海の日 後編



 純白のレース。

 いままで静かにしていたカーテンが。

 にわかにその翼を広げて踊りだすと。


 テーブルのトランプたちが。

 我先にと慌てふためき。


 まるで転がり落ちるように。

 床へと逃げ出した。



 何かの前触れなのか。

 潮混じりのねばりつくような空気が吹き込んできたサロンに。


 鳴り響くギャラルホルン。



 ……着信メロディーを激しく奏でた携帯電話。

 親父に噛みついてた牙を一旦しまったお袋がそれに出るなり。


 途端に、その表情が。

 仕事モードに切り替わる。


「……なるほど。先方へはすぐに連絡して、社をあげて対応中とだけ伝えろ。納品時刻の約束だけは絶対にするなよ! 私は川崎の工場に三時間で行く。トラックは今のうちに手配しておけ!」


 ……は?

 今、なんて?


「じゃ、ちょっと行って来る! しあさってには必ず戻って来るから!」

「ウソだろこら!」


 唖然とする俺たちに一瞥もくれず。

 お袋が部屋を飛び出したかと思うと。


 けたたましく砂利を巻き上げたタイヤの音が。

 あっという間に夜の戦場へと飲み込まれていった。



 ……目を丸くするばかりの舞浜一家に。

 あの人はいつもあんなものだと説明して。


 落ち込む凜々花を気遣った後。

 三々五々。


 みんなはそれぞれの夜を過ごすため。

 屋敷の至る所へ散っていく。


 中でも、最後まで凜々花の手を握っていた。

 舞浜の寂しそうな表情が。


 俺に、彼女の事を。

 一つ教えてくれた。



 こいつは、客観的に見れば優しい。


 でも、それを主観で見れば。

 多分そうじゃなくて。


 こいつは、きっと誰にでも。

 感情移入しちまうんだ。


 俺やパラガス。

 あるいは、多分甲斐にも。

 なんとなくドライな理由は。


 男子だから。

 感情移入できない。


 そう考えれば。

 つじつまが合う。



 ……まあ。

 舞浜を、どう分析したところで。


 それが何になるはずもねえ。


 俺から見れば。

 答えはただ一つ。



 舞浜は。



 優しいやつなんだ。




~´∀`~´∀`~´∀`~




 ――夏は。

 すべてを解放する。


 だから俺は

 ひとつの願いを胸に抱いた。



 舞浜に。

 頼みたい事がある。



 そう考えるに至った。

 一つの変化。


「……立哉さん」


 春姫ちゃんが起こした。

 小さなムーブメント。


 それを体感した俺は……。


「……パッとしない立哉さん」

「おっとすまん。じゃねえぞ何て呼び方しやがるんだこの野郎!」

「……助けて欲しい」


 風呂から上がって。

 薄暗い間接照明が転々とする廊下を。

 ぼーっと歩いていた俺に。

 声をかけてきた春姫ちゃん。


 その隣には……。


「おいおい! どうしたんだそれ!」


 春姫ちゃんがすがるのは。

 困り顔をした舞浜の姿。


 そんな彼女の白い足。


 弁慶のすぐ脇に。

 十五センチほどの。

 長い切り傷が出来ている。


「……ひとまず水で流したのだが」

「だ、大丈夫……、よ? そんなに痛くないから」

「血も止まってるみてえだな。救急箱があったはずだが……、ちょっと待ってろ」


 長い傷って。

 どう処置したらいいんだ?


 お袋が置いて行った鞄の中から。

 医療品をまとめたナップザックを取り出しながら。


 携帯で。

 切り傷の処置を調べてみたら。


「絆創膏を何枚も張る? 引っ張って、傷口を閉じるように固定するため、か」


 なるほど。

 傷跡が残ったら大変だもんな。


 急いで戻った薄暗い廊下から。

 手近な部屋に入って。


 舞浜を椅子に座らせて。

 春姫ちゃんに手伝ってもらいながら。


 左右から、皮膚を引っ張るように絆創膏を張り付ける。

 

