーーーーーーーー!」



 一瞬の出来事が。

 瞳の中で、何度もリフレインされる。


 今、岩場の先端に立っていた凜々花は。

 誰かに背中を押されて。



 海の中へと。

 突き落とされた。



「凜々花っ! 凜々花ーーーーーー!!!」


 岩が足を切り裂き。

 膝をすりおろす。


 そんな激痛が後から追いかけてくるほどの全速力で岩場を駆け抜けて。

 岸壁から海を覗き込もうとしたら。



「んぱあ!」

「ぎょえええええええええええええ!!!!!」



 目の前に。

 凜々花がひょっこり顔を出した。



「きゃはははははは! おにい、ぎょえええってなに!?」

「んななななななっ! お、お前っ!」

「崖っぷちダイビングすんげえおもれえ! おにいもやったんさい!」

「ばっ、バカやろう! すげえ心配したんだぞ!」


 これが親父が見つけた場所かよ!

 なんたる人騒がせな!


 どっと力が抜けて。

 岩場に膝をついた俺の肩に。


 凜々花が、そっと手を添えて。


「……おにい、ビビリーヒルズ?」



 やせ細った神経を。

 ごりっごりに逆撫でしやがった。



「そうじゃねえよあぶねえから飛び込まねえだけ!」

「きゃはははは! おにい、バーバリアンよりビービリアン!」

「お前も絶対禁止だかんな!」

「バーバリビービリ、ビバ鎌倉!」

佐野源左衛門さのげんざえもんさんに鉢の木捧げて謝れおまえは! 頭にきた、ここから叩き落としてくれる!」

「おお! あれ、おにいにしちゃおもろかった! もっかいやったんさい!」


 凜々花は、どんと来いってばかりに。

 飛び込みングスタイルになって俺を見上げてるんだが。


「……ちげえっての。押したのは俺じゃねえ」


 真顔でそう伝えると。

 そんじゃとばかりに自分で飛び込もうとしたから。


 首根っこ捕まえてわき腹こしょこしょの刑に処した。



 ……自分で飛び込むのと違って。

 突き落とされると。


 急なことにパニックを起こして。

 大事になりかねない。



「ぎゃはははは! もうしねえから! でも、おにいが押したくせに!」

「だから俺じゃねえっての」

「へ? だって、おにいの他には一人しかいねえよ?」


 そうだ。

 凜々花の背中を押したのは。


 海へと突き落としたのは。




 ウェービーな。

 黒髪の女の子。




「……凜々花。その子が見当たらねえけど」

「そだよねだよね! どこにも見えねえ!」


 そう。

 逃げたんだ。


 それが意味するのは。

 殺意かどうかはともかく。


 悪意があったってことだ。


「……お前、彼女の名前を知ってるか?」

「んもちろん!」


 そうか。

 聞いたんだな。


「俺も知ってるぞ。その子の名前は……」

「フジツボの宮さま!」

「そう、藤壺の宮ってなんで平安時代のラノベヒロイン呼び出した!?」


 呆れて大声上げた俺が。

 凜々花が指差す先に視線を向けたら。


「でかいフジツボっ!?」


 なんだあれ、どうなってんの?

 パーカーの裾、びろんって広げて地面に張り付けて。


 見事な保護色。

 まるで見えなかったぜ。


「……あれ? もう一人って?」

「舞浜ちゃん改め。フジツボの宮さま」


 なにがなんだかわからんが。


 俺は、フジツボに近寄って。

 ファスナーを開くと。


 中から。


「ワカメ星人出現!?!?」


 大量のワカメを胸に抱いて。

 涙目になってる舞浜が現れた。


「なにがどうなったらこうなるんだおい!」

「ほんと、凜々花にもわかんなくて。凜々花がうみぼうずの話してたらね?」

「それじゃねえか」


 即逮捕だこの野郎。


「舞浜ちゃん、ワカメシールド頭に被ってしゃがみ込んで……。だから、もっとおもしれえイソギンチャクの話をね?」

「泣いてる子にちょい足ししちゃいけねえっていつも言ってんだろ!」


 まじかよ。


 もしも、ちあきちゃんがやらなきゃ。

 舞浜がお前の事突き落としたんじゃねえか?


 あるいはちあきちゃんも。

 怖い話が苦手だったとか。


 俺は、可哀そうに涙目で震えるワカメ星人にはそれ以上何も聞かずに。


 とりあえず。

 おもしれえから。

 カメラで撮影しておいた。




 ……でも、さ。


 この岩場。

 真っすぐ海に向かって突き出してるんだ。



 お前を突き落としたちあきちゃんは。


 どこに消えたんだ?




