第三話 昔話 記憶の隅に
都の宴は楽しかったけれど、そうだ、 怖い思いもしたのだった。
忘れていたこと、忘れたかったこと、忘れろと言われたから、忘れていたこと。そんなことがいくつかあったのは確かだけれど、思い出せない。でもそこになにか答えがある気がする。
そうだ。まず、あれは・・・
都にやってきた日。ご馳走を食べて、ぐっすり眠った日。そして起きてパレードを見る・・・いや、その前に何かがあったのだ。
そうだ、夜中に用を足しに起きたのだった。便所は建物の裏手にあると宿の人から、説明されていたような気がする。それを聞いていたから、宿の部屋の扉を開けて、暗い廊下を少し怖がったのだけれど、一階の酒場からはまだまだ賑やかな声が聞こえてきて、それで少し安心したのだっけ。それで・・・
裏手の便所で用を済ませて、勝手口のドアを開け、二階の部屋に戻ろうとした。そのとき、酒場の酔っ払いたちの会話から、ふと聞き覚えのある詩が聞こえてきた。
「清風、あーなんだったか。そうだ」
「人みな乱れ、国爛れる
天は嘆き、地怒れるは定めかな
千年帝国、千と一年はあらぬかな!」
「おいおい「詩人伝説」か?縁起でもねえな!」
「でもよ。この国はよお、すっかり腐って、爛れてるって事は確かだぜ」
「まあそれはそうだが・・・」
「小難しいことは良いんだ!酒が飲めりゃあいいんだ!退廃万歳さ!」
「「「ははははははは!・・・」」」
「千年帝国のお話」に聞いた詩だ。私はまた、恐ろしくなった。急いで二階の部屋に戻り、眠りについた。
起きた頃にはパレードの事に頭が一杯で、すっかり忘れていたけれど、今思えば、そうだ、たしかにそれを聞いた。
まだなにか思い出していないことがある。記憶を辿る。そうだ、忘れたかったこと。忘れたくて、記憶の隅に追いやっていた事がある。
夜のサーカスショーに、村人たちはこぞって集まって、夢中になった、村で見たものより、もっと凄い大サーカス。サーカス団のお辞儀。万雷の拍手。そこまではよく覚えている。
その後だ。サーカスが終わり、皆が帰り始めて、私はどうしても、サーカス団の人ともう一度話したかったから、こっそりサーカス団の会場に忍び込んだんだ。
すると、誰もいない会場の劇場のステージの上、奇術師と道化師が、二人話していた。私は、話しかけようと思ったのだけれど、なにやら真剣な趣きだったので、躊躇われた。座席の影に隠れて、聞き耳を立てたのだ。
「今日のサーカスも上手くいったな、だけれど・・・」
「ああ、言いたいことは分かる。みな何か、僕達の劇を見ていると言うよりは・・・」
「ただ騒げる場所で騒ぎたいだけ。真剣に私達の芸を見てくれてたのは、前に寄った村の人達くらいじゃなかったか・・・」
老齢の奇術師は眉間に深くしわを寄せて、物々しい表情だった。
「なんだか、この国はおかしい。私は、何十年前、見習いの時代にこの国に来たが、みな礼儀正しく、品性があった。今はなにか・・・退廃的だ」
道化師が道化師らしからぬ、おどける様子も全く無い真剣な趣きで答える。
「まさかな、あの「詩人伝説」、千年帝国じゃないが・・・」
「この国での興行はこれが最後かもしれない、それがどういう意味になるかは、僕もわからないけれど、なにかそんな気がするんだ」
誰もいない劇場、座席に隠れた私は、恐ろしくなった。この国も、「千年帝国」のように? 信じたくなかった。不穏な会話。鼓動が早まった。私は劇場を抜け出すと、一目散に村の人達の元に向かった。何処へ言っていたのだと怒られたが、用を足していたと、嘘をついた。
そうして私は今聞いた話は決して覚えたくないと思った。忘れようと努めた。忘れようとして、なにか楽しいことだけを思って。そうして、記憶の隅に追いやっていた。
思い出をたどる内に、更に思い出した。
もう一つ、忘れろと言われたから、忘れていたこと。
村に帰る日の前の晩だった。私は夜に行われる宴の最後のパレードを見ていた。パレードの終わり際、行進の最終列がずっと遠くにゆくのが、なんだか無性に悲しくなって、わたしはそれについていってしまったのだ。夢中になって追いかけて、気づけばはぐれて、何処にいるかも分からなくなってしまった。迷って歩いた挙げ句、ここは裏路地のようだった。しんとして、ごみがたくさん落ちていて、嫌な匂いだった。すると向こうから誰かがやって来た。
誰だろう。怖い。わたしは後ずさりしながらも、怖くて動けなくなっていた。
するとやって来たのは、奇遇なことに、前の大パレードで私の頭を撫でてきたおじさんだった。だいぶ酔っ払っていたようだった。
「ああ?たしか・・・前にパレードで会った嬢ちゃんじゃないか。こんな夜中に、しかも路地裏で。一人で危ないぜ。裏路地にゃあ、泥棒とか、嬢ちゃんだったら人攫いに会うかも知れねえ。すぐに表に戻んな。」
「人攫い?」
おじさんは、ため息を付いて答えた。
「ああ。ここしばらく、犯罪だとかが全く増えちまった。」
おじさんは、私に話しかけるでもなく、独り言のように続けた。
「まったく・・・ 最近のこの国は、ろくでなしだ。店の商売なんかちっともうまくいかねえ。俺がわりいんじゃねえ、国がわりいんだ。だって毎日のように盗みがあったら、商売なんかあがったりだ。憲兵は賄賂で動きやしねえし、賄賂がなくても面倒だからとのほほんとしてら。王様もわりいんだ。新しい王様、ありゃあ神経が薄弱で、政なんてろくにできやしねえ。先代の王だって、昔はそりゃあ立派だったと言うが、老いてからは、趣味の狩りにあけくれて、政治なんかちっともしねえ。王様なんてお飾りだから、死んでも誰も話題になんかしねえ・・・ おっと言いすぎちまったな。嬢ちゃんに愚痴を言っても仕方ねえ。第一、王様の悪口なんか言ってた事が知られたら、鞭打ち百回の刑だ。嬢ちゃん、これをやるから忘れてくれや」
私は銅貨を三枚受け取った。酔っ払いのおじさんは、ふらふらと千鳥足になりながら去っていった。詩を歌っていた。
「清風途絶え、温く淀む…
人みな乱れ、国爛れる…
天は嘆き、地怒れるは定めかな…
千年帝国、千と一年はあらぬかな…」
また「千年帝国」の詩だった。けれども、おじさんはその続きを歌っていた。
「国国国とみな言うが、国はいずこに在りしものや…
栄えた国も衰え滅び、しばし経ったら思い出話…
思い出話の国の詩、詩だけ残って国は残らぬ…
幻想幻想、惑わしだ。どこにも国などありゃしない…」
思い出した。すべてを思い出した。忘れていたこと、忘れたかったこと、忘れろと言われたから、忘れていたこと。
この国の「退廃の兆し」は十五年前からすでにあったんだ。
家の外はすっかり暗くなっていた。窓から見やると、祖母はまだ、彼方の遠くでぼんやりと燃え上がる都をじっと見ていた。
色々なことを思い出して、私はなにか、答えを掴みかけている気がした。
その時だった。突然家の扉をノックする音が聞こえた。
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