「痛いか?」

「全然平気……。でも、これじゃ明日は……」

「そうだな。一日だけやめとけ」


 もうくっ付きかけてるから。

 明後日には平気だろ。


 浅い傷で良かったと。

 柄にもなく笑いかけてやると。


 ほっと肩を落とした舞浜が。

 部屋の調度にゆっくりと視線を移した。



 ……慌てて飛び込んだこの部屋は。

 まるで中世の子供部屋。


 異国のそれとすぐに分かる。

 重厚な家具は、すべて子供用のサイズ。


 天蓋の付いた小さなベッドの脇には。

 ステンドグラスのランプシェード。


 少しかび臭い室内には。

 まるで時間のよどみのような気配を感じずにはいられない。


 そして、舞浜の目が止まった先。

 部屋の片隅に置かれた。

 花のレリーフが可愛らしい写真立て。


「…………子供、ね。三才くらい?」

「ん? ……背景、ここのロビーか」


 一体、いつ頃撮影されたものだろう。

 セピアの階調だけで表現された古めかしい写真には。

 一人の少女が写ってる。


 ゆるふわウェービーな黒髪に。

 花をたくさん飾りつけた少女が。

 写真にまったく入りきらない程大きな人に手を握られて。


 なんとも幸せそうなブサイク顔で。

 にまーっと笑っているんだが……。


「おいおい。ちょっぴり怖えな」

「……なぜだ?」

「お袋がいなくなって。舞浜が怪我をした。……なんだか、サークルミステリみてえなシチュエーションじゃねえか」


 俺の言葉に。

 もの知らずな舞浜はきょとんとしてるが。


 聡い春姫ちゃんは。

 深くため息をつく。



 ……すげえなお前さんは。


 そうだよ。

 ただの誤魔化しだよ。


 この部屋。

 そしてこの写真。



 本気で怖い。



 シチュエーション的には。

 サスペンスホラーの方が正しいっての。



「そ、そんじゃ、舞浜はのんびりしとけ」

「うん。……テラスで、星を見てる……、ね?」

「……立哉さんはどこへ行く気だ?」


 慌てて怖い部屋から立ち去ろうとしてた俺に。

 春姫ちゃんが声をかけて来たんだが。


「ちょっと、外を散歩」

「……ふむ。確認して落ち着くタイプ、か」

「な、何の話かな~? そんじゃちょっくら……」


 急いで部屋から出ようとしてるんだが。

 どうあっても。

 右手と右足が同時に前に出る。


 ブリキ細工がかっちこっちに歩きながら。

 ロビーを突っ切ってビーチサンダルつっかけて。


 別荘を出たところで。

 ようやく動揺が治まって来た。



 ……すっかり心が読まれてるな。

 そうだよなんだか不安でしょうがねえんだよ。


 建物を一周して。

 チェーンソー持った怪人みたいなのがいねえこと確認しねえと。


 安心して眠れやしねえ。



 俺はこう見えて。


 すっげえ怖がりだからな。



 ……ぬかるんだ庭をビーチサンダルで歩きながら。

 夜空を見上げる。


 未だに天蓋に雲が横たわってるが。

 これが明日には。

 すっきりいなくなってるらしい。


 青い空。

 白い雲。


 煌めく砂浜を。

 走り回る美しい女子。


 そう言えば。

 舞浜、水着なのか。


 まともに見れるかな、俺。


 春姫ちゃんも、きっと綺麗だろうし。

 舞浜母は……、いや、まさか海女さんのかっことかしねえよな?



 つとめて明るく。

 明日の事を考えながら。


 散々歌わされていい加減覚えた。

 校歌を口ずさみながら。



 ようやく、自分の行動のバカバカしさに気付いて肩を落としつつ。

 別荘の裏手に出る角を曲がると。


 風呂のボイラーの影に。




 ……チェーンソーぶら下げた怪人が立っていた。




「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」




 俺の叫び声に。

 怪人も相当驚いたようで。


 チェーンソー取り落として。

 自分の体抱きかかえて飛び上がってやがるんだが……。



 あれ?


 女の子?



「びっくりした! なあに?」


 怪人の見た目は。

 小学生くらいの女の子。


 でも。

 さ。



 こんな時間だよよそんちだよ絶対おかしいよ何やってんの!!!???



「だだだだっ! だれだきさまっ!」


 びっくりするほどひっくり返った声で問いただしてみれば。


 女の子は深々とため息ついて。

 落としたチェーンソーを拾いながら話しだす。

 

「おばさんから聞いてないの? そっちの離れに住んでる管理人みたいなもんよ。おばさん、いなくなっちゃうからよろしくって言われたから。挨拶に来たの」

「それがなぜチェーンソぅ!」

「ボイラーの方に向けて伸びる枝があってね? 危なかったら切ろうと思って」


 こんな子がチェーンソーなんか使えるの!?

 ぜってえウソだ!


 それに、何をどう説明されても。

 全く納得できない理由がある。


 それは。




 この子。




 さっき見た写真の子に似すぎっ!




 ……もう限界。


 俺、高校生なのに。

 男なのに。



 漏らしそう。



「なななな、名前、は?」

藍川あいかわちあき」

「ち、ちあきちゃんね。ちょっと年上のお姉ちゃんたちもいるから、遊んでく?」


 我ながらひでえこと言った!

 でもあいつら巻き込まねえと無理だって!


