戦国時代にハーバー・ボッシュ法が実現できるか考察してみた
藤屋順一
前編
1.はじめに
以前に『戦国時代の技術でどれだけ近代的な銃を作れるか考察してみた』という作品を書いた際に火薬について調べていたのですが、その際に戦国時代の技術で硝酸を生成する方法としてハーバー・ボッシュ法が使えないかとあれこれ考えていて、ようやくそういうジャンルの小説に登場させられそうな感じでまとまったので作品にしてみました。
なお筆者は化学の素人で、諸々の情報はウィキペディアをはじめとしたネット資料をもとに想像力を駆使して本作を執筆していますので専門的なツッコミには答えられないと思います。
2.ハーバー・ボッシュ法とは
ハーバー・ボッシュ法は簡単に言うと『石炭と水と空気からパンを作る方法』とも称される水素と窒素からアンモニアを合成する方法で、1906年のドイツでハーバーさんとボッシュさんが開発し、ノーベル賞も受賞した技術です。
アンモニアを合成するのに『パンを作る方法』と呼ばれるのはアンモニアが農作物の肥料の三要素(窒素・リン・カリウム)である窒素の供給源になるからですね。
近世ヨーロッパにおいてはアンモニアが合成できるようになってから麦を中心とした農作物の収穫量が劇的に増え、産業革命を経て爆発的に増加した人口の支えとなりました。
アンモニアはほかにも工業用途や軍事用の火薬の原料にも使われる硝酸など窒素化合物の合成の基礎になる重要な物質で、現代でもアンモニアを合成する一般的な方法としてハーバー・ボッシュ法が使われています。
3.プロセス
最終的に得たいものはアンモニアですが、その元となるのは水素と窒素で、投入する原料は石炭と水と空気ということで、わかりやすく解説するためにそのプロセスを順を追って解説していきたいと思います。
3ー1.水素と窒素からアンモニアを作る
アンモニアは水素と窒素を反応させることで得られます。化学式的に言うと、二つのガスを混ぜてある程度の圧力をかけておけばそのうち反応してアンモニアになりますよ。という感じなのですが、反応に非常に時間がかかるので何らかの方法で反応を早めてやる必要があって、その方法というのが両者の混合ガスに熱と圧力を加えたうえで酸化鉄を主とした触媒に通して反応を促進させる『ハーバー・ボッシュ法』というわけです。
概念的にはこんな感じです。
◆◇◆◇◆◇
アンモニア合成(ハーバー法)
(水素+窒素)
↓
【酸化鉄系触媒】←熱・圧力
↓→(水素+窒素)→入り口に戻す
(アンモニア)
↓ 水に溶かして取り出す
◆◇◆◇◆◇
具体的な装置としては大きな熱と圧力に耐えられる容器を用意して、混合ガスの入り口となる吸気口とアンモニアの出口となる排気口をあけてそれぞれにガスを通すためのパイプをつけて、容器に触媒を詰めれば完成です。
プロセスとしてはコンプレッサを使って混合ガスに圧力をかけて触媒容器に送り込むと、容器の中で混合ガスが勝手に発熱しながら反応して出口のパイプから反応済みのアンモニアガスと未反応の混合ガスが出てくる感じですね。アンモニアは水に溶けやすいので、出てきたガスを水に通すことでアンモニア水として取り出し、未反応ガスは回収してプロセスの最初に戻すことで無駄なくアンモニアを合成することができます。
3-2.石炭と水と空気から水素と窒素を取り出す
今まで「水素と窒素から」などとさらっと書いてきましたが、皆様はきっとこう思っておられるはずです。
「窒素は空気に80%くらい含まれてるから良いとしても、水素ってどこから持ってくるの?」と。
石炭と空気と水からということでパッと思いつく方法は水の電気分解ですが、「そうか、蒸気機関で発電機を回して電気分解すればいいのか!」となると、『戦国時代の技術で蒸気機関は実現できるのか考察してみた』と『〜発電機・電動機〜』という全く別ジャンルの技術を二つも実現できるか考察して書かねばなりませんのでそうはいきません。
幸いなことにハーバー・ボッシュ法には前段階として同様の方法を以って石炭から水素を取り出すプロセスが付随してきます。