 ~´∀`~´∀`~´∀`~




 二日目の夜は。

 俺に静かな幸せを運んでくれた。


 今にも降り注いできそうなほどの星空。


 サロンの明かりを落としたテラスにビーチベッドを置いて。


 瞬く無数の星に、時と距離の無限を感じる夜。


 地球を背にして。

 見据える正面の赤い星。


 誰かの髪の色にも似た。

 飴色に瞬く星の光は。

 何万年前の物なのだろう。


 彼女との間に。

 一体どれほどの距離があるのだろう。

 一体どれほどの時間があるのだろう。


 でも、俺とその星との間を。

 隔てるものは。



 何もない。



 ……耳に届くのは、潮騒のオーケストラ。


 そんなメロディーに。

 さらりと衣擦れの音が重なる。



 テラスに置いたもう一つのビーチベッド。

 そこに横たわる。

 白いワンピースの女性。


 彼女との距離はこんなにも近いのに。

 俺と彼女は、同じ時間を共有してるのに。



 二人の間を隔てるそれは。



 麦茶のボトル。



「…………ほ、保坂君、いる?」

「何回確認してんだよ。不安だったらそのボトルどければいいじゃねえか」

「お、お代わりに便利な位置……、よ?」


 昨日、舞浜が先に取ったせいで。

 俺も俺もと言い辛かったんだが。


 実は、俺も。

 こうして星空に思いをはせるのが。

 たまらなく好きだったりする。


 ……でも。


「お前、ほんとにこれ見上げて……」

「うん。頭、からっぽにしてね? 何にも考えずに見つめてるのがいい」

「……そっか」


 同じ場所。

 同じ時間。


 そんな俺たちの間には。


 やっぱり麦茶の隔たりがあって。


 それぞれ。

 楽しみ方はまったく違う。


 とは言っても。

 結果は同じなんだけど。



 この場所が。

 この時間が。



 好きって事に。

 変わりはない。



 …………でも。



 こんな贅沢な時間を過ごしながらも。

 胸の隅に。

 こびりついた不安という名のシミ。


 それはもちろん。

 ちあきちゃんと。

 二つの事件のこと。


 推理をしようにも。

 情報が足りなくて。


 そのくせどんな推察を立てても。

 動機が見えてこない。


 ……俺はまた。

 思考の迷宮に囚われて。


 何か大切なことでも。

 見落としているんじゃないだろうか。 



「明日は泳げそう」


 不安がっていた俺の気持ちを。

 知ってか知らずか。


 舞浜が。

 嬉しそうな声でつぶやいた。


「そっか。まあ、今日も沢山遊んだけどな」

「うん。……でも、今日は怖かったことの方が多い」

「あはは。凜々花に言っといてやるよ。怖い話すんじゃねえって」

「お願いします……」


 舞浜には悪いけど。

 お前が怖がる姿。

 俺は結構面白かった。


 フジツボの宮とか最高だったな。

 あれ、写真撮っときゃ良かったぜ。


 ……そうだ。


 この、降るような星空を。

 写真にしてえ。


 初めて使うモードに変更して。

 携帯を空に向けて写真を撮って。


 画像をチェックしてみたんだが。


「うーん……。この壮大な感じはやっぱ表現できねえか……」


 そういや。

 舞浜も昨日の夜空を撮影したんだっけ。


 どんな感じなのかと。

 メッセージの画像をチェックしてみたら。


 ……あれ?


 そこにはやっぱり。

 壮大さを表現しきれていない。

 満天の星空が写っていた。


 ……そうか。

 なるほど。


 俺は、星空の撮影技を。

 ウェブで調べながら起き上がって。


 麦茶片手に。

 ちらりと舞浜の足を見た。


 これだけの暗闇だ。

 傷の有無はまるで分からねえけど。


 でも、大事に至らねえで良かったな。


「……そ、そうだ。あの……、ね?」

「ああ、お願いの件か?」

「ひうっ!?」


 百折不撓ひゃくせつふとう

 その根性は認めてやりてえとこだけど。


 さてさて。

 どうしましょうかね。


「何をお願いしてえんだよ」

「そ、それは……、ね?」

「そこまで言いづらいことか。……しょうがねえ、昨日約束したしな。家具も壊してねえようだし、ちゃんと聞いてやるよ」

「あ……、あの……」

「うんうん」

「わ、私が……」

「うんうん」

「や、やっぱいい」

「…………そうか」


 どうにも言葉に出来ねえ舞浜のお願い。

 そいつを胸に秘めたまま。

 俺に背を向けて悔しがる。


 そんな言いづらいお願いとやら。

 それは一体何なのか。


 でも、お前のことは笑えねえよ。


 ……だって。


 俺もお前に。

 お願いしたい事を。


 怖くて口にできやしねえんだから。



 まあ、俺たち、偶然同じ地球に生まれたわけだし。


 これからも。

 同じ時間を過ごしていくわけなんだから。


 焦らずゆっくり。


 自然に口にできるその日を。

 お互い、待つことにしようぜ。







「あ、や、やっぱりお願い……」

「んん!? なんだ、どうして急に勇気湧いたの!?」

「ち、ちが……。怖くて、お、おトイレ連れてって……」

「うはははははははははははは!!!」

 


 静かな静かな星空の下。

 響き渡った俺の笑い声。


 きっとこいつは。

 物理法則を無視して。


 宇宙を越えて。

 輝く星々の全部に届いたことだろう。


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