 いやだよ俺一人でこんな怖い思いすんの!


 女の子は、俺の卑怯な提案を聞いて。

 めんどくさそうにウェービーな黒髪をボリボリと掻く。


 ……写真の子は三才くらいだったからまだ短かったけど。

 そこから十年ぐらい経って君の年齢くらいになったら確かに伸びるよね肩の下くらいまで。


 でもさ俺には。

 あの写真がたったの十年であんな色褪せるとは思えないんだよね!


「遊んでけって……、すげえ面倒なんだけど」

「そ、そう?」

「じゃあ、挨拶済ませたから帰るわね」


 女の子はそんな言葉を残して。

 離れとやらの方へ帰っていく。


 ……そっちの方に。

 家なんか建ってましたっけ?


 残された俺は。

 師曠之聡しこうのそうになって。


 いつまでも、彼女の足音が。

 潮騒と虫の音にとって変わる様を聞き続けていたんだが。


 血も廻らずに冷たくなっていた頭に。

 ようやく体温が戻ってくると。


「……びっくりしたあ」


 今になって。

 ちあきちゃんの事を。

 現実として受け入れることが出来た。



 それにしたって。

 タイミングが神がかってる。


 肝まで冷えたって言葉の意味を体感した俺が。

 もう一度風呂に入るべく。


 来た道を戻り始めたその時。




「キャーーーーーーー!!!」




 うわびっくりしたっ!!!

 なんだよ今度は別荘の中からかよ!


 ほんと、わざとなの!?

 勘弁してくださいマジ漏らすっ!


 舞浜母の声か。

 虫でも出たのかな?


 恐怖体験の連続で。

 心臓、ピンポン玉くらいに縮んだっての!



 ぜってえ文句言ってやる。

 それで春姫ちゃんのスカートの中に逃げ込むことになったってかまわねえ。


 俺は心を鬼にして歩き出すと。



 ヴー、ヴー。



「ひんぎゃあああああああああああああ!!!」



 とうとうピンポン玉の心臓が。

 潰れて無くなった。



「けけけ、携帯って下手なホラーより何倍も怖いいいいい!」


 危うく死因の欄に『バイブレーションモード』って書かれるとこだった!

 ちきしょうどこのどいつだ!


 俺は震えまくった手で、メッセージを確認して。

 復讐してやろうと心に誓った差出人。

 そいつの名前を、口から絞り出した。



「まあいはまあぁぁぁ……」


 

 星が綺麗🌠

 じゃねえっ!!!


 危うく俺がお星さまになるとこだった!

 もしも絵文字みてえに星が尾を引いてたら。

 それは漏らした証拠だから傘は忘れんな!



 ヴー、ヴー。



「だから怖えよやめろっての!」


 今度は写真か!

 知らん! 電源切ってやる!


 泣きそうになりながら、玄関に戻って。

 ドアを開けたその時。



 ……俺は。



 別荘内の空気が。

 妙に張りつめていることを肌で感じた。



「……なにが起こってる?」


 張りつめた糸は。

 暗闇に潜むピアノ線。


 無数の糸が体を切り刻む錯覚を感じているってのに。

 我知らずに歩みが早くなる。


 すると、老朽を全身で表す館の木板が。

 激しく軋む声で俺に警告する。


 『引き返せ』


 糸が繋がるその先には。

 ダイニングキッチンについてる二つの入り口。


 どう考えても意味を持たない。

 誰も開くことの無い奥まったキッチン側の扉。



 そんな扉から廊下へ。

 部屋の明かりが扇状に漏れている。



 光に半身を照らされた。

 別荘内にいた全員が。

 

 凍り付いたままで見つめる

 開かずの扉の向こう側。

 


 恐怖の臨界線。



 そこを越えた先には。

 すべてを知らねばならない義務感。

 そんな本能が目覚めるのだろうか。

 あるいは好奇心という泉が湧くのだろうか。


 俺は、躊躇すら感じることなく。

 氷像のように固まった皆を掻き分けて。


 扉の向こうを覗くと。


 入り口の半ばを塞ぐ邪魔なキッチンラックの向こう。


 床の上に。




 舞浜母が。




 血の海の中。

 白いワンピースを赤く染めて。




 変わり果てた姿で。

 横たわっていたのだった。





 ……第一夜。



 閉幕。





「……パッとしない立哉さんの方」

「ああ。……なんだ?」

「……ケチャップ」




 そこには。


 舞浜母が。


 春姫ちゃんの声に合わせて。

 空のケチャップボトルを両手に持ってむくっと起き上がって。


 てへっと笑う姿があった。




 ……こうして。


 ホラーな旅が。



 今、その幕を。



 開けた?

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