まず、石炭を乾留すると石炭ガスというガスが発生します。この石炭ガスの成分は水素ガス50%、メタンガス30%、一酸化炭素8%、その他(二酸化炭素、硫黄成分、コールタールなど)となっており、その他成分は触媒を失活させるものが含まれるのでガスを水と接触させて取り除くガス洗浄を行います。
そうしてその他成分を除去した石炭ガスの約半分は水素なのですが、約三割も含まれているメタンガスをなんとか利用したいもので、触媒にも人体にも有害な一酸化炭素も無視することはできません。
そこで用いられるのが水蒸気改質と水性ガスシフト反応で、水蒸気改質はメタンガスと水蒸気をニッケル系触媒を使い高温高圧で反応させて水素ガスと一酸化炭素を生成する方法。水性ガスシフト反応は一酸化炭素と水蒸気を酸化鉄系触媒を使い高温高圧で反応させて水素と二酸化炭素を生成する方法となっています。
ちょっとややこしい気がしますが、概念的には下のようになります。
◆◇◆◇◆◇
水蒸気改質
(メタンガス+水蒸気)
↓
【ニッケル系触媒】←熱・圧力
↓→(水蒸気)
(水素ガス+一酸化炭素)
◆◇◆◇◆◇
◆◇◆◇◆◇
水性ガスシフト反応
(一酸化炭素+水蒸気)
↓
【酸化鉄系触媒】←熱・圧力
↓→(水蒸気)
(水素+二酸化炭素)
◆◇◆◇◆◇
このような感じで無事に石炭と水と空気から水素と窒素を生成することができました。実際にはこのプロセスだけでは微量の一酸化炭素が残ることになるので、現在では水性ガスシフト反応を触媒を変えて二段階で行い、残留した一酸化炭素をメタンガスに処理する工程が追加されています。
というわけで全体を通したプロセスは以下の通りで、生産設備は各プロセスの圧力容器を配管とバルブ、コンプレッサで接続した、いわゆる化学プラントの形態になります。
◆◇◆◇◆◇
ハーバー・ボッシュ法全プロセス
(石炭)
↓
【乾留炉】←熱
↓→(コークス)
(石炭ガス)
↓
【ガス洗浄器】
↓→(硫黄成分・コールタールなど)
(水素+メタンガス+一酸化炭素)
↓←(空気・水蒸気)
【水蒸気改質器】←熱・圧力
↓
(水素+一酸化炭素+窒素+水蒸気)
↓
【水性ガスシフト反応器】
↓
(水素+窒素+二酸化炭素+水蒸気)
↓
【ガス洗浄器】
↓→(二酸化炭素)
(水素+窒素)
↓
【酸化鉄系触媒】←熱・圧力
↓→(水素+窒素)→入り口に戻す
(アンモニア)
↓水に溶かして取り出す
◆◇◆◇◆◇
4.技術的要素の解説と考察
十六世紀の世界のどこにも存在しなかったハーバー・ボッシュ法を実現させるにあたって必要な技術的要素を解説し、それを戦国時代に手に入るリソースを用いてどのようにして作り出すか、要素ごとに考察してまとめてみました。
4−1.圧力容器
ハーバー・ボッシュ法は各プロセスにおいて触媒での反応速度を上げるため高温高圧でガスを反応させます。プロセスごとに最適な温度と気圧は違うのですが、現代では最大になる部分が水蒸気改質の二次プロセスで1000℃・300気圧、アンモニア合成では500℃・200気圧程度となっています。
とはいえ、戦国時代にそこまでの高温高圧に耐えられる容器が作れるはずもなく、生産性がかなり落ちることになっても温度と圧力を下げて稼働することになるでしょう。
素材は必要な耐熱性と強度、気密性を考えると金属を使う以外になく、戦国時代だと鉄か青銅に限られます。
各プロセスでドラム缶以上のサイズの容器が必要になりまして、強度と耐熱性を考えれば鉄を使いたいところですが、当時の技術でそれほど大きなものを作るとなると手間とコストが膨大な上に信頼性を確保することが難しいので、初期段階では鋳造・鍛造が容易で切削加工のできる青銅を使い、そこから改良する形で鉄製に置き換えるのがいいと思います。
4−2.配管・バルブ
各プロセスの圧力容器を接続してガスを通すための配管は圧力容器同様の高温高圧に耐える必要があり、特に接続部分ではガス漏れや圧力による抜けや破壊を防ぐ工夫が必要になってきます。
バルブは配管内でガスの流量を調整したり遮断するための要素で、役割上構造が複雑になってくるのですが、流体を通すための穴の空いた球状の弁を配管内で回転させて流量を調整するボールバルブなら作れるだろうと思います。素材は鉄より耐食性があり加工の容易な青銅一択ですね。
4−3.コンプレッサ
ガスに圧力をかけて配管に送り込む装置で一般的に言うポンプと同一のものですが、ガスを圧縮することに特化したものをコンプレッサといいます。
圧縮方式によって種類は様々ありますが、今回は逆止弁のついた吸気口と排気口を設けたシリンダにピストンをクランクで往復させてガスを圧縮するレシプロコンプレッサを使います。動力は初期段階では人力、実用段階では水車を使うことを想定しています。
技術的に課題となるのは吸排気口部分が構造的に複雑で、逆止弁に当時存在しなかったコイルばねが使われていること、ピストンの摺動部の滑らかさと気密性の両立、クランクの軸受け部分の強度・耐久性・精度の確立で、これらの課題は文章で「こうすればできますよ」というものではなく、試行錯誤の積み重ねで解決するものだと思います。
4−4.触媒
触媒は酸化還元をはじめとした化学反応を促進しながら自身は化学変化しない物質で、化学反応に応じた適切な物質を採用することで反応の温度圧力を下げて反応速度を早めることができます。
ハーバー法のアンモニア合成反応には酸化鉄と酸化アルミニウム、水蒸気改質にはニッケル及び酸化ニッケル、水性ガスシフト反応には酸化鉄が適しています。アルミやニッケルが日本で入手できるか調べてみたところ、別府温泉で産出されるミョウバンを高温で熱分解することで酸化アルミニウムが得られ、ニッケルは京都の大江山で産出されるということで、困難は伴うでしょうが、これらの素材を入手できることがわかりました。酸化鉄は物性や入手性を考えると製鉄の際に出る多孔質の鋼滓(ノロ)を使うのが良いんじゃないかと思います。
触媒の効果はその表面で得られて表面積を増すことで有効性を高めることができるので、圧力容器の排気側に粒子状の触媒を詰めた金属管を取付けてガスを通す形態になるでしょう。
4−5.ガス洗浄器
ガスを洗浄するというと奇妙に聞こえますが、ガスを充満した容器の中に水などを大量に噴霧してガス中の微粒子や水溶性の物質を分離することをいいます。ですが、戦国時代に圧力容器の中で水を噴霧する装置を作るのは技術的に不可能に近いので別の手段を考えなければなりません。
ではどうするのかというと、逆の発想で水の中に細かい泡状にしたガスを通せばいいのですね。エアレーション、いわゆる金魚の水槽のブクブクと同じものです。
沢山の穴をあけた金属管を軸に秋田名物きりたんぽのように木くずなどを混ぜた粘土で覆って成型して素焼きにすると、多孔質セラミックのエアストーンの完成です。これを圧力容器の吸気側に取り付けて注水すればガス洗浄ができます。
4-6.温度計・圧力計
プロセスの操作、稼働状況の確認、生産性と安全性の確保に温度計と圧力計が必要なのですが、戦国時代の日本では温度を測る手段がなく、圧力に関しては概念すら存在していません。そんな中で単位を決ることからはじめて正確な温度や圧力を求めようとするとそれだけで膨大な研究の蓄積と時間が必要になりますので、本作ではかなりざっくりとした手段で温度と圧力を計り、実現する装置に特化した現物合わせで「低い」「適正範囲」「危険」と指示する計器を提案します。
温度計には熱膨張率の違う二つの金属板を貼り合わせたバイメタルを使います。温度が高くなるに連れて熱膨張率の高い方の金属が低い方の金属より伸びて熱膨張率の低い金属の方に湾曲していくので、その湾曲の大きさで温度を知ることができるというわけですね。
圧力計にはブルドン管ゲージを使います。これは細い金属管の片端を閉じて湾曲させたもので、圧力容器に取り付けて管内にガスを導入して圧力が上がるに連れて湾曲した管がまっすぐに伸びていくというものです。
温度計の板の部分と圧力計の管の部分にそれぞれ表示板を取り付けて、実際に稼働させた上で「低い」「適正」「危険」の目盛をつければ、簡易的にですが装置を安全に操作するための情報は得ることができます。
後編に続きます。
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